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「先生、いくらなんでも、角砂糖を食べただけで、何かが変わるとはとても――」

「はっは。初めはみなさんそうおっしゃる。しかし、こういうレメディ的な考え方は実は珍しくもないのですよ。たとえば、喘息の治療の一つには減感作療法というものがありますが、これはアレルゲンをちょっとずつ体に取り入れるもので、なんとなくレメディに通じるものがあります。インフルエンザの予防接種も似たようなものですよね。そもそも予防接種の始まりが、牛痘ウィルスを使った天然痘予防なわけですし。また、花粉症の季節になぜか市場に出回る花粉入りキャンディー。これなんかもう、まさにレメディそのものと言わざるを得ないでしょう。実はホメオパシー的発想は、我々にとって非常に卑近なのものだったりするのですよ」


 ウロマは流暢にまくしたてた。恐ろしいほどの胡散臭さだ……。


「つまり、これを直春に食べさせればいいんですか?」

「ええ。これを食べることにより、直春君の心は浄化され、良心が極限まで高まり、悪いことはもうできなくなるでしょう。あなたへの暴力をふるうような非道な行為を悔い改めさせることができるのですよ。実は、ここだけの話、僕の娘もこれを食べてすっかり健全な心を取り戻しました」

「ほ、本当ですか?」


 信子はその効能と嘘体験談に激しく食いついたようだった。


「本当に、この砂糖を食べさせるだけで、直春はおとなしくなるんですか?」

「ええ、おそらくは。そしてさらに、陰の気がない人間にはまったく無害なものだとお伝えしておきましょう」


 と、ウロマは無造作に瓶のフタを開け、その中の一つを自らの口の中に放り込んだ。もぐもぐ。とりあえず、何の変化もなさそうだった。陰の気まみれの男が食べたはずなのだが。


「菊池さんもどうですか、お一つ」

「はあ」


 信子もつられてそれを食べた。そして、「甘いわ」ともっともな感想を口にした。そりゃ、どう見ても砂糖だし、甘いだろう……。


「まあ、ホメオパシーの理論についてあれこれ言いましたが、ようは清めの塩の砂糖バージョンと考えていただいてよいです。必ずしも万人に効果があらわれるというものではありませんが、天然由来の成分ですので、安心してお使いいただけます」

「はあ、なるほど。でも、こういうのって、お高いのでしょう?」

「いえいえ。実は僕からの紹介に限っては、特別に二週間は無料でお試しいただけるのですよ」

「まあ、二週間も無料で」

「もちろん、その後、強引な勧誘は一切ありません。ご使用を継続されるにしても、誠実で良心的な料金プランをご用意しています」

「それは安心ですわね」


 信子は完全にウロマの口車に乗せられているようだった。


「では、さっそく試させていただきますわね。ありがとうございました、先生」


 そう言うと、角砂糖の入った瓶を抱えて、外に出て行ってしまった。


「せ、先生、陰の気って――」

「ああ、灯美さん。一応、僕のイマジナリー喘息娘の名誉のために言っておきますが、喘息だからといって、体の中に陰の気がたまって精神が蝕まれるなんてことはありませんよ。ホメオパシーも単なるおまじない。あんなのただの軽いジョークですから」

「ジョーク? それってつまり、真っ赤な嘘――」

「嘘じゃありません。あくまでジョーク。なあに、菊池さんにだってそれぐらい当然わかってるはずですよ」

「そうには見えませんでしたけど……」


 めっちゃ信じてたっぽいんだけど? というか、真っ赤な嘘に科学的な話を混ぜて、めっちゃ騙す気マンマンの会話に聞こえたんですけど?


「でも、なんであんな角砂糖押し付けて帰しちゃったんですか? 息子さんの暴力についてのお悩みなんだから、なんで彼がそんなことをするのか、もっとちゃんと話を聞けばよかったんじゃないですか? 息子さん本人にもここに来てもらって」

「それは大変まともなやり方ですね。ゆえに、彼女には通用しません。彼女はモンスターですからね」

「モンスター?」

「そう、モンスター保護者とか、モンスター患者とか、そういう類の。すなわち、モンスター相談者です」

「え、なんでそんなことわかるんですか? ちょっと話しただけじゃないですか?」

「彼女はこう言いました。ここに来るまでに、いろんなカウンセラーに相談を持ちかけたと。そして、誰一人、息子の喘息について理解してもらえなかったと。それは、本当にその言葉通りなんでしょうか? 僕にはむしろ、彼女はどのカウンセラーのアドバイスもまったく聞く耳を持たなかったというふうにしかとれませんでしたけれどね」

「ああ、それでモンスター相談者なんですか」


 灯美ははっとした。


「おそらく、彼女が今まで相談を持ちかけたカウンセラーたちは、僕なんかよりずっとまともで、きちんとしたプロでしょう。彼らがみな、彼女が主張しているように喘息についての知識がなかったとはとても思えません。喘息なんて非常にメジャーな病気ですからね。きっと、誰もが彼女の話を親身になって聞き、適切なアドバイスをしたと思いますよ。今の灯美さんが言ったようにね」

「先生……自分がまともじゃないって自覚はあったんですね」

「そうですね。僕はまともじゃないほうです。だからこそ、彼女のようなモンスターの相手にはふさわしいと言えるのかもしれません」


 ウロマはにやりと笑った。


「心じゃない風俗は、チェンジを繰り返すと最終的に怖いお兄さんが来るなんて笑い話がありますが、心の風俗も似たようなものなのかもしれませんね。相手をえり好みしすぎるというのも考えものです」

「た、確かに……」


 この男は、明らかにヤクザより性質が悪そうだが。


「まあ、そういうわけなので、灯美さんは今日はもう帰っていいですよ。僕はこれから行くところがあるので」


 と、ウロマはふと立ち上がった。


「行くところってどこですか?」

「なーに、ちょっとロシア料理を食べに行くだけですよ」


 そう言って一人でさっさと外に出て行くウロマだった。

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