あとがき

 主催者の狐さんには負い目がある。きつね密室小説大賞と第二回こむら川小説大賞に実験作、というか講評をしにくい小説を出したのがその理由だ。狐さんは、主催と評議員をなされていたので、申し訳なく思っていた。

 上記の企画に対して、このテーマで面白い事ができないか、と考えて書いたのだが、何分自分の性癖は他人に迷惑をかけることが前提となる。さすがに、三度同じ方に同じような失敗は避けたいところであった。

 そこで、今作はテーマに向き合う。出来うる限り真摯に題材と格闘し、たとえ不出来でも、これが俺のマンドラゴラ小説だ!と胸を張ってお出しできる物を書こうと決めていた。

 マンドラゴラ、マンドラゴラ、マンドラゴラ、マンドラゴラ…と1日中自問した。そこで出てきたのが、マンドラゴラは不味いという結論だった。

 青汁は不味い。身体に良いものは不味いに決まっている。いや、不味い物を食べる行為が、代償を伴う形で、健康のためになると思い込む儀式でもあるのだ。

 この儀式めいた行為は、真摯にその対象と向き合っていると言えないだろうか。少なくとも私はそう考えた。

 マンドラゴラが旨いと駄目だ。それは物語性に欠ける。

 マンドラゴラの薬効も駄目だ。それはマンドラゴラではなく、マンドラゴラを食べさせる相手が主題になってしまう。

 マンドラゴラの叫び声も駄目だ。死はそれだけで物語になってしまう。

 マンドラゴラに向き合うのならば、マンドラゴラは不味いというアプローチこそ最善だと確信している。


 しかし、書いている本人としては、言うほど不味そうに思えなかった。普通に食欲がわいてきた。そこでマンドラゴラのプランター等を付け足してしまったのが反省点。小説としてならそこを上手く昇華させるべきだったと思うけれど、それではマンドラゴラに向き合っているとは思えなかった。

 不出来でも良い。読後にマンドラゴラの印象を強く残したかったので、伏線は捨ててマンドラゴラと向き合った男の話として終わらせた。


 それにしても書いている時は、マンドラゴラの事ばかり考えていた。マンドラゴラをどう調理しようか。マンドラゴラにはどのような特性があるのか。マンドラゴラとは一体なにか。

 マンドラゴラを見つめる時、マンドラゴラもまた自分を見つめている。そんな心境に至ったので、自分は狂っていたと、今は思う。

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続・マンドラゴラ料理大全 あきかん @Gomibako

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