8(再び、教室で)

 教室には暖房がきいていて、冬の寒さをすっかり追い払ってしまっていた。元気のいいクラスメートになると、上着を脱いでしまっているくらいだ。二月も初めで、季節は冬のまっただなかというところだったけれど。

 わたしは今日も、友達と他愛のない話をしていた。いつも通りの、日常を健康的に通過させていくための、必要不可欠で儀式的な行為だ。

「でさ、ちょうどその時に携帯の電池が切れちゃって」

「何それ、最悪じゃん」

「でしょー」

 教室の向こうでは、みわちゃんが相変わらず一人で本を読んでいた。じっとして、ただ黙々とページの上に意識を集中している。賑やかなクラスメートの話し声も、暖房の送り込んでくる温かい空気も、彼女にとってはまるで存在していないみたいだった。

 でも――

 何故だかそれは、前ほど危なっかしいものには見えなかった。前みたいに、世界のはしっこから落っこちてしまいそうな感じには。

 そこにはちょっとした補強材というか、バランスをとるための重石が加わっている気がした。多少の風や、水面のさざ波くらいじゃ、ひっくり返ったりはしない。

 ――それはただの、わたしの希望的観測だったのかもしれないけれど。

「…………」

 わたしとみわちゃんはこの日常では、つながっているわけじゃなかった。わたしたちは普通の友達みたいに、笑いあったり、ふざけあったり、おしゃべりをしたり、そんなことはしない。

 たぶん、そうするにはこの場所はんだと思う。

 それでも、あの日の空がわたしたちをどこかで結びつけていた。心のどこか奥のほう、それこそ秘密の花園みたいな場所で。そのつながりは目には見えないし、手にも触れられないし、曖昧で、不確かで、頼りなかったけれど――それでも、確かに。

 不純物の多すぎる教室のざわめきや、調子の悪そうな蛍光灯の光、窓の外に広がる厚くて重たい鉛色の雲。わたしたちの日常を構成する、そんなものたち。

 ――くしゅん

 と、その時、みわちゃんが不意にくしゃみをした。それを見ていたわたしは、何故だかくすりと笑ってしまう。

「……どうかしたの?」

 友達に訊かれて、わたしは「何でもない――」と、首を振って答えた。それはわたしだけの、ちょっとした秘密みたいなものだったから。

 そうしてわたしは、あくまで惰性的で、荒っぽくて、あまりきれいとは言えない日常を過ごしていく。心のどこかでは、夜空の特別な星座みたいな、みわちゃんのことを考えながら。



 たぶんみわちゃんの言うとおり、世界をきれいなままにしておくのは難しいのだろう。そこには、どうしようもない行き違いや、避けようのない痛みや、抱えきれないくらいの悩みがあふれている。

 そんな場所を好きになるのは、とても難しいことだ。

 けど、彼女の瞳を見ていると、それでもわかることがある。世界にはちゃんときれいなところもあるし、それは意外なほどの強さと確かさで守られていたりもするのだ。

 わたしはこれからも、みわちゃんの味方でいたいと思う。

 ――そうすればきっと、世界を少しでもきれいなところにしておくことができると思うから。

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雪が降る頃には、あの子は 安路 海途 @alones

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