25 エルフ母娘ダブル嫁ルート?

 ――とつぐ。


 嫁に行く。女性が結婚して男性の家に入ること。


 いきなり飛び出した発言に、俺はおもわず脳内で辞書的な定義を確認してしまった。


「ち、ちょっと、お母様!?」


「エルフにとっては、それだけのことをしていただいたのです。お会いして、不埒な方でないこともわかりましたし」


「……いやいや。待ってくださいよ。何度か言ってる通り、俺はほのかちゃんに近づきたくて助けたわけじゃないですよ」


「ほのかではお気に召しませんか?」


「そういう問題じゃないでしょう。彼女はまだ中学二年生なんです。いずれ好きな相手ができますよ」


「そうかもしれません。ですが、その方にほのかを守り抜くことができるでしょうか?」


「……なるほど?」


 要するに、嫁にやるから守ってくれ、というわけか。


「知人としてできる範囲で守りますよ。それでは不満ですか?」


「知人としてと悠人さんはおっしゃってくださいますが、悠人さんはいざとなれば危険を冒してでもほのかを守ってくださる方だと思います。ですが、それでは悠人さんにメリットがありません。悠人さんの好意に甘え、縋っているだけです」


「まあ、そうかもね」


 と言ったのは芹香だ。


「結婚云々はともかくとして、単に困ってるから、かわいそうだからってだけで、毎回悠人が危険を冒すのはどうかと思う。探索者に護衛を依頼するのなら、相応の対価を用意する必要がある。このままなし崩し的に悠人を便利な護衛扱いされたらたまったものじゃないわ」


「おい、芹香!」


 俺は制止するが、芹香は険しい顔のまま首を振った。


「なんだかんだ言って、悠人は優しすぎるんだよ。困った人がいたら放っておけない。『逃げるわけにはいかない』とかなんとか言って助けようとする」


「そ、それは……」


「自分は逃げてばかりだ、なんてうそぶいてるけど、本当にどうしようもないほど追い詰められるまで逃げないのが悠人よ。探索者になっても同じやり方を続けるつもりなら……私が悠人の逃げ道を用意する。悠人が限界まで苦しめられるようなことにならないように、その前に、危険に繋がりそうな芽を私が摘む」


 そう言って芹香が全身から放ったのは、紛れもない殺気だった。


「――はるかさん。貴女は、恩返しだのエルフの掟だのを口実に、悠人を利用しようとしてるんですか?」


「ひ、ひう……」


 と、ほのかは縮こまるが、はるかさんはそれを真っ向から受け止めた。

 だが、はるかさんの顔も青白い。

 直接殺気を向けられたわけではない俺ですら冷や汗をかくほどだ。


 ……これが、国内レベルランキング17位の聖騎士か。


「失礼は承知の上です。ですが、私たちにお返しできるものなど、もうそのくらいしか残っていないのです」


「じゃあ、貴女は?」


「私、ですか?」


「貴女も十分以上に魅力的な女性よね。なんなら、ほのかちゃんとセットで悠人の愛人にでもなってみる? ほのかちゃんの未来を勝手に決めておいて、自分は知らぬ存ぜぬ、恋愛結婚したかつての夫のことが忘れられません……なんて言うつもりじゃないでしょうね?」


「お、おい、芹香! 言ってることがめちゃくちゃだ!」


「はるかさんが悠人に望んでるのは、そのくらい無理なことなんだよ。たしかに、はるかさんたちの事情には同情する。エリクサーで病気が軽快するならあげてもいい。でも、悠人を利用しようとするのは許さない」


 重い、重すぎる沈黙が降りた。


「……では」


 とはるかさんが覚悟を決めた顔で芹香に言う。


「私が悠人さんの愛妾になれば、ほのかを大事にしていただけますか?」


「お、お母様!?」


「ふふっ。あちらの世界では、人間の権力者は、エルフの母娘をまとめて愛妾にしたがるものでした。悠人さんにとっても十分な報酬になるのではありませんか?」


「……どうしてそこまでするんです?」


 俺が訊く。


「あの人が繋いでくれた生命なんです。決して失うわけにはいきません。私に価値があると言うのなら、悪くない取引です。悠人さんは、とてもお優しい男性のようですし、ね」


 くすりと笑われ、さすがにたじろいでしまう俺。


 ……ていうか、なんでいきなり修羅場みたいになってんだよ。


 俺はほのかのことを保護すべき対象だと思ってるが、そういう相手とは思ってない。

 助けた以上、放っておくのは寝覚めが悪いと思うだけだ。


 はるかさんは……そりゃ、好みではあるさ。

 でも、夫を強く想うはるかさんを、そんな取引で思い通りにしたいとは思わない。


「はるかさん」


「なんでしょうか」


「はるかさんは、ほのかちゃんがお腹にいる状態でこっちの世界にやってきた。ということは、もう十五年くらいはこっちにいる。向こうの世界の、それもエルフの常識が通じないことはわかってますよね?」


