ラスボスなみに手強いやつ2



 では、その三人称って、なんだ? ですよね。

 三人称とは、神視点とも言われる視点です。

 神さまのように、物語を俯瞰的に見る視点のこと。観察者の目と言ってもいいかもしれませんね。


 僕、あなた、などではなく、“咲子は思った”“徹がそのとき考えていたのは、こういうことだ”などのように、おもに人名を主語にして書かれます。


 初心者のかたは、とりあえず、ここまで知っていればいいでしょう。これ以上は、ややこしくなるので。


 では、ここからは、そこそこ書きなれてきたけど、視点のことが、よくわからない。視点が乱れるって言われるんだけど、どういうこと? と日ごろ悩んでおられるかたのために。


 ちなみに、語り手(ナレーション)と、視点人物は違います。



 これは、徹が三年前に咲子から聞いた話だ。


 裏山の公園に一時期おかしなウワサが広がった。真相をたしかめるため、咲子は当時つきあっていた彼と、その公園に行ったらしい。時刻は真夜中、三時。車から降りると、いきなり背後で物音がした。

 ふりかえった咲子は、闇のなかに光る一対の目を見た。

 それは獣のように赤く光っていたと、咲子は語った。



 これ、語り手は徹ですよね。徹が、咲子から聞いたことを読者にむかって話しています。ですが、この物語のなかの風景をじっさいに見ているのは、咲子です。


 通常は、語り手=神さま(作者)ですが、このように、作者とは別に語り手が存在することもあります。


 物語の冒頭や合間に、ナレーションが入るのは、マンガや映画などの手法ではよくありますよね。あれと同様だと思ってください。


 映画の場合、物語を俯瞰的にながめているのは監督。だけど、進行役として、語るのはナレーション。

 語り手は監督と違って、物語のすべてを知っているわけではないし、ときとして物語の進行上、ウソをつくこともあります。

 神さまとのあいだにワンクッション置くことによって、物語を入れ子状に、多構造にしているわけです。

 多構造には、物語に重厚さを出す、ミステリーなどでミスリードに用いる、などの利点があります。


 では、基本的な三人称にもどって説明します。


 もっともベーシックな三人称では、神さまは観察者です。物語の風景を見聞きし、いろんな人物のようすを知ることができます。が、それは、キャラクターたちを外側から見たことだけに限られています。

 登場人物たちの内面までは書けません。



 咲子の顔が、みるみる蒼白になっていく。

 赤く光る目が、じっと咲子を見つめていた。

(やだ。何、あれ……?)



 これが、心情にふみこまない神視点です。心情は外から見える咲子のようすと、カッコのなかで表現します。

 視点の乱れが起こりにくい、安定した三人称が書けます。


 このとき、三人称には、いくつかの縛りがあります。

 まず、神さまはウソをついちゃいけません。神視点の地の文では、必ず真実を書いてください。

 もう一つは、さっきの一人称と同じです。ワンシーンのなかで、視点人物を動かしてはいけません。視点が狂いやすいからです。


 ずっと咲子の視点で書いてたのに、いきなり彼の視点に移ったら、読者はそれを見ているのが誰なのか、わからなくなります。

 上の例文で、じつはカッコのなかの、“ヤダ、何あれ”が、彼の思ったことでした、と僕が言いだしたら、みなさん、ふざけんな東堂と思うでしょ?


 神視点を書くのになれるまでは、忠実にベーシックな三人称にこだわったほうがいいです。


 コツは、1、外から観察する。2、心の声にはカッコをつける。3、一つの場面のなかで視点人物を動かさない、です。


 でも、少しなれてきて、一場面じゃ長いんだよね。もうちょっと短いあいだで視点人物を変えたいんだけど……というときは、少なくとも、段落のなかでは同じ人物の視点で固定しましょう。

 それも、ひんぱんには変えず、なるべく大きなブロックで変えるほうが、読者に混乱がないです。

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