第二章「宿敵」

33 親を泣かせた話と都内出張

「ただいまー」


 と、声をかけて居間に入ると、ちょうど父が飯を食ってるところだった。

 管理職の父は帰りが遅い。

 べつにブラック企業ってわけじゃないが、責任が増えればその分時間の拘束も大きくなる。


 ……というのが建前だが、やっぱり俺のような(元)ひきこもりが家にいれば、父だって帰りたくなくなるかもしれないよな。


 俺はふと思いついて、アイテムボックスからとあるアイテムを取り出した。


「父さん、これ、ダンジョンで手に入れたんだけど」


 俺が差し出したのは、だいだらのドロップアイテムである「銘酒『鬼泣かせ』」。

 「鑑定」によると特別な効果はなにもなく、ただ美味しくて悪酔いしづらいだけの酒らしい。


「これは……『鬼泣かせ』じゃないか!」


 と父が驚く。


「知ってるの?」


「知ってるも何も、酒好きのあいだでは有名な酒だぞ。ダンジョンのレアドロップで、とんでもなく美味いとか」


「へええ」


 と相槌を打つが、実のところ俺は酒があまり強くない。

 しかも、最初に勤めた会社で常習的なアルハラに遭ったせいで、酒を飲むのが苦手になってしまった。


「飲む?」


「い、いいのか!? おまえ、これがいくらで取り引きされてるか知ってるのか!?」


「いや、知らないけど。換金してうちに入れたほうがいいか?」


「とんでもない! せっかくの貴重な探索酒を……! ……じゃなかった、息子が苦労して手に入れてくれたものを売り払う親がいるものか!」


「そ、そう……」


 前半に本音が漏れてますよ。


「せっかくだ、おまえも呑まないか?」


「いいよ、俺は」


「そう言わずに。たまにはいいじゃないか」


「たまにはって、父さんと酒呑んだこととかないけど」


「経験だと思って一口くらい呑んでおけ。話題になるぞ」


「……そこまで言うなら」


 気は進まなかったが、付き合ってやることにした。

 これまで散々迷惑をかけてきたんだ。

 これくらいの孝行はしないとな。


 父は「うまい、うまい」と言ってぱかぱか酒を空け、ろくに話もしないうちに眠ってしまった。


 ……マジでこの酒が飲みたかっただけらしいな。


 まあ、今さら父子で話せと言われても、何も話題がないから助かったが。


 ちなみに、酒はたしかに美味かった。

 酒にいい思い出のない俺が、たまになら呑んでもいいかなと思うくらいにな。


 あとでネットで調べたら、本当に驚くほどの値段で取引されていた。

 金に困ったらまただいだらを倒しに行くか……。





 翌日。

 俺は芹香と一緒に新宿にある探索者協会本部にやってきた。


 新宿西口、都庁のそばに建った新しいビルは、一棟まるまる探索者協会の関連団体と有名ギルドの事務所で埋まってるらしい。


 新宿西口には駅構内から繋がったSランクダンジョン「新宿駅地下ダンジョン(通称エキチカ)」がある。

 万一のダンジョン災害に備えて協会本部もその近くに置かれてるってわけだ。

 まあ、Sランクダンジョンでフラッドなんて起きた日には、本部が近くにあったところでまともに対処できるとは限らないけどな。


 そんなダンジョンが真下に広がっているにもかかわらず、新宿はあいかわらずの人混みだ。

 副都心の一つ、都内有数のターミナル駅としての新宿は、ダンジョン以前から変わってない。