「はい。ですが、私は受け継ぎたいのです。私とあの人の持っていたもの、生きてきた現実を、この子に」


「そのためには、ほのかちゃんを俺の嫁にして筋を通す必要がある、と?」


「その通りです」


「じゃあ、ほのかちゃんの気持ちはどうなる? いくら助けられたとはいえ、知り合ったばかりのひと回り近く年上の男と――」


「ゆ、悠人さん。私は、その……い、いいですよ」


「へっ?」


「で、ですから。悠人さんなら、いいかな、と」


「……マジで?」


「お母様と一緒に、というのは正直抵抗がありますが、お、お望みとあらば……」


「私も、亡き夫のことを想ってはおりますが、十五年も経つと、想いの質も変わってきます。夫も、操を立ててずっと一人でいることを望みはしないでしょう」


「でも、はるかさんの気持ちは……」


「夫とは、もともと話していたんです。人間とエルフとでは、もとより寿命が違いすぎます。夫は言いました。自分が歳老い、死んだあとは、新たな幸せを見つけてほしい、と」


 う、うーん。

 逃げ道を片っ端から塞がれるな。

 そもそも、魅力的すぎる提案なのだ。

 本人たちがいいと言うならいいんじゃないか、という気持ちも湧いてくる。


「ち、ちょっと、悠人! なに揺らいでるのよ!」


「い、いや、だってなぁ」


「不潔よ不潔! そんな条件で護衛を引き受けるなんて!」


「まだ引き受けるなんて言ってないだろ」


 とても欲望をくすぐる申し出ではあるのだが、かなりの毒杯でもあると思う。


 はるかさんはエルフだ。

 不老長寿というだけでも目をつけられるには十分だが、加えて異世界由来のダンジョンの知識も持っている。

 おまけに、母娘揃って世紀の美人。


 秘密が漏れれば、どこの誰から狙われないとも限らない。

 他の探索者はもちろん、国の機関や外国のスパイ。

 そうした連中の干渉を常時跳ね返していく労力は、彼女たちを自分のものにできるメリットを余裕で超えてるんじゃないだろうか。


 ……と、冷静そうに分析してみたが、俺の感想を一言で言うなら「怖い」だ。

 なんせ、こっちはほんの数日前までひきこもりだったのだ。

 いきなり嫁を二人も迎えて、その人生を背負っていく覚悟なんてできるはずもない。


 それに……嫁ね。


 俺はつい、ちらりと隣にいる付き合いのいい幼なじみの様子をうかがってしまう。


 隣にいてしっくりくる異性というと、俺にはこいつしか浮かばない。


 ほのかやはるかさんが嫁になったら、二人は俺のことを全肯定してくれそうだよな。

 「さすがです」「すごいです」と俺のやることなすことを肯定してくれて、俺の言うことに神のお告げのように従ってくれる。


 それを気持ちいいと思う向きもあるだろうけど……どこまでも果てしなく堕落してしまいそうで怖いんだよな。


 ……うん、やっぱりこの話はなしだ。


 エルフ母娘のダブル嫁。

 あとで死ぬほど後悔しそうな気もするけど、ここは「逃げ」の一手だろう。 


「はるかさんは探索者としても優秀なんでしょう? 体調さえよくなれば、エリクサー代くらい返せるはずです。身体の回復に専念してくださいよ」


 と、まずはるかさんに言ってから、


「ほのかちゃんを助けたのは、俺が勝手にやったこと。ほのかちゃんはまだ未成年なんだ。助けられたことを重く受け止める必要はないんだよ」


 ほのかにも釘を刺しておく。


「俺も男ですからね。はるかさんみたいな女性からそこまで言われて、悪い気はしませんよ。

 でも、貸し借りの感覚で愛人になるみたいなのはなしです。

 もし、万が一、ありえないと思いますが、一時の気の迷いとかよろめきとかで、うっかり本気で俺のことを好きになってしまうようなことがあったりしたら、そのときにまた言ってください。

 まあ、ないと思いますが」


「そ、そこまで予防線張らなくてもいいと思うんだけど」


 と芹香が苦笑する。

 その唇のあたりがむずむずしてるのは……なんだよ?

 そんな噴き出すようなセリフだったか?


 はるかさんは俺の言葉に目を細め、


「ふふっ。本当によいお方に巡り会えましたね、ほのか」


「はい。悠人さんはすばらしい方です。……鈍感なのが玉に瑕ですけど」


 最後にほのかがぼそっと言ったことは、俺の耳には届いていなかった。

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