マンドラゴラ・ロシアンルーレット

尾八原ジュージ

マンドラゴラ・ロシアンルーレット

 無音の中、カバヤマさんが白眼を剥いて全身を痙攣させながら、耳から鮮血を噴き出し始めた。手にはプランターから抜いたばかりのマンドラゴラを握っており、そいつは虚無みたいな顔を震わせて、未だに断末魔の声を上げているらしい。俺は耳栓の上から両手で耳を塞ぎたくてたまらなかったが、あいにく後ろ手に手錠をかけられて拘束されているのでできなかった。

 倉庫の床に棒のように倒れたカバヤマさんを見ながら、知らないおっさんが二人笑っている。もちろん声は聞こえないが、笑っていることはその顔を見れば明らかだ。日焼けした肌に、年季が入って肘当てのついたジャンパー、それにゴム長靴。一見普通のベテラン農家のおじさん達だが、その手にはハンドガンが一丁ずつ握られ、抜かりなく俺達の方に向けられている。俺の隣で同じように拘束されているコウサクが、早くもマンドラゴラを引き抜いてしまったかのようにガタガタと震え始めた。

 カバヤマさんに「絶対金になるから!」と言われて、マンドラゴラを窃盗するために畑に忍び込んだ俺達が悪いことは、もちろん百も承知である。しかしまさかその畑の持ち主が違法マンドラゴラ農家だとは思わなかった。

 様々な薬効があるマンドラゴラは麻薬の原料にも使われるため、取り扱いや販売については法律で定められ、破れば重いペナルティーが課される。それでもなお、ヤクザと手を組むマンドラゴラ農家は後を絶たない。教科書にも載っていることなのに、まさか自分がそれに関わるなんて想像したこともなかった。つまりどういうことかと言えば、俺もカバヤマさんもコウサクもバカで迂闊だったということだ。だから軽い気持ちで忍び込んだ畑で揃って落とし穴にハマり、こうして命を賭けたゲームを強制されているのだ。おっさんたちは哀れな泥棒どもに耳栓なしでマンドラゴラを抜かせ、その様を楽しんでいるのである。

 耳栓なしでマンドラゴラを抜くとどうなるかなんて、洟を垂らしたガキでも知っている。マンドラゴラは抜かれると叫び声を発する。それをまともに聞いたら死ぬか、運がよくても発狂しておしまいだ。もっともそんなことを知らずとも、カバヤマさんの有様を見ればヤバいことは一目瞭然だろう。

 倒れたカバヤマさんの抜いたマンドラゴラが、ようやく動きを止めた。おっさん達はニヤニヤ顔を見合わせ、今度はコウサクの耳栓と手錠を取ってこめかみにハンドガンを突きつけた。コウサクは涙と鼻水を垂らしながら大口を開けているが、耳栓をしている俺には聞こえない。

 コウサクの目の前に、大きめのプランターが運ばれる。六株のマンドラゴラが植えられており、そのうち一株はさっきカバヤマさんが抜いたばかりだ。残りは五株。

 コウサクがガタガタ震えながら、固く目をつむって、カバヤマさんが抜いた隣の株を引き抜いた。細く黒ずんだ根っこがずるりと出てきた。俺は我がことのようにほっとした。こいつは死んでいる。成長途中で腐り、育たなかったのだ。セーフである。

 しかし安心したのもつかの間、ふたたびコウサクに耳栓が詰められたかと思うと、今度は俺の耳栓が引き抜かれた。途端に空調のゴウンゴウンいう音が頭に流れ込んでくる。悪役プロレスラーを五発ほど殴ったような顔のカバヤマさんの体は、未だに細かく痙攣しており、汚いスニーカーを履いたでっかい足がタン、タンとコンクリートの床を叩いていた。

「あと何株生きてる?」

 おっさんの一人がマンドラゴラ収穫専用の耳当てを外してそう言った。もう一人が「さぁ、そいつは俺にも抜いてみるまでわかんねぇ」と答える。

「でもまぁ、この大きさのプランターに六株だからな。もう一、二株は根腐れしてるだろ。さ、兄ちゃんの番だ」

 おっさん達は再び耳当てをつけると、一人が俺の手錠を外した。こめかみに銃口が突きつけられる。震える両手を励ましながら、俺はコウサクが抜いた隣のマンドラゴラを掴んだ。これを抜かなきゃ死ぬし、抜いても死ぬかもしれない。そう思うと手に力が入らない。

「早くしろや」

 おっさんが俺の頭をハンドガンで小突いた。こいつが本物であることは、捕まるときに威嚇射撃を受けたので知っている。(ええいままよ)と心中で叫びながら、俺はマンドラゴラを引き抜いた。

「おっ、またセーフ!」

「よかったなぁ兄ちゃん」

 おっさんは俺の背中をバンバン叩いた。腐ったマンドラゴラを手に、気が付くと俺の両目からは涙があふれていた。おっさんはふたたび俺を後ろ手にして手錠をかけると、耳栓をつけさせた。そして再びコウサクの耳栓を外す。マンドラゴラ・ロシアンルーレット、悪夢の二周目である。

