43 反乱と氾濫

 ボス部屋の前でへたり込んでいるのは、探索者ギルド「羅漢」のメンバーたちだ。

 六人パーティ七つで探索を始めたはずの一行だが、確認できる「へータイ」は30人を割っていた。

 その他に、凍崎とうざき純恋すみれとスーツ姿の男女数人が、へータイを見張るように立っている。


「あなたとあなた、それからあなたね」


 凍崎純恋に指さされたヘータイの男女が、青い顔で直立する。


「来なさい。レベルを吸ってあげるから」


 恩着せがましい言葉にも逆らえず、ふらふらと三人が前に出る。


 凍崎純恋の「レベルドレイン」を、ヘータイもスーツも魂の失せたような顔で見つめている。


「全然足りないじゃないの。あなたと、そう、あなたも……」


「お、お言葉ですが!」


 さらに指名しようとする純恋に、スーツの女性が口を挟む。


「こ、これからボス戦が控えております」


「そうね。だから?」


「ダンジョンボスでは経験値が得られません。あらかじめレベルを下げてもレベルアップには繋がりません」


「レベル差補正で獲得SPは増えるじゃない」


「それは勝てればの話です」


「……うるさいわね。ダンジョンボスにはレベルレイズがあるんでしょ? ボスのレベルを上げないためにレベルを下げてあげるんじゃない」


「ぼ、ボスのレベルには下限があります。レベル1まで下げても、ボスのレベルが1になるわけでは……ひいっ!?」


「そんなこと、私が知らないとでも思ってるのかしら? ならいいわ。あなたのレベルを寄越しなさい」


「わ、私を最後にしてくださるというのなら……」


 スーツの女性が、震えながら声を振り絞る。


 純恋の視線が温度を下げた。


 スーツの女性は、わかっているのだ。

 純恋がここでヘータイからレベルを吸い上げているのは、「使えない」ヘータイをボス部屋で処分するためだと。


「生意気ね、その目。まるであの女――朱野城あけのじょう芹香みたいな目」


「ど、どうか、お願いします!」


 女性はダンジョンの床に手をついて土下座する。


 その頭を、凍崎純恋が踏みつける。

 ヒールの踵で力一杯捻るように踏む。


「う、ぐ、ぐ……」


 踵が当たった女性の額から血が溢れ、女性が苦悶の声を漏らす。


 ヘータイたちは、その様子にももはや無関心だ。

 自分に矛先が向かないように――という意識すらもう失ったようで、座り込んだままダンジョンの床にうつろな目を向けている。


 スーツの中の一人が、拳を握って前に出ようとした。

 それを、すぐ隣にいたスーツが慌てて止める。


 そこで、ボス部屋を窺っていたヘータイの一人が声を上げた。


 見覚えのある顔だ。

 あの一幕ですっかり覚えてしまった。

 TAJIMA――じゃなかった、田嶋だな。

 地域統括からヘータイに落とされ、レベル1に戻された男。

 今はスウェットを着て頭を坊主にされている。


「お、お嬢様!」


「……なによ?」


「ボスの様子がおかしいです!」


「なんですって? 具体的にどうおかしいのよ?」


「そ、それが……うまく言えません。直接見ていただけませんか?」


「へええ。ヘータイが私に命令しちゃうわけ?」


「し、失礼は承知です! し、しかし、新宿駅地下ダンジョンでもフラッドが起きています! なにか未知の事態が起きていても不思議はなく……!」


「ふぅん?」


「これを協会に報告すれば、お嬢様の名声につながります!」


「……しかたないわね。そこまで言うなら……って、邪魔よ、あなた」


「きゃあっ!」


 戯れのように蹴り飛ばされ、悲鳴を上げて転がる女性。

 蹴りの威力からして、凍崎純恋は今、探索者としてのステータスを抑えている。

 もしレベル2874(現在はもう少し高いはず)の攻撃力で蹴り飛ばせば、女性は無事では済まなかっただろう。

 いたぶるために、あえて力をセーブしてるってことだ。


「はぁ。で、なにがあるの?」


「こ、こちらを」


 田嶋が開きかけのボス部屋の扉の前から横にどき、中を純恋に覗かせる。


「……普通のボス部屋のように思えるけど?」


「ボスを『簡易鑑定』してみてください」


「ちっ、私に命令を……! まぁ、いいわ。『簡易――」


 純恋の注意が「簡易鑑定」に向いた、まさにその瞬間の出来事だった。


 純恋の背後に回った田嶋が、その背を思い切り蹴り飛ばす。


「なっ、きゃあああっ!?」


 蹴り飛ばされた純恋は開きかけのボス部屋の中に転げ入り――


「今だ! 手伝ってくれ!」


 ボス部屋の扉を引っ張りながら、田嶋がスーツたちに呼びかける。

