(2)

「そもそも! あの時はあんたの心を喰うために手を取っただけだし! 今手を取ったのは――」

「取ったのは?」

「取ったのは――」

「私にはもう差し出す心がないのに、君の理屈だともう手を取る必要なんてないはずだが?」

「う、うるせえよ! 知らねぇよ! 気が付いたら掴んでたんだよ!」

「そうか」

「笑うな!」

「笑ってなどいない」

「嘘だ!」

「嘘なものか。どうやって私が笑うと言うんだ」

「そ、れは、そうだけど!」


 淡々とあっさりと返されてしどろもどろになるすずめ丸。

 その様子を見て、佐倉はしみじみと思わずにはいられない。


「君は面白いな」

「面白くない! お前が変なだけだ!」

「そうかもしれないな」

「そうかもじゃなくて変なんだよ! 心を奪われておきながら、奪った相手を恨むでもなく憎むでもなく」

「そもそもそういう感情を抱く心を喰われたからな」

「それでも! 普通は恐れるものだろ!」

「そうなのか?」

「そうじゃないのか?」

「生憎、心を喰われたのは君が初めてだったからな。他に喰われた者たちはどうなのだ?」

「知らねぇよ」

「知らないのか」

「だって、喰ったら後は用済みだからな。さっさとそいつの元から移動してたし……」

「ふむ」

「なんだよ、ふむ。って」

「いや、だとしたら、何故君は私の元へ留まってくれているのかと思ってな」

「それは――」

「それは?」

「解んねぇよ」


 ぶすっと不満全開に頬を膨らませてそっぽを向かれる。


 それを見て、佐倉は思う。面白いと。楽しいと。

 心からそう思っているのかと誰かに訊ねられれば、断言など出来はしない。

 だが、もしも自分が戯作の登場人物だとしたら。その登場人物はこんな時、そう思うだろうと佐倉は思っていた。


 人に宿る負の感情。恐怖や恐れや怒りや妬み。嫉みに憎しみ。その凝縮した感情に染まった心が好物だと言って喰い漁って来た《心喰い》と言う名の妖。

 本来は人の姿などない目に見えぬはずのものだったとすずめ丸は言っていた。

 だが、何の因果か、佐倉の心を喰らった後に人の身を得た。


 確かに初めはすずめ丸も戸惑っている様子はあった。何が起きたのか理解できていない様子も見ていれば分かった。だが、それを押し隠す素振りがあったから、佐倉はあえて何も言わなかった。

 すずめ丸が自分の命を救ってくれた。

 ただそれだけで十分なことだった。

 その後、まさか居つかれることになるとは思ってもみなかったが、すずめ丸は佐倉の傍から離れなかった。


 不思議なものだと佐倉は思った。自分だけに見えている現象なのかとも初めは思ったが、すずめ丸は長屋のほかの住人たちにもきちんと見えていた。


 あれ? どこの子だい? え? 佐倉さんの隠し子かい?


 と、しばらく話のネタにさえなった。

 それでもすずめ丸は傍を離れずに共に過ごした。

 周りから言われたから。と言うわけではないが、佐倉はすずめ丸のことが自分の子供だったらと時々考えるようになっていた。

 親から見た子供とはどういう存在なのかと思いを巡らせ眺めていた。


 だが、相手は妖だった。人の感情に飢えるものだった。

 人の食い物で腹は満たせるも、満足できるかと言えばそうではなく時々ふらりといなくなっては戻ってくると、とてつもなくご機嫌な時があり、本人は隠しているが誰かの心を喰らって来たのだということは佐倉にも解っていた。


 故に不思議だった。何故戻って来るのかと。

 ただ、しつこくそのことを聞いて、本当に帰って来てくれなくなったらと思うと、きっと淋しいのだろうと佐倉は想像していた。

 心を喰われてから淋しいと思うこともなくなったが、ふらりといなくなった程度で狭い長屋の部屋が広く感じて落ち着かなくなるのだから、きっと光が消え失せたような詰まらなさが溢れかえり、佐倉は生きている意味を見出せなくなっているかもしれなかった。


 手放したくないと、本能的に思っている自分に気が付いたのはその時で。

 一人暮らしは自由気ままで楽なものと思っていた自分は、思っていた以上に孤独を受け入れられていなかったのだと思い知った。

 だからこそ、すずめ丸が何であろうと共にいてくれることに安堵していた。

 人ならざる妖だとしても。人の形をして、人のように振舞って。自分にはない喜怒哀楽を自分の代わりに沢山表現するすずめ丸。


 すずめ丸を主人公に戯作を書いていると知れば、一体どんな顔を見せてくれるのかと考えると、共に作中に出て来る《佐倉》は楽しみで仕方なかった。

 自身の感情は失われているが、登場人物としての《佐倉》は喜怒哀楽を失ってはいない。

 素直とは程遠い《すずめ丸》と、その《すずめ丸》に振り回される《佐倉》の『物』にまつわる人情噺。


 だからこそ、すずめ丸の反応が面白いと佐倉は思っていた。

 一切の感情を表せなくなった自分より、ずっと人間らしいすずめ丸のことを見ているのは、何よりも佐倉にとって楽しいことのように思えていた。

 素直ではなく、見栄っ張りで意地っ張りなすずめ丸。理由は何であれ、


「いつも共にいてくれてありがとう」

「だから! オレはオレの事情で居座ってるだけで礼を言われる筋合いはないってんだ!」

「っ」


 ベシリと、今度は固めに絞られた手ぬぐいが顔面に叩きつけられる。

 正直、水浸しの時より痛みが強かった。


「痛いんだがな。すずめ丸。もう少し優しくしてくれるとありがたい」

「知るか! そんだけしゃべられるなら自分でやれ!」


 完全に機嫌を損ねたのか、背中越しに言い捨てられる。

 それでも、仕方がないとばかりに体を起こすと、


「なんだよ。なんで起きてんだよ」


 不機嫌ながらも問い掛けて来て、


「いや、少し厠へ行きたくて」


 と、人である以上どうしようもない事情を口にすれば、


「面倒くせぇなぁ」


 と言いつつも肩を貸して連れて行ってくれるすずめ丸が、やはり傍にいてくれることはありがたいと思わずにはいられなかった。



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