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「……もういいです。先生にはどんな意見を言っても無駄だってよくわかりましたから」

「まさに釈迦に説法ですね?」

「それはないです」


 灯美はあきれて、はあと大きくため息をついた。


 と、そこで、カウンセリングルームに一人の女が入ってきた。相談者だろうか。今日は滝本に続いて二人目の訪問者である。珍しいこともあるものだ。


「あの、私、CMを見てここに来たんですけれど」


 女は、ウロマに軽くおじぎをしながら言った。二十代半ばくらいの、華奢で清楚な雰囲気の美女だった。つややかな黒く長い髪をしていて、紺色のスーツを着ている。仕事帰りのOLのようだった。


「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、そちらにおかけ下さい」


 ウロマはいつものように、部屋の真ん中にいつのまにやら湧いて現れたパイプ椅子を彼女に勧めた。彼女はすぐにそこに腰掛けた。その立ち居振る舞いも大人びていて、上品だった。


「今日はどういったご相談を?」

「はい、実は私、先月、婚約者を亡くしまして……」

「まあ、なんとお気の毒なことでしょう」


 ウロマはいかにも同情しているように言うが、普段の彼を知っている灯美には、とても白々しく見えた。


「では、その悲しみに耐えかねて、こちらへいらしたというわけなのですね。わかります。最近、そういう方は多いのですよ。僕としても、実に心苦しい限りですが、少しでもそんな方たちの心の傷を癒す手助けができればと考えてるわけなのです。たとえばそう、昔、インドにキサーゴータミーという女性が――」

「いえ、彼が亡くなったことに耐えられなくてここに来たわけではないのです」

「おやおや」


 シャクソンスタイル療法とやらの出鼻をくじかれて、さすがにちょっとひるんだようなウロマだった。というか、傷心の相手に、いきなりグチャグチャしゃべりすぎである。どんだけ話したがりなんだろう、この男は。


「もちろん、彼が死んでしまったことが悲しくないわけではありません。やっぱりすごく、つらいです。でも、悩んでいるのはそこじゃないんです。彼が死んでしまった原因なんです」

「はあ、死因ですか。それが何か引っかかる、と?」

「はい。彼は先月、マンションの三階のベランダから下に落ちて亡くなりました。はじめは何かの事故ではないかと警察の方に言われたのですが、その当日の朝、私たちが口論していたのを話すと、それなら自殺に違いないと言われました。そして、そのまま、自殺として処理されてしまって、あまり詳しく調べてもらえなかったのです。でも、私はどうしても、彼が自殺したとは思えなくて……」

「なるほど。婚約者さん亡くなったのが本当に自殺だったのか、あるいは他に何か原因があったのか、気になっておいでなのですね」

「はい! 私、彼の死の真相を知りたいんです!」


 女の目つきは真剣そのものだった。


 それから、女は思い出したように懐から名刺を取り出して、ウロマに手渡し、自己紹介した。なんでも、名前は清川小百合きよかわ・さゆり、年齢は二十七歳で、とある会社の広報室で働いているそうだ。


「では、清川さん。亡くなった婚約者さんというのは、どのような方で?」

「彼は私の二歳年下で、私とは違う会社に勤めていました。名前はジェームズ・ヒロセ。アメリカ生まれで、私とは二年前から一緒に暮らしていました。私は彼のことをジミーと呼んでいました」

「ジェームズ・ヒロセ? 日系人の方ですか?」

「いえ、彼自身にはアジア系の血は入っていません。ただ、ジミーは二歳のころ実の両親を亡くしていて、その後、在米日本人の家に引き取られたそうなんです」

「なるほど、では、日本語も堪能で?」

「はい。育った家ではいつも日本語を話していたそうで、話すぶんには普通の日本人と変わらないくらいでした。さすがに漢字の読み書きはちょっと苦手でしたけれど……」


 話しているうちに、小百合の顔が曇り始めた。ジェームズのことを思い出し、悲しい気持ちがこみあげてきているようだった。


「清川さん、大丈夫ですか? 少し別の話でもして、休憩しましょうか」

「いえ、問題ありません。さすがにあれからもう一ヶ月ですから」


 小百合は気丈だった。


「ジミーはアメリカの高校を卒業した後、日本の大学に進学しました。それで、大学卒業後はそのまま日本の会社に就職して、仕事の関係で、私と出会ったんです」

「なるほど、それで交際を」


 ウロマはふむふむといった感じでうなずく。


「その生い立ちと経歴だと、彼が日本の文化になじめずに精神的に不安定になっていたということはなさそうですね」

「はい。ジミーは日本でも特に不自由なく生活できていました。読めない漢字やわからないことは私が教えてあげられましたし……。だから、私、どうしても彼が自殺したなんて思えなくて」


 小百合は心底悲しそうに柳眉を寄せた。

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