 手錠を外されたコウサクが、涙と鼻水に濡れた顔をぐしゃぐしゃにしながらマンドラゴラを一本引き抜いた。くすんだ土色の、顔のある根っこがずるりと出てきた。そいつは口元を歪め、生まれたての赤ん坊のような表情になった。途端に、コウサクの両耳から血が噴き出した。

 おっさん達は手を叩きながら爆笑している。俺は心臓が破裂しそうだった。次は俺だ。マンドラゴラはあと二株ある。ふたつとも根腐れしていれば、もしかすると命拾いするかもしれない。だが一方でも生きていれば、次に耳から血を噴き出して死ぬのは、俺だ。

 耳栓と手錠が外された。おっさんがニタニタ笑いながら俺のこめかみに銃を突きつける。俺は数時間前の自分に戻りたかった。もしもそれが叶うなら、俺は絶対にカバヤマさんにくっついてマンドラゴラ窃盗なぞに手を染めないだろう。だが時間が突然巻き戻るわけもなく、現実は非情である。おっさんは俺のこめかみにグリグリと銃を突きつけ、俺はなすすべもなくマンドラゴラの葉に両手を添える。耳当てをしたままのおっさんが、ドスの効いた声で「早く抜け」と言った。俺は眼を閉じ、両手にできる限りの力を込めて葉っぱをぎゅっと握った。

 その時、銃声が轟いた。

 俺のこめかみに突き付けられている方ではなく、もう一人のおっさんが持っていた銃が火を噴いたのだ。その銃は今倉庫の床に落とされ、床に押し倒されたおっさんを血まみれの顔を歪めて殴りつけているのは、何と倒れていたはずのカバヤマさんである。

「こいつ、発狂してやがった!」

 もう一方のおっさんが俺のこめかみから銃口を外し、カバヤマさんに向けて撃った。銃弾は右肩に当たったが、バーサーカーと化したカバヤマさんにはあまり効かなかった。カバヤマさんは血まみれの拳を振り上げ、こちらに向かってきた。手の甲にぶん殴っていたおっさんの歯が突き刺さっているのが見えた。

 ハンドガンが発射されたが当たらず、カバヤマさんはおっさんの顔をまっすぐ殴りつけた。あてずっぽうに発射された弾丸が倉庫の壁に穴を開けた。

 俺は倉庫の床に座り込んだまま動けなかった。狂人と化したカバヤマさんは、二人目のおっさんを素手で屠っていた。あの無駄な怪力がこうして発揮されるときが来ようとは……などと考えている場合ではない。カバヤマさんはマンドラゴラの咆哮でおかしくなってしまったのだ。次は俺に殴りかかってくるに決まっている。

 俺は泣きながら最初に殴り倒されたおっさんの方に這っていき、落ちていた銃を拾い上げた。掌が熱い。ただのチンピラの俺である。銃など撃ったことはない。

 その時、カバヤマさんがおっさんの上から起き上がり、俺の方を向いた。そして微かな声で「に、にげろ」と言ったのだ。

 俺は耳を疑った。カバヤマさんは「俺はもうダメだ」と続けた。同時に両耳から血が噴き出した。

「悪かった……実は俺、お前のことが……お前にいいところ見せたくって……」

 俺は耳を疑った。カバヤマさんがゲイでもバイでもこの際どうでもいい。しかし「いいところ見せたくて」こんなところに連れてくるとはどういうことだ。彼の言う「いいところ」ってのは一体何なんだ。やっぱりバカだ。カバヤマさんはやっぱり大バカだった。

「あ、そっすか……」と言うと、カバヤマさんはまるで乙女のように神妙にうなずき、それから突然目を閉じると唇を突き出した。悪役プロレスラーを五発殴ったような顔のカバヤマさんの、血まみれのキス顔など見られたものではなかったが、命の危機を越え、彼の思いがけない活躍を見てハイテンションになっていた俺は、これに応えてやらねばならないと思ってしまった。

 思い切って分厚い唇にキスをすると、カバヤマさんはにっこり笑いながら、棒のようにその場にばったりと倒れ、動かなくなった。


 その後、俺は這う這うの体で何とか家までたどりついた。もうマンドラゴラ窃盗などすまいと心に固く決め、近くのコンビニでアルバイトを始めた。

 真面目に働き始めて一年ほどが経った。ある日の午後、コンビニにやってきた客を見て俺は凍り付いた。

 なんと、それはカバヤマさんだった。両耳にガーゼを当てているが、その目には正気が戻っている。

「よ、よう……」

 カバヤマさんは恥ずかしそうにそう言った。

「あ、ども……」

 俺が返事をすると、彼は何を血迷ったのか、俺の目の前にズイッと出てきて目を閉じ、唇を尖らせた。

 足の裏から悪寒が駆け上がってきた。

 俺はコンビニの制服を着たまま店を飛び出した。後ろからカバヤマさんの声が聞こえたが、走り続けた。息が続くまで走って走って、俺は逃げたのだった。


<了>

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マンドラゴラ・ロシアンルーレット 尾八原ジュージ @zi-yon

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