11 立ち向かったものだけが逃げられる
ダンジョンから出ると、外はすっかり暗くなっていた。
「――悠人っ! 無事!?」
「わっ、芹香!?」
いきなり駆け寄ってきたのは芹香だった。
そのまま抱き着いてきそうな勢いだったが、さすがに芹香ももう大人だ、俺のすぐ前で立ち止まる。
芹香は俺の全身をぺしぺしと確かめながら、
「怪我とかしてない!? 状態異常は!?」
「大丈夫だって。状態異常も、芹香のくれたアクセサリのおかげで毒にはならずに済んだよ」
「よかったぁ〜」
へなへなっと、芹香がその場にしゃがみこむ。
「まさか、待っててくれたのか?」
「だって、おばさまが悠人がまだ帰ってきてないって言うから……」
「オーバーだなぁ」
「オーバーじゃないよ! 今何時だかわかってるの!?」
「何時って……うわ、もうこんな時間か!」
スマホの待機画面には「22:03」と表示されていた。
こりゃ、心配するのも当然だな。
「私なんて、昨日ステータスも見せられてるし! まさかのことがあったんじゃないかって心配にもなるよ!」
「う……それもそうだ」
「逃げる」なんていうハズレスキル(当時)と、その補正で紙装甲になったステータス。
しかも、パーティも組まずにソロで探索。
いくら挑んでいるのが最下級のダンジョンとはいえ、心配するなというほうが無理だろう。
自棄になって無理な探索をしてるんじゃないか……なんて考えも浮かぶだろうしな。
「大丈夫。今日だけでめっちゃ強くなったんだぜ」
「もう、そんなわけないでしょ。低レベルのスライムしかいないダンジョンなんだよ?」
「いや、ほんとだって」
「悠人はすぐそうやって強がるんだから。ゆっくり、自分のペースで強くなればいいんだよ。勝てなかったら逃げたっていい。そのためのスキルなのかもしれないし」
「……もう、逃げたくなんてないんだけどな」
顔をしかめて言う俺に、芹香は驚き半分、納得半分という顔をした。
「やっぱり。悠人、忘れちゃってるんだね」
「忘れる? 何をだ?」
「今言った言葉。『勝てなかったら逃げたっていい』。むかし、悠人が言ってくれたことなんだよ?」
「……いつ?」
「最初は、小学生の時かな。覚えてる、悠人? 私たち、この雑木林に勝手に秘密基地を作ってさ……」
「ああ! そんなこと、やってたな。一応ここも私有地なのに」
「地主のおじいちゃんに怒られたよね。ま、最後には見逃してくれたんだけど」
「だったな。あれ? そういや、あの秘密基地ってどこにあったっけ?」
トタン板やダンボールで作ったちゃちな小屋だ。
十数年も経って残ってるとも思えないが。
「気づいてなかったの? ちょうどここだよ」
「ここ?」
「そう、ここ」
言って芹香が指さすのは、ダンジョンの入口である黒い鏡のようなもの。
「あの真上にダンジョンができたのか」
「残念だけど、なくなっちゃったね」
「そうだな……」
「でも、こんなのは見つけたよ」
と言って、芹香は虚空から何か四角いものを取り出した。
虚空からってのは、「アイテムボックス」のスキルだな。
弁当箱くらいのサイズの四角いものは、ダンジョンの入口を囲む投光器に照らされて、角のところで鈍い光を反射している。
某夢の国のお土産の、クッキーの空き缶だ。
ところどころ錆が浮いている。
芹香はまるで宝箱のようにその蓋を開く。
その中にあったのは、ボロボロに風化した一冊の本だ。
といっても、お世辞にもロマンチックなものじゃない。
「なんだこれ。『離婚調停の進め方』? あ、いや、待てよ……」
その本を見て、当時の記憶が蘇る。
当時、芹香の両親は夫婦喧嘩が絶えなかった。
いや、そんな生やさしいものじゃなく、深刻に離婚を考えるレベルのものだった。
両親が互いを罵り合ってる家に帰りたい子どもなんていないだろう。
それでも芹香は、両親が喧嘩するのは自分が悪い子だからだと言って、あの手この手で二人の仲を取り持とうとしていた。
「子はかすがい」なんて気軽に言うよな。
でも、反発し合う材木を小さな身体でつなぎとめる役割を担わされた子どもは、どうすればいい?
