日本における人種差別

 今回の話題は「日本における人種差別」についてです。


 今まで色々と記した中で出て来た人種差別について少しばかり愚痴ってみたくなりました。


 さて、そもそもなのですが人種という枠組みを初めて聞いた時のことを覚えていますか? 私は覚えています。だって、物凄く衝撃的でしたから。


 黒人……これは理解出来ました。茶色に近い人もいますが、まあ、黒だと言っても差し支えはない色でしょう。

 白人……この時点で私は「んん?」と思いました。「白……え? どの辺が?」と思いながらも黒に反対する色として白と言っているだけなのだろうと納得させました。というか白人の幅広すぎて、本当に白い肌に見える人は少数なのが現状でしょう。

 黄人……「はあ!? 黄色? この肌色が黄色? え? これが黄色に見えるの? 目大丈夫!?」です。だって黄色と言われたら小学1年生が身につける帽子やランドセルカバーみたいなあの鮮やかな黄色を思い浮かべるでしょう? 本気で私は黄人が日本人も含まれていることを飲み込むのに時間が掛かりました。


 私が学校で習った時はこの3種類の人種だったのですが、調べてみると人種と言うのは他にも色んな分け方があるみたいですね。その中でも「赤人」は気に入りました。というか「白人」と言っている人達は「赤人」に名乗り変えた方が私はまだしっくりきます。「黄人」だけは本当に意味が分かりませんが、きっとこれを考えた人にとって肌色が黄色に見えたのでしょう。


 そして人種を語る上で欠かせない「有色人種」という言い方。これを聞いた時の私の感想は「いやいや、色で人を分けたのなら、全員有色じゃん」です。はっきりと「非白人」と言えばいいのでは? それとも白は色ではないと? このネーミングで問題ないと考えた人達の思考がほんと理解出来ません。


 最初は人を区別する学術的な要素として人種という単語が作られたはずが、途中でキリスト教徒が「白は善い、黒は悪い」という概念から、「白人は主人公。黒人は敵。黄人はモブ」と差別する為に使い始めたに過ぎないんですよね。

 だから人種と言う区別用語自体は私は悪いとは思っていません。学術的に人類の成り立ちなどを考察するのに必要な区別と言えるでしょう。問題はそれを利用しやがった奴らです。


 まあ、歴史的観点から見ればどうしてこういう発想が出て来たかは分からなくもないのですよ。「植民地支配されていた国にとっての日本」に記したように私は中国とEU(ヨーロッパ)は対比する国(地域)として見ています。


 中国は外国人を取り込んで支配下にすることで支配している民族以外の自国民から摂取する方法をとった。というより、中国と言う国をとった民族が他民族から摂取できる体制作りが随分昔から出来ていた。

 EU(ヨーロッパ)にはそれがなかった。気付いたら国が乱立していたし、一部では纏まろうとしていた動きはなくはなかったけど、必ず分裂した。我が強すぎたのか何なのか分からないけど、纏まれなかった。だから自分達で敵対して摂取する体制作りを作ることを放棄して外の奴らを摂取する方針にした。そうすることで自分達は最上の民族だと他民族の憎しみや恨みを浴びることで強制的に纏まる空気を作り上げた。それにちょうど良かったのが人種という考え方だったのでしょう。


 つまり、完全に現代で言われている人種差別は白人が作ったものであるということです。

 これの何が重要かと言うと、今日の話題である「日本における人種差別」に関わってきます。白人による奴隷制度、植民地支配。これらから最後まで逃げ続け、抵抗し続けていたのが日本です。つまり、奴隷制度の主な犠牲者である黒人、植民地支配による主な犠牲者である黄人(&黒人)は白人からの差別、途中で人種差別という名前に変わった差別を受けていました。よって人種差別と言う概念が強制的に被害者側として植え付けられました。

 勿論日本もメキシコとの日墨修好通商条約が結ばれるまでは不平等条約を結ばされるという人種差別にあってきました。でもその頃は白人が非白人を全員虐める時代でした。つまり人種差別ではなく差別だったんです。そして日本はこれを区別と受け取った面もあるのでしょう。だって実際に欧米が科学などの面で先んじていたのは確かなのですから。だから欧米に学びに行った。

 つまり欧米が先んじていた部分があるのを認めて、日本はそれを学び、取り入れて、並び立ちました。それをせずに植民地化に甘んじていた国々とは違う。ただの差別された被害者だと声を上げて泣き叫ぶだけの奴らと一緒にされたくない。むしろ中国とか世界の中心みたいなこと言っていたくせに守れもせずに真っ先にやられたバカ国家という象徴が居ることも手伝い、やられたままになっていた国への反感があるのではないでしょうか。

 ジャポニズムとかいう言葉が辞書に載るくらい日本の文化に感銘を受けていたにも関わらず不平等条約だったというのがどれだけ白人が差別的だったかを示していますが、日本はジャポニズムとかいう言葉が出来るくらいに自力でそこまで上り詰めたという自負があるのです。


 だから日本にとってこの頃の差別は自力で撤廃させたと自尊心により拡大解釈したという面もあるのでしょう。不平等条約が平等条約に変わったのがその象徴的出来事でしょう。勿論、日本の国力がそれだけ上がって差別できなくなったと言うのも理由にあるでしょうから拡大解釈とは一概には言えませんが、差別意識にまみれた白人ですからね。利用する為だったと私は思っています。でも、それでも利用する価値があると認められたのは日本が自力で成し遂げたことです。これは快挙と言っていいでしょう。

 結果的に日本にとって受けた差別は科学などが遅れていたことによる区別だったと前向きに解釈されることとなったのではないでしょうか。ジャポニズムなども手伝い、個人レベルで日本に訪問する白人は友好的だったでしょうから。


 つまりここで日本に人種による差別という考え方が根付かなかったわけです。白人は近代化された人々という意味に置き換わったと言ってもいいです。日本人は近代化された人々に加われた。人種なんて越えられるものなんだ、と。劣等感を植え付けられずに済んだわけです。

 よって白人優遇は勿論せず、「「平等だろう?」と傲岸不遜にも日本人が言いやがる!」と日本以外では当たり前に受けられる優遇措置が受けられないことに腹を立てた白人が「日本は外国人に差別的な国」という噂を流しやがったのでしょう。結果として程よく距離を置ける理由付けになったのですから私は良かったと思いますが、「日本における人種差別」の正体はこれであることは散々言われていることだと思います。


 何が言いたいかって差別はあっても人種という白人が作った差別する為の枠組みを自力で撤廃させた日本に人種差別をする理由がないというものです。自力で近代化させた日本という自負がある以上はそもそも人種という差別的概念は日本に入り込んでは来ないでしょう。

 勿論、元より日本には内と外という考え方があるからという理由もありますけどね。愚痴る内容がないからカットで。多分そこら中で語られているのでそれについては他の文章や動画を見て下さい。



 おかしいですね。なんか説明回になってしまいました。でも私の「日本における人種差別」の認識はこんな感じです。まあこんな回があっても良いですよね。

 個人的には「白人は主人公。黒人は敵。黄人はモブ」という言い方は気に入っています。それが言いたかっただけとも言う。



 以上、印象論で話す「日本における人種差別」でした。



※個人の意見な上に、正しい情報でないかもしれないから、あまり真に受けないで下さい。

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印象論で話す日本へのアレコレ 朝樹 四季 @shiki_asagi

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