 そんな危機感のないことでいいのか? と思わなくもないが、いずれにせよ、日本中に三万以上ものダンジョンが跋扈するのが、この狂った現代である。


 いつか地震で原子炉が壊れるかもしれないと言われても、いつか富士山が噴火するかも知れないと言われても、近隣の住人がただちに引っ越すわけではない。

 ダンジョンが出来たからといって逃げ出す先もなければ、逃げ出すだけの余裕もない。

 それが、ほとんどの人の実情だろう。


 ともあれ、ダンジョンの危険をいちいち気にしていては社会生活が営めないし、経済成長も見込めない。

 多くの人は日常と化したダンジョンのことを、まるで存在しないかのように無視して生活してる。


 もちろん、そこにビジネスチャンスがあれば、そのときだけは見逃さずに飛びつくわけだけどな。

 探索者の回収したマナコインを動力にした魔力発電なんかがその例だ。



 で、なんで俺が芹香に伴われてこんなところにいるのかというと。


「皆沢さん、来ましたよ」


 と、芹香が探索者協会の廊下に現れた人物に声をかける。


朱野城あけのじょうさん。ご足労をおかけしてすみません。蔵式君も遠いところをすまないね」


 ラガーマンのような体格の、三十くらいの男がそう答える。

 俺にも見覚えのある顔だ。

 黒鳥の森水上公園ダンジョンではるかちゃんがクズ探索者に襲われかけた一件で、ダンジョンに駆けつけてくれた監察員のリーダーさんだな。

 相変わらず、歳下の芹香に敬語で話す。


「いえ、これも仕事ですから」


「俺も気になっていたので」


「そう言ってもらえるとありがたいです。ここで話すのもなんですから、応接室へどうぞ」


 ちらりと芹香に目配せする皆沢さん。

 意味ありげな様子に、芹香の眉間がわずかに寄った。


 応接室に通された俺と芹香は並んで椅子に腰かける。

 机を挟んでその向かいに皆沢さんが座る。

 皆沢さんの手には分厚いファイルがあった。


「例の件の尋問がひと段落したもので。取調べ内容の裏取りをさせていただきたいのと……内々にお耳に入れておきたいことがありまして。ですが、まずは取調べ内容のほうの確認を済ませてしまいましょう」


 気になることを言ってからファイルを広げる皆沢さん。

 容量のいい説明を聞きながら、時折挟まれる確認や質問に、俺と芹香が答えていく。

 奴らが自分たちに都合のいいことばかり言ってるんじゃないかと思って慎重に聞いたが、調書の内容は俺の見た範囲の事実と合致していた。

 相当丁寧に調べたらしい。

 丁寧に、というか、徹底的に、だろうか。


 確認は三十分ほどで終わった。


「これでいいでしょう。あとは検察の仕事です」


 ファイルを閉じて皆沢さんが言う。


「それで、聞いておいたほうがいいことというのは?」


 と、待ちきれずに訊く芹香。


「連中がインカレの探索者サークル『アルティメットフリーダム』の構成員なのは供述にあった通りです」


 インカレ――複数の大学間で集まった大学生のサークルってことらしい。

 高校中退、大検不合格の俺にはよくわからない世界だが。


「既に各大学がサークル所属の学生への聞き取りを始めていて、遠からず処分が下されるでしょう。もちろん、協会と警察も余罪を立件するために協力して捜査に当たっています。表向きは警視庁の捜査ですけどね」