「そんなときに、悠人がここに連れてきてくれたんだ。家に帰りたくないなら、ここを二番目のおうちにすればいいって」
「……そんなこと言ったのか、俺は」
小学生の頃のこととはいえ、面映い。
「逃げたくなったらいつでも来いって言ってくれた。私が泣きながらここにくると、悠人はいつも話を聞いてくれて、水筒に入れたあったかいお茶とお菓子をくれたんだ」
「……そんなこともあったな」
あの秘密基地は、作りが甘いからすぐ壊れる。
雨風をしのげるように、あっちこっちを自転車で走り回って、材料になりそうなものを探したっけ。
芹香が喜びそうなお菓子もな。
「なんとかしようと思って、この本を買ってきたんだよな。子どもの小遣いだから結構高かったんだけど、古本屋のおばあさんが『持っておゆき』って言ってくれてさ」
今から思えば、古本屋のおばあさんもぎょっとしただろうな。
小さな子どもが『離婚調停の進め方』なんて本を、真剣な顔で買おうとしてたんだから。
「でも、全然理解できなかったんだよね。本が難しくてさ。二人でああでもないこうでもないって言い合ってた」
「役に立てなくてすまなかったな」
「そんなことないよ! 裁判のこととかはわかんなかったけど、悠人と二人で考えてると元気になれた。一人じゃないんだって。一緒に立ち向かってくれる人がいるんだって。そう思えたんだ」
「そうか」
「悠人から勇気をもらえたから、私、両親に言ったんだ。『そんなにお互いがキライなら、リコンして』って。『夫婦げんかは子どものキョウイクにもアクエイキョウがあるから、別れてほしい』って」
「そ、そんなこと言ったのかよ」
「二人とも、びっくりしてた。でも、それがきっかけになって、両親は別れた。二人とも、子どものために我慢するって言ってたのに、当の私が悪影響があるって言ったんだもんね」
その後、芹香が母親と暮らしているのは知っている。
というか、お隣さんである。
俺の母親はそのへんの事情を知ってるから、何かと芹香や芹香の母にお節介を焼いていた。
「次に悠人が励ましてくれたのは、中学のとき」
「まだあるのかよ」
「まだあるんだよ。いっぱいある」
「まいったな」
「中学に入って、部活に入って。でも、先輩たちが嫌な空気でね。私が直接いじめられたわけじゃないんだけど、同級生の中にはひどいことを言われてる子たちもいて。顧問の先生は気づかないふりをしてた」
「ひどいな」
「そのときも、悠人はそう言ったよ。私、なんとかしようと思ったんだ。顧問の先生に相談したりしてね。でも、それがまずかった」
「……思い出してきたぞ。竹田とか言ったよな、その顧問」
「そうだね。その先生に相談したら、『部活というのは理不尽な上下関係を学ぶためのものなんだ』って。『そんなことで音を上げてるようじゃ社会に出てからやってけないぞ』って」
「ブラック部活動だな、今風にいえば」
顧問としての管理責任をぶん投げてるだけじゃねえか。
「かもね。しかも、私が相談したことが先輩たちに漏れた」
「最悪だな」
「で、始まったのはひどい言い合い。私は練習試合にも入れてもらえず、走らされてばかり。先生に言っても、『逃げるな』って」
「逃げるな、か。呪いの言葉だよな、それって」
「逃げるな」。
その言葉が最もよく効くのは、逃げずにがんばろうと精一杯努力してる人に対してだ。
最初からがんばる気のないやつは、「がんばりが足りない」と言われても、「そうですか」と聞き流せる。
「がんばりが足りない」「逃げるな」「自分をもっと追い込め」……そういう言葉が刺さるのは、既にギリギリまでがんばってるやつなんだよな。
がんばることには際限がない。
まだがんばれるはずだ。
もっとがんばれるはずだ。
さらにがんばれば、もっと上を目指せるはずだ。
そうやって煽って努力させ、その成果を自分の功績にしてしまう。
がんばったあげくに疲れ果てて倒れたやつのことは、もういらないと切り捨てる。
心の折れた本人が自発的に辞めると言うのを待ってることもあれば、うつになるまで執拗に追い込んで、医師の診断を利用して仕事から干すこともある。
学校の部活動は利益が発生するわけじゃないが、それだけにしがらみは複雑だ。
でも、
「逃げればいいんだよ、それって」
俺が言うと、
「ふふっ。変わらないなぁ」
「なにがだよ?」
「中学のときと同じこと言ってる」
「……そうだったか?」
「そんな部活、逃げてやれって言われたよ。芹香のがんばりを認めてくれないんだから、そんなところでがんばったっていいことないって」
「……わかってんじゃん、俺」
「えっ?」
「いや、その頃の俺のほうがよっぽどわかってたんだと思ってな。俺も結局、逃げられないところに落ち込んで、ズタボロになったあげく、逃げるしかなかった」
「悠人……」
「しかも、何度も騙されるんだよな。俺ってさ、何かに全力で打ち込みたい、そうじゃないと生きてる感じがしないって、ずっと思ってるみたいなんだ。子どもみたいだけどさ」
「悪いことじゃないよ」
「でも、そういう気持ちを利用するのがうまいやつらっているんだよな。やりがいのある仕事だ、大きな責任を負わせますって言われてその気になってがんばって…………それで、このありさまだ」
中学んときの俺が言ったように、さっさと逃げればよかったんだ。
「何事も中途半端なまま投げ出して、残ったのは『逃げた』っていう結果ばかり。そんなの、職歴にもならないし。今度こそはって心を決めて就職しても、また追い詰められて、逃げ出す始末」
「……それは、ちがうんじゃないかな」
芹香がぽつりと……しかしはっきりと否定した。
「逃げるためにはね、悠人。まずは、戦ってみなきゃいけないんだよ。戦ってるから、逃げるんだよ。悠人がそれだけ逃げたんだとしたら、その前に悠人は、同じ数だけ戦ってる。戦った上で、これ以上は無理だ、この先は不利になるばかりだ、そう思ったんだったら、逃げるのは正しい判断のはずだよね」
「せり、か……」
「さっき、ダンジョンから出てきた悠人の顔、疲れてたけど、生き生きしてた。昔に戻ったみたいな目だった。私は……そんな悠人を見ていたい」
俺と芹香は、投光器に照らされた雑木林の中で見つめ合う。
数秒して、芹香の顔が赤くなった。
「と、とにかく。無事だったからよかったけど、心配かけるようなことはしないでよね。おばさんだって心配してたんだから」
「す、すまん」
な、なんか、いたたまれない空気だぞ?
「そ、そうだ、防毒のイヤリングのお礼をしなくちゃな」
俺は無理やり話題を捻り出し、気まずい沈黙を破ろうとする。
「べつにいいよ? 使ってないやつだったし」
「そんなわけにも。そりゃ、俺にできることなんてないかもしれないけど」
「うーん、そうね。じゃ、貸しひとつってことでどうかな? 何か思いついたら返してもらうってことで」
「う。芹香のそれは怖いんだよな……」
俺は迂闊な約束をしてしまったことを後悔した。
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