第27話 彼方からの約束

「空から落ちてくるなんて、サクヤは天使だったのか?」

「・・・ふふ、私は私ですよ。天使なんかじゃないです。」

冗談めかしてそう返すと、カイネウスさんはゆっくりと私を地上に下ろした。

「で、これからどうするんだ。チヒロのもとに向かうにしても、まずはアイツを片付けないと無理だぞ。」

うっとうしそうに目線を崖の方に移した彼に合わせて私も体の向きを変える。

そこには、私を先ほどまで拘束していた黒い人影が恨みがましそうに立っていた。

『せっかク!ワタシが救オウとシてあげたのにィ!どうしてニゲルノ!サクヤ!』

その声とともに飛来する障害物を真紅の槍は次々に薙いで行く。そしてその破片はすべて彼女の身体へ突き刺さっていった。

『グアああぁアアああ‼』

「・・・まだ理性が擦り切れてねえんだったらこの辺にしといたほうがいいぜ。

 オマエとっくに壊れてたんだろ・・・2000年以上前から。」

彼は相変わらず槍を彼女に向けたままだったがその目はもう激情に染まってはいなかった。むしろ彼女にこれ以上戦ってほしくないと言いたげに見えた。私はゆっくりと彼女の方へと歩いていく。カイネウスさんはそんな私を止めなかった、あの日からずっと彼と私は奥深くで繋がっているから。それはあのヒトとも同じだ。

「私、ずっと分からなかった。貴方がどうして私を夜毎に首を絞めたり、罵倒したりするのか。でもね、今ようやく分かったよ。」

『さ、サクや・・・』


「貴方はかつての私にとって大切なヒトだったんだね、。」

その名を呼ぶと彼女は大きく目を見開いた。

「ずっと昔、はあなたと約束した。ずっと未来の私を貴方にあげるって。

 貴方に笑って幸せになってほしかったから、側でその姿を見ていたかったから。」

「でも貴方は真面目で優しすぎる人だから、いざ自分のものになった私達のすべてを、自分のものにしないでそのまま霧嶋咲耶という人格を残し続けた。」

私と彼女を隔てていた崖はもう形も残さず崩れ落ちていた。目線の先にただの少しだけ大人の女性が立っている。私は彼女の元へゆっくりと近づいていった。

「一つの体の中で二つの全く違う心を保ち続けるのは、とっても難しいことだった。

 だから何度も私達を殺そうとした。でもできなかったのは

 ・・・殺せなかったのは、」


いつも声をかけてくれたのは、あの子ひとりだった。

「サクヤ様!今日もお掃除させていただきますね!」

姿も声も見えないのに彼女はいつも笑ってワタシに話しかける。でも他の巫女や神職たちには敬いが足りないと、注意されたり嫌な仕事を押し付けられたりしていた。そんな彼女が見過ごせなくて、ある日バケツの水を拝殿の廊下にこぼしてしまった彼女をほんの少しだけ手伝ってやった。そうしたら彼女、ぱっと顔が明るくなっていつも以上にキラキラした目で何度もお礼をいうものだから、ワタシも思わず笑ってしまった。その時だったかしら、彼女と目があったのは。

その日からずっと彼女は見えない私に声をかけ続けてくれた。今まで以上に拝殿から手水舎、賽銭箱の裏側までピッカピカに磨き上げ、お昼休みになってもずっとワタシの傍に来て色んな話をしてくれた。他愛もないささやかな日常。ワタシには遠い昔の話だけれど、彼女の話を通してまるで自分がそこにいたかのような感覚に酔いしれた。正しく神であったはずの私の心を優しく包み込んでくれる声にいつしか、本当に言葉を交わしてみたいと思うようになった。だけど・・・

「サクヤ様、わたし結婚することになったんです。だから、もう此処に奉仕することはできなくなります。でも、わたし忘れませんから!サクヤ様と過ごした毎日は・・・絶対に。」

そう言い残して彼女は消えた。数年経ったある日、ふと他の巫女たちの話が耳に入った。彼女たちによれば、あの子は裕福な商家の家に嫁いだのだという。しかし、そこの一人息子は気性が荒く男女構わず自分の気に食わない者には容赦なく手をあげるそうだ。もしかしたら、あの子も...などという口振りに震えが止まらなくなったワタシは、急いで彼女の嫁ぎ先である商家へ向かった。この時ほど自分が神で良かった、と思ったことはない。数多の障害を潜り抜けた先、立派な日本家屋の一番奥の小さな和室に彼女はいた。

