29 ダンジョン神社再び
翌日。
俺は再び天狗峯神社にやってきた。
昨日はあのあと、神社の温泉で汗を流し、ほのかちゃんに顔を見せてからバスで下山、ローカル線経由で家に帰った。
家でwikiと睨めっこしながら検討したが、やはり天狗峯神社ダンジョンの赤鬼Lv52以上に効率のいい稼ぎは思いつかなかった。
芹香にエリクサーを返すという課題が未解決のままだが、もともと簡単に手に入るようなものじゃない。
モンスターからのドロップだが、俺の異常な幸運値をもってしても、これまでドロップ枠の二つ目のアイテムまでしか落ちてないんだよな。
ドロップ率の上がるようなスキルでもあればいいんだが、あいにくとwikiには見当たらない。
黒鳥の森水上公園ダンジョンのダンジョンボス(ギガントロックゴーレム)が、三つ目のドロップ枠にエリクサーを持ってることはわかってるのにな。
なんとももどかしい話だ。
芹香はエリクサーはいくつか持ってると言ってたし、簡単に手放したからにはどうしても必要なわけではないんだろう。
でも、ほのかちゃんやはるかさんの件は俺が巻き込んだ話だしな。
はるかさんは代金を払うと約束したが、無理なく入手できるようならエリクサーの現物は早めに芹香に戻してやりたいところだ。
それに、はるかさんがこれから先も定期的にエリクサーを必要とする可能性もある。
安定した入手法が確立できれば、俺の精神衛生に大変よい。
まあ、一個渡しただけでもあれだけの騒ぎになったからな。
定期的にエリクサーを渡したりしたら、それこそほのかちゃんを嫁にもらうレベルの話になりかねない。
エリクサーを入手するより、それを受け取ってもらう口実をひねり出すほうが難しそうだ。
素直に申し出を受けて、はるかさんとほのかちゃんをまとめて嫁に?
魅力的な話だが、芹香や両親、あるいは世間様に対してどう説明しろというのか。
探索者としての未来が見えてきたとはいえ、ほんの数日前までひきこもりだった男に、重婚を世間に認めさせるような胆力?などあるはずもない。
そういうのを男の甲斐性とか言っちゃうような昭和の価値観なんて持ってないし。
今回は、長丁場を想定して神社の宿泊施設を確保した。
「逃げる」たびに金を落とすので所持金は少ないが、ドロップアイテムを売却すればお金は作れる。
もともと観光客の少ない季節らしく、今朝の電話で今夜の予約が取れてしまった。
今日は午前からダンジョンに潜り、赤鬼を狩りながらマップを頼りに四層へ。
昨日とはちがい、最初から赤鬼だけを狩っている。
他のモンスターは一体も撃破しないで進める計画だ。
四層の奥に到達すると、昨日は入らなかった黒いポータルに入って五層に降りる。
五層は敵のレベルが微増した程度で大差がない。
六層からはモンスターに「鬼火Lv53」が混じりはじめたが、今日は赤鬼以外はガン無視だ。
順調にSPを蓄えながら、五層、六層を突破する。
六層から七層へのポータルを潜ると、俺は予期せぬ場所に現れた。
剥げかけた朱塗の鳥居が並ぶ石段。
以前にも来た、「断時世於神社」だ。
あいかわらずなんと読むのかわからない。
ダンジヨヲ、だろうか?
それとも、これで強引にダンジョンと読めということか?
鳥居や石碑、石段などを注意深く観察してみるが、
「水上公園ダンジョンのときと同じ神社だな」
別のダンジョンの途中に現れたというのに、この神社はそっくり同じものらしい。
本当に同じものなのか、同じもののコピーがあるのかはわからないけどな。
俺は石段を登りながらつぶやいた。
「天狗峯神社も由緒ある神社だけど……なんていうか、迫力が違うな」
観光スポットでもある天狗峯神社は、古い社殿にも手を加え、鮮やかな彩色が施されている。
昨日バスまでの待ち時間で見物したところ、現代の職人が当時の顔料や技術を使い、建てられた当時の姿を再現したのだという。
それはそれで見事なもので、見応えもある。
一方、この「断時世於神社」は、時の風化に任せるままになっている。
といって、荒れ果ててるわけでもない。
継続的に人の手が入ってることは間違いないはずだ。
綺麗に化粧されてるわけではないが、それだけに、人の一生を軽く超えるような期間、手を加えられ続けてきたことがよくわかる。
そんなことを可能にするひたむきな信仰心は、現代人にはちょっと想像がつかない。
飾り気がないだけに、かえってその心が素直な形で伝わってくる。
信心とは縁のない俺にもわかるほどにな。
……もっとも、いったい誰が、どうやって、こんな場所にある神社を維持してるのかは謎だけどな。
「さて、せっかくだからお参りでもしていこうか」
どうせ「逃げる」たびに金を落とすんだ。
いわくありげな神社の賽銭にするのも一興だろう。
俺は「Dungeons Go Pro」で所持金を現金化、万札も混ざるそれを賽銭箱に投げ込んだ。
鐘をがらがらと鳴らしてから、
「お参りのときは願い事はしないほうがいいんだっけ?」
神様ありがとう、これからも見守ってください、そんな感謝の願いをするのがいい――という話を聞いたような。
いや、それはスピリチュアル界隈のローカルルールだったか?
