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「ところで、先ほど、息子さんが喘息の病気のために、仕事を続けられなくなったとおっしゃっていましたが、具体的にはどういった職場だったのですか? 彼が重い喘息であったとしても、場合によっては不当な解雇だったのかもしれません。詳しく話していただけませんか」
「ああ、それなら、どのみちたいした職場じゃありませんでしたわ。ここからそう遠くないところにある、フクースナという小さなロシア料理店です。直春はそこでホール係として働いていたんですけれど、空気がとても悪いところで、すぐに具合が悪くなってしまって。私、何度も店長に、ちゃんとした空気清浄機を店に置くように言いましたの。でも、その人ったら、全然こちらの話を聞いてくれなくて。当然、直春の具合は悪くなる一方で……」
「なるほど。それはやめざるを得ないですね」
「これって、不当解雇にあたるのでしょうか?」
「難しいところですね。個人経営の小さな店ならば、喘息の従業員向けの労働環境を用意できないのも、無理もない話です。体力のある大手とは違うのですから」
「まあ、そうですわよね。そんなところ、辞めさせて正解でしたわ」
信子はホホホと、笑った。ふと、灯美はその笑顔に違和感を覚えた。何でこの人、息子が失業した話をこうも楽しげに話しているんだろう。
それに……。
「あの、私思うんですけど、なんで菊池さんはそんなに息子さんの職場に口出しするんですか? 息子さんの仕事先の話は、あくまで、息子さんの問題でしょう?」
そう、いくらなんでも母親として介入しすぎだと思ったのだ。
だが、灯美がこう言ったとたん、信子の朗らかだった表情は一変した。
「あなた、何を言ってるの? 親が子供の心配をするのは当然でしょう!」
それはまるで鬼のような憤怒の顔だった。灯美はびっくりして、思わず硬直してしまった。なんで急にそこまで怒るのだろう? そんなに変なこと言ったっけ?
「まあまあ、菊池さん。そう気を悪くなさらないでください。実は、彼女はつい先日、ここの雑用係として雇っただけのただの学生です。カウンセリングのことはおろか、喘息のことなどまるで理解していない素人なのです。僕たち、喘息の子供を持つ親の気持ちなんて、とうてい理解できるわけがない。彼女の失言は、上司の僕として遺憾の極みであり、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、どうか大目に見てあげてください」
と、ウロマはいかにも信子をなだめるように言った。何気に灯美の扱いがひどいが。
「……まあ、お若い方のようですし、不勉強なのも無理はありませんわね」
信子は灯美をぎろりとにらんだが、ウロマの言葉で一応納得したのだろう、再び表情を和らげた。
なんなんだろう、このおばさん……。灯美の違和感はますます強まるばかりだった。
「とにかく、話を直春君のことに戻しましょう、菊池さん。彼が時々、あなたに暴力をふるうということですが、やはり喘息のせいで、少しばかり心が陰の気にあてられているのかもしれない」
「陰の気?」
信子は不思議そうに小首をかしげた。灯美も同様だった。なんでいきなり、そんなあやしげな言葉が出てくるんだろう。気功師か何かか。
「僕は実は、かなりの親ばかでしてね。僕なりに娘の喘息をなんとかしてやろうと、あれこれ調べたことがあるのです。そして、一つわかったことありました。喘息というのは呼吸が乱れる病気です。そして、その呼吸の乱れが精神に悪影響を与えるらしいのです」
「まあ」
と、信子は驚いたように目を見開いたが、灯美にとっては眉唾だった。まず、実は親ばかという話の前提がおかしいし。
「ほら、ヨガの呼吸法とか、太極拳の呼吸法とかあるでしょう。呼吸は精神の状態と深い関連があります。実際、海外ではスダルシャンクリヤの呼吸法を実践することで大うつ症状が有意に改善したという研究報告もあるくらいです。呼吸を正しく保つことは、精神を健全にするのです。すなわち逆も真です」
「では、直春が暴力をふるうようになったのも喘息のせいでしょうか?」
「断言はできませんが、その可能性はありますね。つまり、ようは乱れた呼吸によって体の中にたまった陰の気を排出できれば、息子さんはもう暴れることはなくなるかもしれません。そこで、活躍するのがこの商品です」
と、そこで、ウロマは事務机の一番下の引き出しから、大きな瓶を取り出し、机の上にドンと置いた。見ると、その瓶には白い四角い塊がたくさん入っているようだった。
「これって……角砂糖ですか?」
「はい。これは一見何の変哲もない角砂糖。しかし、実は不思議なパワーを秘めているのです」
もはやそのウロマの口調は、テレビの通販番組の司会者のようだった。
「不思議なパワー? ただの角砂糖にしか見えないのですけれど?」
「いえいえ。これは実はヨーロッパの伝統医療、ホメオパシーの理論を取り入れた、特別な砂糖なのです。これにはごくわずかな陰の気が注入されています。そして、それをあえて口から体内に取り込むことで、体の中の陰の気を打ち消すことができるのです。名づけてレメディエックス!」
「レ、レメディエックス?」
信子は半信半疑という様子でまた小首をかしげた。
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