「!"蜥イ閠カ"!」

思わず声をかけてしまう程に布団に横になった彼女は衰弱しきっていた。夫にぶたれたのだらう、青いアザが身体中を多いつくし、その目にはもう光さえなかった。隣の部屋から聞こえる赤ん坊の鳴き声が彼女をこの世界に繋ぎ止めているただ一つのもので、それ以外は彼女を追い詰めるだけだった。

その時天井を見ていたはずの彼女と目があった。すると彼女は懐かしそうに微笑んで、ゆっくりと此方へ手を伸ばした。

「サクヤ、さま。来て、くれたん、です...ね。

 ごめん...なさい。こんな、みずぼらしい格好で。」

ワタシはそのささくれだらけの手を厭うことなく掴んだ。

「蜥イ閠カ、ああ蜥イ閠カ!どうしてこうなる前にお前を止められなかったのか!辛かったでしょう、苦しかったでしょう、蜥イ閠カ...!」

だが彼女はふるふると首を横に振った。

「いいえ、サクヤ様。此れは全て、私が悪かったのです。夫の期待に応えられず女の子を身篭り、終いには不治の病に罹りました。これを私の業と言わずとして、なんと言えば良いのでしょう。」

静かに微笑む彼女に、ワタシはただただ何も言えなかった。彼女が悪かった事だなんて一度たりともなかった。神であるワタシの目をもって証明できる。この子は、"サクヤ"は優しくて、誰よりも美しい娘だった。そんな子をこんなになるまで使い潰した人間が許せなかった。だから、今にも命の火が潰えそうになっている彼女に問いかけてみたのである。

「ねぇ、サクヤ。今迄の褒賞として願いを叶えてあげる。何でもいいのよ、言ってごらんなさい?」

夫を、家を殺してと頼まれようと、健康体に戻りたいと言おうともワタシは彼女のためにどんな事でも叶えようとしていた。しかし彼女の答えは思っていたものとは全く違うものだった。

「私は、こうしてサクヤ様に再びお目にかかれただけで、最期の願いも果たされた様なものです。ですが...一つだけ我儘を言うとしたら、どうか私の娘を守ってくださりませんか。」

彼女の穏やかな細い声はスッと襖の向こうにいる赤ん坊に向けて放たれた。

「あの子は、私の最期の心配の種なのです。だから、どうかあの子がどんな場所に行ったとしても幸せになれる様に見守って頂けませんか。」

ワタシはゆっくりと襖を開け、揺り籠で眠る幼児に手を伸ばした。触れた指から伝わってくる生の鼓動に、彼女がどうしてそんな事を願うのか理解できた。

「分かったわ、この子はワタシが見守ります。だから、貴女は安心して身体を休めなさい。」

「良かった、ありがとうございます、サクヤ様。もしも、次の私がこの世界に生を受けられたのなら、今度こそ最期までお側に......。」

布団の上から滑り落ちた左手にワタシの左頬を当てる。彼女の温もりが消え去る前に、彼女の全てを覚えておくために。そしていつか再び彼女が現れたのなら、今度こそ酷いことをされる前に連れて行く為に。ゆっくりと、少女の肌の傷を治しながら、ワタシはこの時初めて泣いた。

「ええ、サクヤ。ワタシと同じ名前を持つ清き魂を持つ子。いつか再び生まれ落ちたのなら、今度こそ...貴女とずっと一緒よ。」

遠い昔にも、ワタシに未来の自分の全てを託して消えた名もなき少女がいた。あの子そっくりの黒髪をすきながら、ワタシは眠りについた。


「だから、今度こそ救いたかったのに。」

頬を伝う涙が彼女の姿も塗り替えていく。美しい黒髪の女性は気付くことなく静かに泣いていた。

「...でも、貴女はもうあの子ではないのでしょう?サクヤ」

「......うん。私は彼女達と魂を共有しているけれど、全くの別人だよ。」

私は後ろに立つカイネウスさんの手を取った。一瞬焦がす様な熱気が私を包む。だけどもう分かっているから、怖くない。

「さ、咲耶...?」

その体躯に見合わない囁き声で彼は私の手に力を少しだけ込めた。少しだけ微笑んでから私は手を握ったまま彼女の方に向き直った。

「貴女が昨日の私達を救ってくれた。

 そして明日のわたしを彼が守ってくれた。

 いつも守られてばかりだったけど...ようやくわたしも誰かのために頑張れる場所が見つかったの。」

「だから、もう一人で歩いていけるよ。」

ずっと共にいた彼女と決別しよう。

今がその時だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

盈月のプロセルピア 美紅李 涼花 @licaisugishan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