Sの持論
安良巻祐介
文芸同好会の部室は、文化会館の三階の階段を上がってすぐのところにある。
Sは、うららかな日の差し込む晴れの日の午後などには、ドアを開けるとだいたい部屋の奥の小棚のそばで杯を傾けている。
小棚は会員のお茶お酒の趣味のため、いつの頃からだか据え付けられたちょっと趣味のいいもので、曇りがかった硝子戸の中には、様々な色や形をした小ぶりのグラスやカップが並んでいる。
と言って、近頃は好みの杯でお茶やお酒を飲みたがるような会員も減って、実質的にSのみの趣味のようになってしまっていた。
地味なクリーム色系統の似たようなシャツばかりを好んで着込む彼は、ともするといつも同じ服を着て、ただ光の加減で色調が変わるだけの人物のようにも見える。
複雑な仕掛けや人間心理、精密な写生要素などは殆ど欠いた、模糊とした童話風の小品であったり、抽象画のような奇妙なメルヘンであったり、あるいは絵具をぶちまけた混色のかたまりのような、話とも言えない話だったり、そういうものばかり描いている。
「小説というのは、宝石様のものであるべきだ」
これが彼の口癖である。
「高価なものという意味ではない。むしろ宝石のようであれば、イミテーションでもいいのだ。見た目に綺麗であればそれでいい」
「色とりどりで、きらきらしていて、ただ、綺麗であることが至上である、それ以上でも、それ以下でもない」
「僕は、虹が好きなんだ。あの、光の屈折現象が引き起こす七色の帯は、ひどく無駄だろう。暗示にこそなれど、ほとんど何の意味もないし、雨模様を知らすくらいで、他に何の役にもたたない。ただああやって在るだけだ。それでも、ただひとつ、美しいという、それだけで千金に値する。美しい以外には、殆ど意味のない事物だ」
「色々考えるに、本物よりもかえってイミテーションの方がいいかもしれない。硝子のかたまりであっても、宝石と騙せるくらい美しいのなら、それは本物よりも上等だ」
「よく言うだろう、『
そんな詭弁のようなことを言いながら、Sはひたすらにやにやと笑う。
日中から杯を傾けると言ったが、彼はほとんど下戸なので、アルコール類は飲めない。
甘く煮だした紅茶に炭酸水を注いだ琥珀色のスパークリングであったり、ターコイズブルーの冷たい翠果水であったりを、その日その日の気分に合った、奇妙な柄のついたグラスに入れて、じろじろと眺めながらゆっくり飲んでいる。
その手の中で、火と魚の文様の入ったグラスが溶けかけた氷を転がして、小さく音を立てている。
部屋の奥の棚の傍で、クリーム色の光輝主義者は、もうかれこれ百年ほども前から、色とりどりの夢想に遊んでいるのである。
Sの持論 安良巻祐介 @aramaki88
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