第八章『《心喰い》のネタ集め

(1)

 どさりと地面に倒れ伏した老僧を見て、すずめ丸は訝しげに顔を顰めた。

 これまで、佐倉と共に《心喰い》を行って、誰かが意識を手放し倒れたことは一度もなかった。

 一体何の真似なのかと不信感全開で眺めているが、起き上がる様子はない。


(本当に気を失ったのか? それとも芝居か?)


 芝居だとすれば、顔面から砂利石の敷き詰められた地面に勢いよく倒れるのだから、よくもまぁ痛みに耐えられたものだと呆れ果てるところだが、もしも本当に気を失ったのだとしたら腑に落ちない。


「佐倉」

 と、意見を求めようと顔を向けるすずめ丸が言葉を飲み込んだのはその時。

 すずめ丸が見たのは、これまで見たことがないやたらと下卑た笑みを浮かべた佐倉その人。

 見た瞬間、得も言われぬ悪寒がすずめ丸を襲った。


「どうした?」

 と、嘲るような口調で佐倉が問い掛ける。

 刹那、弾かれたようにすずめ丸は駆け寄った。佐倉にではなく、倒れた老僧に向かって。

 駆け寄るや否や、肩を掴んで乱暴に起き上がらせれば、老僧は白目を剥き、口を半開きにしていた。

 そして知る。老僧が全く呼吸をしていないことに。

 漂う死臭が遠の昔に老僧が絶命していたことを告げていた。

 すずめ丸は、何が起きたのか理解して、怒りに腸を煮え繰り返しながら《佐倉》を睨み付けた。


「てめぇ……初めからそのつもりだったのか」


 殺意に黄金色の瞳をぎらぎらと光らせ、呪わんばかりに低く呻く。

 対して《佐倉》は、勝ち誇った笑みを浮かべ、両手を軽く広げて告げた。


「当然だろ。こんな都合のいい器を目にして放っておくわけがないだろ?」


 本来ありえぬ口調ですずめ丸を嘲笑う。


「そのジジイはもう限界だったんだよ。ただ、そいつの法力ってやつは都合が良かったし、他の連中からもいい隠れ蓑になったから利用させてもらってたけどな。いかんせん、動かすにも年寄りは疲れるんだよ」

「ふざけるな!」

「ふざけてなんかいないさ。むしろふざけていたのはお前の方だろ? こんないい獲物を目の前にして入り込まないでどうする? と言うか――」


 そこでがらりと表情が変わった。

 嘲りの笑みが消え、冷淡な視線がすずめ丸を貫く。


「どうして《心喰い》でありながら、心が満たされている?」

「それはオレが聞きてぇぐれぇだよ!」

「何故人の身に入るのではなく、生身の体を持ち合わせている?」

「オレだって知らねぇよ!」

「きっかけはなんだ?」

「佐倉だよ!」

 とは言わなかった。

 ただぐっと、唇をかみしめて押し黙る。


「言え」

「知らねぇ」

「言え!」

「知らねえ! 気づいたらこうなってたんだよ!」

「そんなはずはない! きっかけもなくそんなことが起こりうるはずがないんだ!

 ――と、そうか。こいつか。こいつなんだな」


 何がどう繋がったものか、唐突に《佐倉》は真相に辿り着いて確信する。


「その顔。図星か」


 更に、思わず忌々しげな表情を浮かべてしまったすずめ丸の反応が後押しをする。


「そうか。そうか。こいつがな」


 独り言のように満足げに頷くと、何が面白いのか、くつくつと肩を震わせて笑い出す。

 これは傑作だと、腹を抱えて笑い出す。

 その笑い声は、すずめ丸の神経を逆撫でした。

 気に入らないどころの話ではなかった。

 自分のお気に入りが横取りされた。

 自分のものだと思っていたものが穢された。

 気に入らなかった。気に入らなかった。気に入らなかった。


 目の前が赤く染まった。

 憎悪と殺意が限界まで一気に膨れ上がる。

 それは、周囲に風を巻き起こした。

 木々が恐れをなして喚き出し、ガサガサガサガサと救いを求める。

《佐倉》が笑い声を引っ込めて、今にも襲い掛からんばかりのすずめ丸を見下ろす。

 佐倉の顔で、佐倉の声で。

 佐倉にあるまじき顔で、佐倉にあるまじき声で。


「改めて、これから頼むぜ、きょうだい」


 ふざけきったその言葉が切っ掛けとなった。


「そいつを返せ!」


 砂利石を蹴り立ててすずめ丸が距離を詰める。


(何が何でも引きずり出してやる!!)


 引きずり出して、食い散らかしてやると、怒りの衝動のままに抜き手を突き出す。

 相手が同族であれば、引きずり出すことは可能。喰らったところで腹の足しにもならないが、この世から消滅させてやる気持ちで襲い掛かる。が、


「分かりきった行動は受け止めることも容易だぜ?」


 意図も容易く受け止められた。

 睨み上げる視線と、見下す視線が宙で交わった刹那。


「なっ?!」


 驚愕の声を上げたのは《佐倉》。

 同時にすずめ丸は見た。佐倉の体から半身抜け出している同族の姿を。

 それは、獣人のごとき姿をしていた。

 その、柔毛に覆われた顔が狼狽の色を浮かべる。

 無理もない。


「何故だ?! 何が起きてる?! こいつの中身は空っぽのはずだったのに! どうしてオレが押し出されてるんだ?!」


 すずめ丸にしてみれば意味の分からないことを口走りながら、獣人はじわりじわりと佐倉の体から押し出されて行く。

 その途中、獣人はギッとすずめ丸を睨み付けて叫んだ。


「そうか! お前がこいつの《心》そのものなんだな! だからお前が近づいたせいでオレが押し出されたんだな?!」

「?!」


 それは、すずめ丸の想像もしたことのない可能性だった。


(オレが……佐倉の《心》?)


 確かにすずめ丸は佐倉の《心》を喰らった。

 だが、喰らった心はすぐに消化されてしまう。してしまうのが《心喰い》。

 だが、それをきっかけにすずめ丸はすずめ丸としての外見を手に入れていた。

 理屈は解らない。解らないが……。


「なんなんだお前らは!」


 獣人姿の《心喰い》が怒りも露わに怒鳴り付けて来る。

 その姿は宙に漂い、憎しみの籠った赤い瞳をぎらぎらと光らせて。

 すずめ丸はそんな獣人を睨み上げながら、ぐったりと意識を失っている佐倉の体を支えながら、未だかつてないほどの速度で考えていた。

《心喰い》でありながら満たされた心を持っている理由を。

 何故か佐倉の傍から離れられない理由を。

 佐倉が心を失ってなお普通の生活を営んでいる理由を。

 そして、佐倉が《心喰い》のごとく、他者の心を奪う力を有している理由を。


(もしも本当にオレが佐倉の《心》なのだとしたら……)


 すずめ丸は佐倉の一部。

 だからこそすずめ丸は《心》を失わなかった。

 だからこそすずめ丸は《心》を保つための姿を得た。

 理屈は解らない。何故そんなことが起きたのかも解らない。

 分からないが、起きたのだ。

 

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