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「まあ、恋愛のカタチは人それぞれです。彼がそのつらい失恋から立ち直って、元気を取り戻して本当によかったですね」

「元気を取り戻したって……あれで?」


 人の不幸をあざ笑ってメンタル回復とか、いくらなんでもありえない。不謹慎、不健全すぎる。


「先生、私、ここでバイトするようになってから、一応自分なりにカウンセラーの仕事について調べてみたんですけど、先生の今のやり方はいくらなんでもおかしいと思います」

「ほう。それはまたどうして? なぜ?」

「だって、普通はああいう落ち込んでいる人に対しては、認知行動療法ってのをやるんでしょう。それで、ネガティブな考え方をポジティブに変えて、鬱な気持ちをやわらげるものなのでしょう。どうして、そういうまともなカウンセリングをしないんですか?」

「ま、そういうやり方をするところもあるのでしょうが、よそはよそ、うちはうちなのです。そもそも、カウンセラーなんて、資格不要の名乗ったもの勝ちの職業なのです。守るべきガイドラインなど、僕にはないのですよ」


 はっはっは、と、あしらうように軽く笑いながらウロマは言う。やはり、この男、カウンセラーと勝手に名乗ってるだけの変人か。


「それに、よく考えてもみてください。認知行動療法は思考や認知の歪みをただし、意識のありようを健康的に変えるものです。科学的根拠は十分にあるものですが、必ずしも万人に通用するものではない。たとえば、最初から性根が腐りきり、根性がねじくれた人に対して、そういう健康的な考え方を薦められるでしょうか?」

「え……」

「誰だって竹のようにまっすぐ、伸びやかに生きていけるものではないのです。ヘクソカズラのように他者にまとわりつきながら、悪臭を放ちながら、ひねくれながら生きる人たちもいるのです。仮に、そういう人たちが落ち込んでいたとして、竹のようにまっすぐな心でいれば楽になれますよ、と、ささやくことは本当に適切なのでしょうか? ヘクソカズラはどうあがいても竹にはなれないというのに」

「ヘクソカズラって」


 何そのひどい名前の草。


「滝本さんは、さきほど灯美さんがご覧になったとおり、太っちょで冴えない中年男性で、頭髪と年収は控えめ、無神経で短絡的で単純で、今まで飲み屋の女性と話す以外、ろくに異性との交流にめぐまれなかった方です。ついでに体からほんのり酸っぱいにおいもします。一目見て、僕は彼は竹ではないと確信しました。ゆえに、認知行動療法ではなく、他人の不幸をあざ笑うことで元気を取り戻してもらうことにしたわけなのですよ」

「はあ」


 話はわかるが、どさくさに滝本の扱いがひどい。ボロクソだ。


「それに、ここだけの話ですが、他人の不幸を知ることで、世の無常を悟り、自らの悲しみから脱却せよとは、あのお釈迦様の教えにもあるのですよ」

「え、あの仏教の?」

「はい。非常に有名な、キサーゴータミーという女性の話です。よい機会なので、お話しましょう。むかーし、昔のことです」


 と、ウロマは語り始めた。なんでも、昔のインドで、キサーゴータミーという女がいたそうな。彼女はやがて金持ちの家に嫁ぎ、男の子を産むが、その子は幼くして死んでしまうそうな。おお、なんと悲しいことでしょう。彼女は大いに嘆き、子供のなきがらを抱えて、家を飛び出しました。その子を生き返らせる薬を求めて。まあ当然、そんなもの見つかるはずもなく、出会う人たちに変人扱いされるばかりで、なんやかやで、お釈迦様のところにたどり着くのでした。


 そこで、お釈迦様は彼女に言います。「よろしい、薬は私が用意しましょう。しかし、それには材料が必要です」女がそれは何かと聞くと、インドではどこにでもある白い芥子の種だと言います。ただし、材料となるのは死人が一人も出ていない家からもらってきたものだけだと。女はすぐにそれを探しに、家々を回ります。だが、そこは古代インド。一人も死人が出ていない家などどこにもありませんでした。どの家も、みんなそれぞれ、家族を失った悲しみを抱えていたのです。女はそこではっと気づきます。自分は子供を失って、とても悲しい気持ちでいたけれども、それは生きていれば誰もがみな味わう、当たり前のものだったと……。


「そう、つまり、諸行は無常。死なない人間はいないし、形あるものはいつか壊れるのです。永遠を夢見て、それにすがりつき、喪失に涙するよりも、せつなのうちに永遠の境地を得る生き方を選びましょうと、そういうありがたい教えなのですよ」

「はあ」


 変な名前の草の例えから、いきなり仏教の話をされても、その、困る。


「まさかそれが、さっきの滝本さんの話につながるんですか」

「ええ、もちろん。彼にも先週、この話を噛み砕いて、わかりやすくお伝えしました。まずは自分以外の人の不幸を知りましょうと。そして、ぶざまな人たちのぶざまな人生をあざ笑って、自分は彼らよりマシだと知り、傷ついた心を癒しましょうと。まあ、こんな感じで」

「いや、ちょっと待ってください。その言い方だと、お釈迦様のありがたい教えからだいぶ離れて――」

「離れてませんよ。むしろ本質に近づいているはずです。お釈迦様も表向きは小難しくて荘厳なことをおっしゃってますが、本音はこんな感じに違いないです。昔からよく言うじゃないですか、人の不幸は蜜の味、と。つまり、人の不幸を笑えば、だいたいの人間は元気になるものですよ。シャーデンフロイデの精神なのですよ。はっは」

「そんなやり方間違ってます。ひどい!」

「何を。灯美さんも先ほど自分の目で見たはずじゃないですか。滝本さんの、あんなに元気いっぱいに立ち直った姿を。僕のやり方の、どこに間違いがあるというのですか?」

「え、いや、その――」

「この、紀元前五百年から仏教とともに連綿と受け継がれてきた、シャクソンスタイル療法を真っ向から否定するというのなら、それ相応の科学的根拠を提示して欲しいものですねえ? 二千五百年の歴史の重みに対抗できるレベルの?」

「シャ、シャクソンスタイルって」


 何勝手に変な名前つけちゃってるの、この人?

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