 扉は奥側に向かって押し開くようになっている。

 田嶋は手にしたブロードソードをかんぬきのように扉の取っ手に差していた。


「お、おまえ……!」


「いいから! 今がチャンスだぞ!」


「だ、だが、こんなことをして……」



「――ちょっと、何やってるの!? 開きなさい! 殺すわよ!!」



 扉の奥から、純恋の声と扉を叩く音がする。


「少しのあいだだけだ! 扉を少しのあいだ押さえてるだけでいいんだよ! それだけであのクソ女はボスに殺される!」


「し、しかし……」


「レッドネームにはならねえよ! 俺たちが直接殺したんじゃねえんだからな!」


「わ、私はやるわ……!」


 スーツの女性(さっき土下座していたのとは別の)が、手にした鋼の鞭を、扉の取っ手に巻きつけた。

 鞭を力一杯後ろに引いて、扉の向こうの純恋の力に対抗する。


「考えてもみろ! あの女にちゃんとレベル相応の実力があるなら、レベルレイズで同レベルになっただけのBランクダンジョンのボスなんて、ソロでも余裕で倒せるはずだろう!?」


「そ、それは……そうだが」


「俺たちから吸い上げたレベルを精々有効活用してもらって、ボスを倒してくれりゃあいいんだよ! 俺たちはべつに無理なことを要求してるわけじゃない! 当然のことを要求してるだけだ! そうだろう!?」


「くっ……やるしかないのか!」


 迷っていたスーツの男も取っ手に取り付いた。


「や、やめなさい! そんなことして何になるのよ!」


 と抗議したのは、さっき土下座してたスーツの女性。


「なんでおまえがかばうんだ! あんなことまでさせられて悔しくないのか!?」


「私は……っ! 人の生命を使い潰すようなことをやめさせたいだけ……! ちゃんと誠意をもって頼めばお嬢様だってきっとわかってくれる! 今ではなくても、きっといつかは……!」


「いつかって……いつだよ!? それまでに俺はあと何回レベル1に戻される!? あと何回死線を潜ればいい!? あの高慢ちきなお嬢様が改心する前に、俺のほうが殺されるんだ!!!」



「――早く、開けなさい! こんなことして、あなたたちただで済むと思ってるんじゃないでしょうね!? このことをパパに言いつければ……いやっ、やめて、来ないで……!」



 扉の向こうでは、純恋がボスに見つかったようだ。


 ボスのレベルは凍崎純恋にレベルレイズされる。

 地上にいたときからさらにレベルを吸ってるようだから、凍崎純恋の現在のレベルは、おそらく2900以上――


 脅威なのは、レベル2900の桁外れの能力値だけじゃない。

 ダンジョンボスは、レベルが上がると新たなスキルを覚えていることがある。

 レベル2900ともなれば、未知の強力なスキルを持っていてもおかしくない。


「へっ、ざまあ見やがれ、クソ女! 会長に媚び売って取り入っただけの女がいばりくさりやがって! おまえがそんなに偉いんならそのボスを一人で倒してみやがれってんだ!」


「開けて! 開けなさい! 早く――」


「やなこった! おまえを養女にした会長が言ってたよなぁ!? 『感謝の念を抱いて誠心誠意仕事をすれば、不可能なことはありません』ってよぉ!」


「そんなの知らないわよ! 早く開けなさい! 早く、早く……っ!」


 ドンドンドン!と激しく扉が叩かれた。

 ついで、扉の向こうで雷の爆ぜる音。

 凍崎純恋が魔法で扉を破ろうとしたのだろう。


 だが、ダンジョンボスを閉じ込めるための扉がそんなにやわなわけがない。

 ダンジョンの壁や床と同じく、破壊は不可能だとされている。

 感謝の念を抱いて誠心誠意仕事すれば、もしかしたら破壊できるかもしれないが。


「い、いやぁ! 死にたくない! 開けて! お願いだから開けてちょうだい! 許して! これまでのことは謝るから……!」


「そう言われておまえが誰かを許したことがあったかよ!?」


「謝る、謝るから! これからは改善するから! なんでもするから扉を開けて!」


「俺はな、おまえに日頃の行いを改善してほしいわけじゃないんだ! 俺はただ、おまえに死んでほしいだけなんだよ! なんでもするってんならそのまま死ねや!!!」


「くそっ、くそがああああ! おまえら、覚えてろよ! 絶対殺す! 絶対殺してやるんだから!」


 扉を開けさせるのが無理と踏んだか、扉の奥の気配がボスモンスターのほうを向く。





 ……俺は、その様子を少し離れたところに潜んで観察していた。


「まさか、こんなことになるとはな」


 万一戦う羽目になっても大丈夫なように準備だけは整えてきたが、まさか俺が手を下すまでもなく自滅してるとは……。


 俺の感想をひと言で言おうか?