 探索者の逮捕に踏み切った際、もし抵抗されれば警察側に被害が出ないとも限らない。

 探索者の抵抗や逃亡が予想されるばあいには、探索者協会が監察員や高ランク探索者を帯同させることになっている。

 だが、警察にしてみれば、治安を守る自分たちが探索者に守られるのは沽券に関わる問題だ。

 探索者協会が捜査に人を出すのは、あくまでも探索者協会の自発的な協力だという建前になってるらしい。


「それなら解決なのではないですか? ひょっとして、私にも逮捕に協力してほしいということですか?」


「いやいや、朱野城さんを駆り出すような事件ではありませんよ」


「じゃあ……?」


「その『アルティメットフリーダム』の背後にですね……どうも、いるんですよ」


「いる、とは?」


「……羅漢ですよ」


 声を潜めた皆沢さんの言葉に、芹香が顔を跳ね上げた。


「なんですって!? 悪名高いブラックギルドとはいえ、あんな犯罪探索者まで抱えてるんですか?」


「まだ確定ではないのですが、可能性として否定できなくなりました」


「そんな……」


 と、芹香と皆沢さんが深刻な顔で黙り込む。


 ……そう深刻にされるととても訊きづらいんだが……


「すみません、その『羅漢』というのは?」


 聞くは一時の恥、ということで訊いておく。


「え、ちょっと、『羅漢』を知らないの? 有名ギルドだよ?」


「すまん、ギルドとかあんま詳しくなくて」


 ソロでやってく気満々だった俺は、探索者ギルドについてはろくに調べていなかった。

 あとで芹香に勉強しろって怒られそうだ。


「まあ、悠人はソロだもんね」


「ダンジョンのことで手いっぱいでつい、な」


「一度探索者の基礎知識をみっちり教え込む必要がありそうだね」


 と、なぜか嬉しそうに言う芹香。


 皆沢さんが、やや呆れ顔ながら説明してくれる。


「『羅漢』は、国内有数の探索者ギルドだ。その規模と攻略手法で良くも悪くも有名なんだ」


「『羅漢』っていうのは、居酒屋チェーンのあの『羅漢』ですか?」


 居酒屋を中心にファミレスなどの飲食店の他、介護、保育、ブライダルといった業種にも幅広く参入してる企業グループ……それがひきこもりだった俺の認識だ。

 ブラック企業の代表格としてもよく槍玉に上がってた企業だな。


「その『羅漢』で合ってるが、蔵式君の認識はやや古い。今の羅漢グループは、羅漢ヒューマンリソースという人材派遣・人材開発会社が中核だ。グループのそれぞれの子会社は独立させて、資本関係も解消している」


「えっと……?」


「人の派遣と教育に特化して、個別の事業はグループから切り離したということだ。これ自体、巧妙な手なのだが……」


「どういうことです?」


 社会人経験の少ない俺にもわかるように言ってくれ。


「普通、資本関係を解消して子会社でなくなれば、経営者は独立した判断ができるようになる。だが、子会社だった各企業の経営者は、元々羅漢の人材育成にどっぷり浸かって育った人間だ」


「……ああ、羅漢に洗脳された人たちってことですか」


 羅漢の経営者は、独特のカリスマ性で有名だった。

 カリスマ性というより、人を言葉で支配する才能という感じだが。


「言い方は悪いが、そういうことだな。そういう連中を『独立企業の経営者』とすることで、実質的には羅漢の指示を受けて働いているにもかかわらず、安い年俸で、年中無休でこき使えるという仕組みなのさ」


「名ばかり店長みたいな仕組みですね」


 若くして店長になれます!

 そう言って人を集め、管理職だから残業代は出しません、会社に泊まり込んで年中無休一日二十四時間体勢で自発的に働け、と強要するやり口だ。


 その手口はある程度有名になってしまったから、今度は社長というわけか。

 たしかに、どんな会社であれ「社長」という肩書きがあるだけで、周囲の見る目が違うんだろうな。


「その羅漢ヒューマンリソースが今いちばん力を入れているのが、ダンジョン探索事業なんだ。探索者ギルド『羅漢』はその表看板だ」


「……なんだか嫌な予感がしてきましたよ」


「その予感は当たっている。羅漢は、探索者の死亡率が他のギルドと比べて顕著に高いんだ。それもそのはず、羅漢の旧グループの事業の中で『使えない』と判断された人間を集めて、半ば強制的にダンジョン探索をさせてるんだからな。もちろん、ろくに教育もしていない。死んでこいと言ってるようなものだ」


 皆沢さんが吐き捨てるように言った。


「それで『ブラックギルド』か……」


「でも、羅漢は仮にも企業ですよ? 犯罪探索者を集めたところでお金になるとも思えませんが……」


「たしかにそうです。しかし実際に羅漢が探索者をなりふり構わず勧誘してることも事実。利益よりも探索者の確保を優先しているのなら、犯罪に手を染めているような探索者にまで手を伸ばしていたとしてもおかしくはありません」


「ですが、何のために?」


「……これはあくまでも私の意見です」


 そう前置きした皆沢さんは、なおもためらってから口を開いた。



「――羅漢は、探索者協会を乗っ取るつもりではないでしょうか?」

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