正式な神社の作法ではどうなんだろうな。
そもそも礼や拍手の回数にも異論があって、いわゆる二礼二拍手一礼も明治以前に遡ると定かではないと聞いたような……
「……でも、ダンジョンの中にあるような神社だしな。願い事をすること自体に何か意味がある可能性も……」
賽銭を投げたまま、願いもせず、どうでもいいことに悩む俺。
そのせいで、反応が遅れた。
というより、それがなかったとしても反応はできなかったかもしれない。
「ホホホ……」
背後から聞こえた笑い声に、俺は慌てて振り返った。
「おお、失礼。随分可愛らしいことで悩んでおったのでのう」
振り返った先には――誰もいなかった。
「目線が高いのじゃ。ほれ、下を見い」
言われて視線を下に向ける。
そこには、狐耳の童女がいた。
背が俺の腰くらいしかない童女で、黒地に金箔の散らされた和服を着ている。
肩に触れるか触れないかの長さで切り揃えられたおかっぱの髪は真っ白だ。
年齢に見合わない真っ白な髪といい、金色に輝く瞳といい、とても人間とは思えない。
いや、ふさふさの狐耳と腰の後ろから出た狐の尻尾を見れば、人間じゃないのは最初から明らかだった。
そもそも、その童女には気配がない。
「索敵」スキルに反応がないのだ。
スキルを信じるならそこには誰もいないはずなのに、その童女はそこにいる。
「おぬしには自前の
「手妻……スキルのことか?」
「当世の者はなんでも蚊でも横文字にしよってからに。おのが言葉を見失えば、次は魂を喪うことになろうぞ」
童女に合わない尊大で時代がかった言い回し。
だが、それが奇妙に似合ってもいる。
この童女がなんなのかって?
だいたい予想はつくじゃないか。
「まさか、神様か? ここの」
「よく判ったの。正確には、『ここの』ではないがな」
「じゃあどこの?」
「
「それはずいぶん大きく出たな」
「事実なのじゃから仕方あるまい」
「いろんな神様がいると思うんだが、そのうちのどれなんだ?」
「呼び名など、人間の拵え上げたものに過ぎぬ。
「……悪いが、言ってることがよくわからない」
「左様か。勿体のない話であるな。神が神を語る言葉を聞いた者など、数え挙ぐるに天地開闢以来五指で足るほどしかおらぬというのに」
言葉に反して、童女はあまり気にしてはいなそうだ。
自分が語りたいから語る、相手が理解できるかどうかはどうでもいい。
そんなふうにも感じるな。
「とにかく偉い神様だってことなんだろ?」
「ふむ。大賢は大愚に似たり。大雑把ながら本質を外してはおらぬよ」
「その神様が何の用なんだ? 賽銭のお礼か?」
「いや、何。訳の分からぬ世界に成り果てたが、面白そうな者がおったのでな」
「……俺のことか?」
「他に誰がおる?」
「俺の何が面白いんだ?」
「初めは、惜しみもなく有り金を賽銭に注ぎ込む変わり者がおると思っただけだったのじゃがの。おぬし、世界の変調に気づいておろう?」
「ダンジョンが現れて世界がおかしくなったってくらいのことは、今時幼稚園児だって知ってるぜ」
「そうではない。尋常の者が『世界が変わった』と申す意味は、『大きな災害があって世の中が変わった』、『大きな戦争があって時代が変わった』、その程度の意味しか持っておらぬ」
「ああ、そういうことか」
たとえば、9・11。
ニューヨークでテロリストがハイジャックした飛行機でビルに突っ込んだことがきっかけで、アメリカの国家安全保障政策が変わった。
アフガニスタンやイラクでは長年にわたって戦争が続き、中東情勢は大きく変わった。
あの日を時代の転換点と見ることは可能だが、それはあくまでも世界が「変わった」ということであって、世界が「おかしくなった」ということではない。
あるいは、東日本大震災。
地震、津波、原子力災害で、それまで当然のものとされてきた多くのことが見直された。
そのことをもって3月11日を時代の転換点と見ることはできるが、これもやはり、世界が「おかしくなった」わけではない。
地震が起こることも、津波が起こることもこの世界の摂理に則った現象だ。
その結果として設計に問題のあった原子炉が危機に陥ったのも、可能性として十分にありえたことだ。
最近でいえば、新型コロナウィルス感染症。
未知のウィルスの世界的流行によって人と人の距離や仕事のあり方までもが急激な変化を余儀なくされた。
これも、2019年を画期と見なすことはできるが、感染症のパンデミック自体はいつでも起きうることだったのだから、世界が「おかしくなった」わけではない。
でも、ダンジョンはそうじゃない。
マスコミは「With ダンジョン」などとスローガンのように言ってるが、ダンジョンが世界中に現れることは、戦争や災害、パンデミックとは質的に異なる現象だ。
こんなことは、起きるはずがない。
この世界のあらゆる法則に照らしても、ダンジョンなんてものが発生する理由は説明できない。
いや、むしろ、ダンジョンはこの世界のあらゆる法則に真っ向から反している。
これは、あきらかにおかしいのだ。
それなのに、誰もそのおかしさを指摘しない。
俺の父も母も、芹香も。
異世界からやってきたはるかさんですら。
「俺がおかしくなったわけじゃなかったのか」
「左様。おぬしの感覚こそが真っ当なのじゃ」
「じゃあ、なんで?」
「我にも分からぬ」
「わからないのかよ!」
「神にも分からぬようなことが起きた、ということじゃ」
「でも、あんたは世界がおかしくなったことには気づいたんだな」
「大雑把には、そう言っても良いであろう。ダンジョンの出現によって生じた人の子らの動揺が、忘れられかけておった神々を甦らせたと思えば良い」
「ダンジョンなんてもんがアリなら、神様くらい余裕でアリってわけか」
「ホホホ……おぬしの
「それで、俺に何の用だったんだ? 面白そうだから見にきたってだけか?」
「加護の一つも授けられればよかったのじゃがな。生憎、今の我にそのような力はない」
「じゃあ?」
「何、悩んでおるようじゃったからの。どうせやることもない身じゃ、相談にでも乗ってやろうかと思ったのじゃ」
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