第三章『焔燃ゆ』
(1)
ごうごうと、唸りを上げて人々の目を奪っているのは、晴天に手を伸ばし踊り狂う炎の群れ。
熱風が、邪魔をするなとばかりに人々を遠ざけ、懸命の火消し作業を嘲笑う。
町自慢の火消したちが、揃いの半纏を身に纏い、延焼を避けようと周囲のお店を打ち砕く。
それを、家財道具を商売道具と共に運び出した住人たちが、恐怖と絶望を顔に張り付け見守る中、炎は躍る。
我を見よと両手を広げ、裾を翻し、黒煙を立ち昇らせ天を誘う。
人々は魅入られる。
誰にも手出しなどできぬ美しき炎に。
圧倒的な力を持つ炎の前に、無力さを抱きながら、恐怖に顔を引きつらせながら、それでも足を止めて見入ってしまうのは何故なのか。
数多の観衆の眼を向けられて、伸ばした手を掴む者がいないと知ったかのように、天に天にと伸び上がる炎。
それを、佐倉とすずめ丸も人垣から少し離れたところで見ていた。
昼を少し回った頃だった。
《心移し》の際に用いる筆の予備が残り一本となってしまったことから、買い足すために馴染みの筆屋に立ち寄り、少し早めの昼餉を済ませた帰り道のことだった。
火事だ火事だと騒ぎながら駆け出す人々に促されるように見れば、確かにもくもくと黒煙が立ち昇っていた。
別に野次馬根性が働いたというわけではないが、帰り道の一つだとして佐倉たちも火事場へと向かうと、離れていても焦げ臭いにおいと共に熱風が周囲を圧倒していた。
もう無理だとばかりに、炎に抱かれたお店が崩れ落ちる。
ぐしゃがしゃと、盛大な音を立てて力尽きるお店。
それでも炎の勢いは緩まない。
火消したちは打ち壊したお店に燃え移らぬようにと水を掛ける。
人の力は無力だった。
見ていることしか出来なかった。
出来ることは被害がこれ以上広がらないこと。
燃えぬ限り、物は残る。
物が残ればやり直しもきくが、燃えつくされてしまえばどうしようもない。
だが、燃え盛る炎を相手に抗う術はない。
故に、人々は見守ることしか出来なかった。
――しかし、ここ数日続き過ぎじゃないかい?
――だよねぇ。あたしもそう思ってたとこだよ。
――冬じゃあるまいし、火の気はどこも神経尖らせて管理してるっていうのにさ。
――火を使う食事処だっていうなら解るよ? でもねぇ~。
――そうそう。これまで出たところは皆、今の時期火を使わない店ばかりだろ?
――付け火じゃないかって噂だよ。
――ええ?! それじゃああんた、捕まったら火あぶりじゃないか。
――そりゃそうだろうさ。人死にだって出てるんだから、おんなじ苦しみと恐怖を味会わなきゃならないだろう?
――共通点ってあるのかい?
――いったいどんな恨みを買ったのかねぇ。くわばらくわばら。
聞くともなしに流れて来た話の内容が耳に入る。
「確かに、この数日続いてるよな。それに……」
くんくんと犬のごとく周囲の臭いを嗅いだすずめ丸は、きらりと黄金色の瞳を光らせニヤリと笑い、
「モノ以外にも燃えてるぜ」
と、暗に逃げ遅れた奴がいることを示唆して見せるが、
「……佐倉?」
何の反応も返ってこないことに不満げな顔をしてすずめ丸が少し見上げると、佐倉はただただ炎を見つめていた。
「佐倉?」
名前を呼んでも反応の一つもない。
途端にすずめ丸はゾッとした。
「おい! 佐倉!」
思わず袖を引っ張りながら名を呼べば、
「少し前までは、確かに私は最も火事を恐れていたはずなんだがな……」
何の感情も籠らぬ淡々とした声が反応を示した。
「感情がないというのは、やはりある意味では便利なものだな。お陰でいい年をして頭を抱えて震えるなどというみっともない姿を晒すこともない」
「……」
「嘘だと思うか?」
能面のごとき無感情な顔が、眼が、ちらりとすずめ丸に向けられて。
「君と出会う前はそうだった」
再び燃え盛る炎へと視線を移して、佐倉は淡々と続けた。
「私は火事が怖かった。あらゆるものを無に帰してしまう炎が怖かった。原因は覚えていない。おそらくその覚えていない頃に何かよほど恐ろしい思いをしたのだろう。確かめようにも縁を切った家に帰るわけにもいかないため原因は解らぬが、とにもかくにも大きな炎を見るのは恐ろしかった。故に、あの火事を知らせる鐘の音も駄目だった。
アレが鳴ると不安に苛まれて震えていたからな。それがどうだ。これだけ直視していても恐怖も不安も湧き起らない」
「…………」
「炎を恐れる感情が、それを生み出す心ごと喰われたお陰で、私は今、こうしてまざまざと炎を観察することが出来る。これを見て、美しいと思う感情は湧かない。それでも、魅入られているということは解る。目は奪われるが失った心は動かないせいで、本当に魅入られているのかどうかは分からないが、飽きることもないのだとは思う。面白いものだ。いや。そんなことを言っては不謹慎か。心を失っても道徳観念まで失ったわけではないからな」
「……」
「行こう。すずめ丸。火事ももうじき収まる。この件で被害に遭った者たちには同情するが私たちに出来ることは何もない」
口調はいつもの淡々としたもの。そこには何の感情も込められてはいない。
込められるわけがないということは、すずめ丸が最もよく知っていた。
だからこそすずめ丸は、ぐっと一度下唇を噛んだ後、すずめ丸が後を追ってくることを信じて疑わずに歩みを進める佐倉の背中を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます