六,赤いサンタの悲劇
芙蓉と紅倉は車の中で、まだ駅の駐車場にいた。
「あら帰ってきた」
車の外に赤いコートが立ったのを見て紅倉が言い、芙蓉といっしょに外に出た。
「お疲れさまでした。無事女の子たちを救出してくれたようですね? ありがとうございました」
紅倉のねぎらいの言葉にも、男は恨みがましく沈痛な面もちをしていた。その顔色は赤色が退いて、むしろ青ざめていた。
紅倉はちょっと申し訳なさそうに微笑んだ。
「思い出しましたね?自分が死んだ夜のことを」
男はうなずいた。
「俺は、雪の車の中で……」
ギリッと、怒ったのか、悔しいのか、悲しいのか、こめかみに激しい感情が走った。
男の姿が暗くかげった。
「待って」
紅倉が呼び止めた。
「奥さんのところに行くつもりですか?
あなたは今、たいへんいいことをしてくださいました。今の心のまま成仏するなら、あなたは天国に行けますよ?
でも、奥さんに復讐するなら、あなたは地獄に行くことになるでしょう。
お願いです、お気持ちはお察ししますが、ここは大人しく、このまま成仏してください」
頭を下げる紅倉に、
「俺の気持ちか……」
と男は荒んだ笑みを頬に刻んだ。そのままスーッと影を薄くしていき、残念そうな顔を上げる紅倉に、
「世話になったな、インチキ催眠術師」
と、手を挙げ、消えてしまった。
紅倉はほっとしたようにため息をつき、笑顔を芙蓉に向けた。
「大丈夫なようね。あの人に復讐するつもりはないみたい」
「さっぱり分かりません」
と芙蓉は腰に手を当てた。
「説明してください」
紅倉はブルッと震えた。厚い雲で辺りが暗くなり、ちらちら、雪が降ってきた。
「車の中でね」
芙蓉は微笑み、
「待っててください、何か温かい物を買ってきましょう」
と屋台に向かった。
車の中でサンドイッチ屋台のホットレモンティーを飲みながら、紅倉は説明した。
「あの人は駐車場でエンジンを掛けて暖房を入れた車の中でうとうとして、積もった雪で排気筒がふさがっているのに気づかず、逆流した排気ガスで中毒を起こし、死んでしまったのよ。
なぜそういう状態になったかというと、子どものクリスマスプレゼントを買いに行くために夜中、家の近くの貸し駐車場に向かったのだけれど、その時彼はお酒を飲んでいたのね。それでしばらく外にいて酔いを醒まそうとしたんだけれど、あいにく大雪が降ってきて、たまらずに中に入って、寒くて我慢できずにエアコンを入れようと、エンジンを掛けたのね。
ではなぜそんな夜中にプレゼントを買いに出発しようとしたかというと、あそこ」
と、紅倉はお蕎麦屋からエレベーターで下りてきた家電量販店を指さした。
「クリスマスセールの目玉商品で、子どもの欲しがっていたコンピューターゲームの大安売りがあったのね。でも台数はたったの五台で、開店前から何時間も並ばないと整理券がもらえなかったのよ。彼の家族は事情があって極力お金を節約しなければならなかった。だからどうしても、その目玉商品をゲットしたかったのよ。
節約しなければならない事情というのは、子ども、小学一年生の女の子が、重い病気に掛かっていたのよ。彼女の治療費と、近い将来の手術費に、大金が必要だったの。
彼は自分の娘をすごく大切にしていた。病気も治してやりたいが、たいへんな闘病生活で、欲しがっているゲームくらいは買ってあげたい。安いお酒で晩酌しながら、ふと新聞の折り込み広告で大安売りを見つけたのね。これなら買ってあげてもいいだろうと、喜んで急いで出掛けたのね。
車の中で中毒になって、ハッと気づいたときには時遅し、意識が朦朧として、手足が動かず、自分ではどうにも出来ない状態だった。
そこへ、酒を飲んで出掛けた旦那を心配して奥さんが様子を見に来た。
運転席でぐったりした様子の旦那を見て奥さんは驚いた。驚いてすぐに助け出そうとしたが……、ここで魔が差した。思い詰めたように後ずさり、きびすを返して逃げていく奥さんを目で追って、何故だ?と彼は緩慢な思考で考えた。
奥さんが彼を見殺しにして逃げた理由、それは、旦那に掛けてある生命保険の為だった。娘の将来を心配して彼は自分に多額の生命保険を掛けていた。それが下りれば、娘の手術もしてやれるだけの。奥さんは娘に手術を受けさせてやるため、旦那を見殺しにしたのよ。
ゆっくりとした思考の中で、彼もそれを理解した。見殺しにされて、ひどい!という思いと、娘のために仕方ないと諦める気持ちと、両方がぐるぐる渦巻いた。しかしそうして思いを巡らせているうちに、彼は自分の置かれている事情を脳の機能低下で忘れていった。娘のため、と思いながら、娘って、誰だ?と分からなくなっていった。娘は、彼の実の娘ではなかった。奥さんの、離婚した元旦那との間に生まれた、連れ子だったのよ。そうして誰だか分からない女の子へプレゼントをしなくてはならないという思いだけが残って、彼は死んでしまった。
その思いと記憶障害のせいで、あんな不細工な出来損ないのサンタのお化けになっちゃったわけね」