 ざまぁ。


 マジでこれに尽きるよな。


「で、こんなもんを見せられた俺はどうすりゃいい?」


 ボス部屋に乱入して凍崎純恋を助ける?

 まさか!


 「索敵」の光点を見れば、凍崎純恋がボスと戦ってる様子が大雑把にはわかる。

 お世辞にも、善戦してるとは言い難い。

 「索敵」の気配では、ボスのことはホビット系らしいとしかわからない。

 これまでに出会ったホビット系のモンスターがそのままボスに昇格してるわけではないようだ。


 凍崎純恋も勝ち目がないと悟ったのだろう、



「――誰か! そこにいるんでしょう!? 誰か、助けて! 扉を開けてええええええっ!」



 あー、気持ちのいい悲鳴だー! 癒されるー!


 ……というのはちょっと陰湿すぎるか?


 さすがに罪悪感を覚えないといったら嘘になるな。

 それでも、助けようという気は驚くほど起こらない。


「……今日のところはボスはあきらめるか」


 前の挑戦者がボスに敗れた場合、そのボスのレベルはどうなるんだろうな?

 俺が入ったら俺に合わせてレベルが下限まで下がるんだろうか。

 もしレベル調整にタイムラグがあるようなら、今日の挑戦はやめておいたほうがいいだろう。

 今のステータスで勝てないとも思わないが、わざわざレベル2900オーバーのボスに挑むことはない。

 ホビット系連続撃破の数字は、他のモンスターさえ倒さなければ引き継げるはずだしな。


 となると、このダンジョンの脱出用ポータルで外に出るか。


 灰谷さんの話では、このダンジョンは三層しかないので、ボス部屋の手前に途中脱出用のポータルがあるらしい。


 そっとボス部屋前を覗くと、


「あったあった。あれだな」


 ボス部屋前はちょっと広い空間になっている。

 古ぼけた女神像があるそこは、探索者からは「聖域」と呼ばれている。

 羅漢の探索者たちが集合してるのにモンスターが襲ってくる様子がないのはそのためだ。

 なお、女神像は俺が出会ったあの神様とはこれっぽちも似ていない。


 ボス部屋前はあいかわらずの阿鼻叫喚。

 怒鳴ったり哀願したりする凍崎純恋を、田嶋たちが扉越しに罵ってる。

 純恋もずっとそうしてるわけにはいかず、時折ボスから逃げるために扉を離れる。

 ボス部屋の中では青い光点と赤い光点が鬼ごっこ。


 まあ、俺は何もしないし、何も言わない。

 何も見なかったことにしてもいい。

 あ、いや、今日ここに潜ることは芹香たちは知ってるか。

 芹香への言い訳は必要だな。


 途中脱出用の白いポータルは女神像のそばだ。

 その周囲には白けた顔の「ヘータイ」たちがたむろしている。


 「ステルス」「隠密」で行けば、見つかることもないだろう。

 見つかったところで敏捷にものを言わせてさっさとポータルに飛び込めばいい。

 武士の情けで羅漢のパーティがダンジョン奥で遭難してることくらいは通報しておこう。


 俺はさっそくポータルに足を踏み出しかけ――



「んっ?」



 白い水鏡のようなポータルが、空中でいきなり砕け散った。


 乱痴気騒ぎのせいで誰も気づかなかったようだ。


 おもわずミニマップを見ると、赤い光点が青い光点を「潰した」ところだった。


 ところで、俺はダンジョンの成り立ちについて、はるかさんからこう聞いている。



『ダンジョンは、ひしゃげた魂の造り出す蟻地獄』


『ダンジョン内で死した探索者の魂は、ダンジョンに取り込まれ、ダンジョンの『重力』をさらに増す』


『これが一定程度蓄積すると、ダンジョンがランクアップし、それに伴ってフラッドが起こる』



 ついでに、フラッド中のダンジョンからは脱出用のポータルが消える……という話を、昼に芹香から聞かされた。



「まさか……」



《警告。Bランクダンジョン「光が丘公園ダンジョン」でダンジョンフラッドが発生しました。》

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