第26話 ムソウからの解脱
夢。それは誰にも分け隔てなく与えられた安らぎ、そして変わることのない一種の呪詛だ。古来から東西問わず、至る所で夢という概念は重要視されてきた。極東の国では自身の出世に関係する夢を見ることもあったらしい。だから、俺にとって夢を見せるということは生けるものへの祝福なのである。変えることのできない運命に抗いながら懸命に藻掻くその姿が、なんとも可笑しく美しいこの世全ての生き物への。
「何、ここ・・・」
目の前に広がる気色悪い光景に思わず吐きそうになった。まるで内臓の様な異様な色と感触を全身で感じさせられる。胃カメラでしか見られないであろう生々しい生命の香りがそこには漂っていた。
「・・・どうして、内臓を場面設定として選んでいるのでしょうか。」
冷静に状況を分析してくれるチヒロ君の声で引き戻され、私も再び眼前に広がる空間を精査する。一面に広がるピンク色の暗い景色。内臓だとすればここはどの器官に値するのだろうか。腸や胃だったら特異な象徴があるはずなのだが・・・。
「学校で生物とってるけど、全然わかんないな・・・。胎内回帰とか、捕食された?とかなら、もうちょいヒント置いといてくれてもいいのに。」
「胎内、回帰・・・」
チヒロ君はそう呟くと肉塊で埋められた天井を見上げた。その顔は丁度陰に隠れてしまっていて見ることを許してくれなかった。
『サクヤ、サクヤ・・・ミイツケタぁ』
突如現れた第三者の声に振り替えると、そこには真っ黒な泥でできたヒトが立っていた。こっちに向かって泥の滴る手を伸ばしている。私を隠すようにチヒロ君が前に立って、いつの間に作ったのだろうか、杖を一つ彼女に向けた。
『やッと、アレに邪魔されずに、触れられルっ・・・!』
「あ」
わたし、どうして、
瞬間伸びてきた手によって私の胸は射抜かれた。
痛みもなくただ異物感を感じるに留まっているのは、此処が精神世界に近いからだろうか。だけど次第に意識を保つのが難しくなっていく。私の欠けた心は言葉を忘れていく。そして、わたし自身までも崩していく。
「サクヤさん!」
チヒロ君の手が彼女の一部をすり抜けて伸びてくる。だけど、ごめんね。
私は彼の手を振り払った。
「バイバイ、チヒロ君」
最後に見えた彼の顔は優しい誰かにそっくりだった。
「アオイさんっ‼」
即座に意識を覚醒させ、未だ眠ったままのサクヤさんの身体を起き上がらせる。
僕の叫び以前からバイタル面で異常が見つかっていたらしく、アオイさんは忙しくキーボードを叩き続けていた。
「ちーくん、今サクヤちゃんのいる場所をしらみつぶしに当たってるところ。何処もかしこもハッキングだらけだから、あと三十秒だけ待って。」
「・・・分かり、ました。僕も再度シンクロできないか試してみます。」
「夢に干渉する怪異に見事にしてやられたね。でも数値上だと、少し別の反応が出てるから・・・単独犯に見せた複数の怪異の共謀による現象だったのかも。」
「!だからあの時気配に気づけなかったのか!」
今日一番大きな声を出した僕に同感だ、といいたげにボールペンを向けたアオイさんに僕はただ唇を嚙むことしかできなかった。
「後で反省会、やろうね。」
「・・・はいっ。」
僕は彼女の言葉に頷くと再びサクヤさんの手に己の指を絡めた。
「必ず彼女は僕が救い出します。」
私は夢を見る。ずっと誰かに抱きしめられている、そんな夢。いつもみたいに首を絞められることも、刃で傷つけられることもなく、ただ頭のてっぺんからつま先まで黒い手になでられ続けているだけ。だけどその感触は何時にも増して優しく、温かい眠りを肯定し続ける。
『サクヤ、貴方はずっとここにいるの。ワタシとずっと一緒に。』
一緒?私と?
『そう、此処なら誰にも傷つけられない。あの男たちにも、女たちにも。』
声と共に流れ込んできた記憶に、怖くなって耳をふさぐ。私に降り注ぐ、汚れた視線、言葉。世界のすべては私を指さして壊そうと、算段をたてている。そんな世界に帰りたくない。怖いよ、たすけて
『大丈夫、ワタシが守るわ。貴方を傷つける全てから、貴方をあの世界に縛り付ける全てから。』
ほんとに?わたしをまもってくれる?
『ええ勿論よ、ワタシの愛しいサクヤ。』
彼女が私を包み込もうと一等に大きな手を差し伸べる。それをつかもうとした瞬間、わたしたちを切り裂くように一筋の眩い光が差し込んだ。突然のことに思わず目をつぶってしまう。すると今までとは違う、だけどよく似た温もりが私を抱きとめた。
『どうして!此処は誰も見つけられないはずなのにィ!』
彼女が悲鳴を上げている。どうしたんだろう、こんなに貴方と同じくらい温かいのに。大丈夫だよ、怖くないよと彼女に声をかけようとして目をゆっくり開いた。
だけどそこには彼女はおらず、ただ見たことのないヒトだけがいた。傷だらけの身体を隠すことなく、ゆっくりと私に近づいてくる。その手には槍を携えて。怖くなって立ち上がるけれど動けなかった。だってわたしの足には幾重にも鎖が巻き付いていたのだから。だけどそんなこと気にしていられない。早く逃げないと、あのヒトに捕まってしまうから。
『ダメよサクヤ!あの男に捕まっタら貴方は!』
彼女だってそう言っているじゃないか、だから早く逃げなきゃ。
そうやってずっと大切なものから目を背けているの?
「え」
怖くても、貴方は知っているはずよ。
どんなものにでも例外は存在することを。
貴方に手を差し伸べてくれた、誰かを。
「でも、あの子が逃げなさいって。捕まったらダメだって。」
ほんとに?貴方が信じている彼女は、どうしてそんなことを言うの?
「それは・・・・・・あれ。」
どうして逃げなくちゃいけないのだろう。捕まったら私はどうなるの?
死んじゃうの?彼女は守ってくれないの?守ってくれるって言ってたのに
「守られてばかりのお姫様、なんて柄じゃないんでしょ?
誰かの助けを待つばかりじゃ、王子様は来ないわよ。」
その言葉にハッとさせられた。
私、帰らないと。チヒロくんとアオイさんと・・・
「いきなさい、咲耶。貴方を知るために、そして自分の心のままに生きるために!」
走り出した私の足にはもう、鎖なんてなかった。どんどん軽くなっていく足に合わせて私の走るスピードもぐんぐん伸びていく。連れ戻そうとする手に目もくれず、私はそのまま崖から飛んだ。不思議と怖くない。
「今行くから待ってて、チヒロ君。」
「ああ、それでこそ咲耶だ。」
飛び降りた先で私を受け止めたカイネウスさんは自分のことの様に誇らしげに微笑んだ。
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