肩をすくめる紅倉に、芙蓉は複雑な思いで訊いた。
「ひどい奥さん……なんですよねえ?」
「そうねえ」
紅倉も困ったように首をかしげた。
「でも、自分が地獄に堕ちるのを覚悟で、子どものために旦那を死なせたんだから、悪人ではないのよね。去年の、今よりちょっと前の事ね。きっと奥さんは、旦那を殺したことをずうっと罪に思っているでしょうねえ」
「あの人は奥さんのところへ行ったんでしょうか?」
「たぶん娘さんのところでしょう。手術を受けて元気になっている姿を確認に行ったんでしょう。自分の最後のクリスマスプレゼントだものね」
芙蓉は、みんなが幸せになれる事ってないのかしら、とセンチメンタルに思った。紅倉の言うとおり旦那を殺した奥さんは地獄に堕ちるだろう。しかし旦那の生命保険が下りなければ、幼い娘さんが手術を受けることは出来ず、結果的に寿命を全うすることが出来なかったのではないか? 所詮世の中は万能ではないと分かっていても、人を幸せにするために不幸を作り出さなければならないというのは、なんともやりきれない思いがする。
「みんなが幸せになれればいいですのにね?」
芙蓉は我ながら言わずもがななことを言い、紅倉は、窓の外にちらちら舞い降りる雪を見て、
「そうね。それくらいの奇跡、起こしてくれてもいいわよね?」
と、誰に対してか、微笑んだ。
女の子は順番を待って十月に手術を受け、経過観察を経て、今はリハビリのために一般病棟に入院している。三学期には学校に出られ、三年生への進級も大丈夫そうだ。今まで病気のせいで同学年の子たちに比べてずいぶん小柄だが、これからは元気に運動して健康に育っていくだろう。
夕方、ベッドに起き上がって本を読んでいると、パートを終えたお母さんがやってきた。
女の子は満面の笑顔でお母さんに報告した。
「さっきお父さんがお見舞いに来たんだよ!?」
えっ、と母親は目を見張り顔を青ざめさせた。
「本当だよ。ほら」
女の子は嬉しそうに傍らの窓を指さした。
窓は大きなハート型に白く曇り、そこに太い指で
『メリークリスマス ユイ アンド ママへ フォーエバーラブ』
と、左右反転した文字が書かれていた。
女の子は可笑しそうに笑った。
「お父さん、おっちょこちょいだね? 外から書いたから文字が反対になっているんだよ?」
母親は恐る恐る窓に近づき、イタズラ書きを観察した。普通温かい室内側に霜がついて白くなり、そこにイタズラ書きが出来るものだが、たしかにそのハートマークは、外からケーキのフロストシュガーを吹き付けたみたいにきれいに細かい氷の粒で出来ていて、その反転した文字には見覚えがあった。外を覗けば、ここは四階で、窓の下に足場などない。女の子はちょっと寂しそうに言った。
「お父さん、サンタクロースに就職したんだって。これから世界中の子どもたちのところに出張しないと駄目だから、ユイのところにはもうずっと来れないかも知れないんだって。だからママと仲良くねって」
「お父さんが……そう言ってたの?」
「うん」
母親は今一度窓の文字を見つめ、顔を恐くして涙をこぼした。
「あなた……、ごめんなさい…………」
「あっ、ママ、ほら!」
娘が指さす窓の外を見ると、雪が舞い落ちる中、赤い光が、繰り返し宙に何かの形を描いて飛んでいた。
「ハートマークだ。お父さんだよ!」
「そうね」
母親は深々頭を下げ、しばらくして意を決して顔を上げると、赤い光はうなずくように上下して、空のかなたへ消えていった。
「ありがとうございます…………」
母親は再び深々頭を下げ、顔を上げると、泣き笑いの顔で娘を抱きしめた。
あれから紅倉と芙蓉はもう一度ゲームセンターに行って、クレーンゲームのぬいぐるみをもう一つゲットして、帰宅した。
翌日終業式を終えて帰ってきた三人組に芙蓉からのプレゼントを渡して、紅倉は言った。
「赤いサンタはやっぱりすごく善いサンタだったわよ?」
得意そうな紅倉に、子どもたちは何を今さらという顔をした。学校を休んでいた二年生女子二人が悪い男女にお金目的で誘拐されていたのは、昨日の夜の無事事件解決したニュースで知っていた。
「サンタクロースを信じてるなんて、紅倉さんは子どもだなあ」
生意気に言うユーゾーに紅倉はへーんと威張った。
「お姉ちゃんは本物のサンタに会ったことあるもんねー。羨ましいでしょう?」
「うっそだあー」
男の子たちは半信半疑ながらやっぱり羨ましそうにし、リンちゃんは目を輝かせて訊いた。
「本物のサンタさんって、どんな人? やっぱりお髭の、外国のおじいさん?」
紅倉はううんと首を振った。
「ふつうの、みんなのお父さんと変わらないわよ」
終わり
二〇一二年十一月作品
(旧)霊能力者紅倉美姫43 クリスマスの事件 岳石祭人 @take-stone
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