(4)

   ◆◇◆◇◆


「何、言ってんだ?」


 不信感全開に眉根を寄せてすずめ丸が口を開いたのは、優に呼吸三つ分の後。


「心を喰らえだ?」


 大分調子が戻って来たものか、すずめ丸は佐倉の腕から出るように座り込んで老僧を睨み付けた。


「何ふざけたこと抜かしてやがる?!」

「別にふざけてなどおらんさ。単に興味があるのだよ」

「興味だ?」

「そうさ。心を喰われるというのがどういうことか。どうやって心の一部だけを喰えるのか、非常に興味がある。これまでわしが出会って屠って来た《心喰い》の中に、そのような器用なことをできるモノはいなかったからな」

「知ってどうする」と問い掛けたのは佐倉。

「別にどうとも」と答えたのは老僧。

「言っただろ。単に興味があるからだと」

「興味本位で心を失うのか?」

「構わんさ。人生は一度きり。余命いくばくもないこの身なれば、やりたいことをやりたいと思ったまでのこと。出来るか?」

「出来ない」


 即答したのは佐倉。


「何故だ?」


 老僧は嗤う。気分を害した様子もなく。

 佐倉は答える。淡々と。


「あなたからは強い感情を見受けられない」

「?」

「私たちが心を得るためには、抱くことで日常に不利益を及ぼしかねぬほどの強い想いを打ち明けてもらわねばならぬため」

「ほほぅ。私たち――と言ったか」

「ああ」

「やめろ、佐倉。説明する必要なんてねえ!」

「いやいや。聞かせてもらおうか。何なら脅しても構わぬぞ? 《心喰い》の命が惜しくばわしの心を喰ろうてみよ――とな」

「っ!」


 老僧は完全に勝ち誇っていた。

 経を上げられただけで、存在そのものをバラバラにされてしまいそうな痛みと喪失感にも似た感覚を味わったすずめ丸は、怒りに顔を赤らめながらも口を継ぐんだ。

 だが、それも一瞬のこと、


「だからって話すんじゃねぇぞ、佐倉。こっちが約束守っても、そいつが経を唱えればオレは死ぬ!」

「そうはさせない」


 間髪入れぬ反論に、驚きもあらわにすずめ丸は佐倉を見た。

 佐倉はいつも通りの能面のごとき無表情。

 口調もいつもと変わらぬ淡々としたもの。

 だが、気のせいか、どこか威圧感のようなものを発していた。

 探ったところで感情らしい感情の芽吹きは感じられない。

 それでも、すずめ丸は似たような残り香を感じたことがあった。

 怒りだ。佐倉が怒っているのだ。あの佐倉が怒っているということに、すずめ丸は震えた。


「心を喰われれば考え方も変わる。喰らえば最後、すずめ丸が狙われることはない。そうだな」

「そうだ、そうだ。だから見せてくれ。お前さんたちの《心喰い》を」

「ならば話せ。失っても良いほどに、日常において邪魔な感情を」


 佐倉が懐から巻物を取り出して砂利石の上に座り込む。

 その手にはすでに筆と墨。


「一体何を始める気だ?」


 まったくの予想外だったのだろう。

 老僧は眼を大きく見開きパチパチと瞬くと、一切の警戒心もなく佐倉に近づいた。


「それ以上近づくな!」


 佐倉との間が一間と詰まるころ、すずめ丸が間に入って威嚇した。

 それを見た老僧は足を止め、フンと鼻を鳴らすとその場に座り込む。


「して? 近づかずしていかに《心》を喰らうのだ?」


 挑発するかのように老僧が促せば、『話せ』と、佐倉は短く促した。


「何を?」

「失っても良いほどの感情だ」

「さっきもそう言っただろうが」


 と、すずめ丸が苛立ちも露わに吐き捨てて来るのを、老僧は『ひひひ』と笑って怒りを煽り、


「では、話すとするか」


 もったいつけながら話し出した。


  ◆◇◆◇◆


 それは、これまで佐倉たちが聞いて来たものとはまるで違うものだった。

 老僧が語った内容は、これまで老僧が出くわした《楽しい》思い出ばかり。

 それでも佐倉は墨を含ませた筆を走らせ、老僧の言葉を綴っていく。

 老僧はその様子を愉快気な口調とは裏腹に冷静に眺めていた。

 何とも奇妙な感覚を感じていた。

 何がどうと言い表すことのできない感覚。

 この感覚は何かと意識を傾けながら、老僧は語り続ける。

 すずめ丸は始終不快気な表情を浮かべ、佐倉はただひたすらに書き綴っていく。

 どちらも相槌は打たない。

 どんなにふざけたことを言っても、鼻で笑われることもなく、ただただ書き綴られていく。

 

 面白みも何もない。

 ただ老僧だけが楽しげに語り続ける異様な空間。

 だが、語るうちに老僧は気が付いた。

 自分が徐々に削り取られているということに。

 そうとしか言い表しようのない感覚に。

 語る端から少しずつ《自分》が消えて行っているということに。

 それがあまりにもささやかだったから気が付かなかった。


 自分が削られて行くという感覚に、老僧は怖気を感じた。

 だが、語り出した老僧は語ることをやめることが出来なかった。

 言葉が勝手に綴られて行く。

 語る傍から、自身が見えぬ糸と化して引きずり出され、糸巻のごとく佐倉の動かす筆に絡め取られ、白き紙に縫い綴られて行く。


(これが《心喰い》だというのか?)


 完全に予想外の展開に戸惑いが隠せない。

 一思いに喰われるのだとばかり思っていた。

 少なくとも、《心喰い》とはそういう物だった。

 まどろっこしいことなど何もない。目を付けた《心》を一瞬にして喰らう。

 だからこそ、感情の一部――心の一部だけを喰らうということは出来なかった。

 故に不思議だった。

 明らかに《心喰い》によって心を喰われた痕跡がありながら、何故他の感情は無事でそれなりに生活を営めているのかと。


 それだとて、時がたてば隙間を埋めるように《魔》が巣食うのだとしても、不思議で仕方がなかった。

 体験している今でも、老僧は不思議でならなかった。

《心喰い》であることを自白したすずめ丸は何もしない。

 やっていることと言えば老僧を睨み付けて来ることだけ。

 心を削り取り、書き綴っているのは心がない空ろな人間。

 何故人間にそんなことが出来るのか。


(一体こ奴らはなんなんだ?)


 思う一方で、意識が朦朧としてきたことを自覚する。

 このままではマズイと思うものの、老僧の語り口は止まらない。

 もっともっとと催促されるかの如く、老僧は語る。

 老僧の語ったことを綴っているのか、佐倉が綴った言葉を老僧が語っているのか、もはやどちらがどっちか分からなくなるほどに、老僧は語り、佐倉は綴る。

 おおよそ、字とは呼べぬおかしな線を。他者には読めぬ、秘する文字を。


 そして見る。あの、無表情無感情な能面のごとき顔の佐倉が、にやりと楽しげな笑みを浮かべるのを。

 時同じくして、老僧の意識は完全に途切れた。

 意識をなくした老僧の体が、ゆっくりと前のめりに倒れ伏す。

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