剣鬼

pipi

峠の鬼

 こんなはずじゃなかった。

 と、彼は、自分を取り囲む野武士達を見て思った。

 前後不覚に眠りこけていたために荷車から落ちていたのにも気付かず、目覚めれば一人山道に取り残され、慌てて皆を追いかけようとして走っていたら、茂みの向こうに野武士達の一団が見えた。関わりになりたくないと思いながらも何をしているのか横目で見たら、奴らは一人の少女を組みしき、その着物をはだけてもてあそぼうとしていた。

 危ない事をしてやがるとは思いながらも、とりたてて助けるつもりはなかった。別に助ける必要もないと思ったからだ。なのに、石にけつまずき思い切り転倒。思わず「うぎゃ」とか悲鳴をあげたのが悪かった。野武士達はこちらに気付き、あっという間に囲まれた。けれど、戦う気などさらさらなくて、適当にごまかして先を急ぐつもりだった。

 それが、襲いかかって来た手下Aとおぼしき男の攻撃をうっかりとかわし、さらに背後に回ってほぼ本能的に蹴りを入れてしまったのがさらに悪かった。

「貴様、ふざけたカッコしてるが、ただもんじゃねえな」

 とか、いかにも武術マニアらしき頭目を喜ばせ事態はさらに悪くなってしまったのだ。

 ふざけたカッコと言われたように、彼はとんでもないいでたちをしている。このごろ世間に歌舞伎ものとかいって頭を赤や緑に染め茶て、ギンギラの派手な服装をして町を闊歩する若い連中がいるが、そんなレベルでない。彼の場合はまさに歌舞伎役者そのもののだった。頭には緑色のふさふさカツラをかぶり、金糸で派手な刺繍をほどこした真っ赤な着物を羽おり、肩から背中に袖を白と紫のたすきを巻いている。

 こんな格好をしているのも仕方がない。彼は今から芝居に出るはずだったのだ。

 さらに、彼の異相を際立たせていたのは、その左目を隠す眼帯だ。隈取りをした顔にこれまた派手なきんきらの刺繍をした眼帯をしている。役柄のためなのか? しかし、その右目はやる気のなさそうにとろんとしている。

「その腰のもの抜け」

 野武士の頭目はそういって、彼の腰に差した刀に視線を送った。ド派手な衣装とは対照的にみすぼらしい刀だ。

「いや、これは抜けるようなもんじゃないから」

 彼は首をふって断った。

 しかし、頭目は納得しない。

「さっさと抜け、さもないとあの娘をこの場で殺すぞ」

 とおどす。

 すると、手下Bが少女の体を引き寄せ、ニタニタ笑いながらその白いうなじに刀を当てた。

 ついでに、もう片方の手で少女のあらわになった乳房を掴んでいる。

 うす桃色の髪をした少女は怯えきって男のなすがままになっていた。

 それを見て彼は思わず言った。

「あんた、無事じゃすまないよ」

 そして、これから起きるだろう事のためにゆっくりと腰のものを抜く。

 しかし、それを見て野武士達は笑い始めた。なぜなら、その刀身は錆びていたからである。

「なんだそりゃ」

「そんなんで、人が斬れるのかよ」

「お頭、やっぱりこいつはただの芸人ですよ」

 手下達が嘲笑を浴びせる。

「そのとおりさ。俺はただの役者なの。この刀は、ただの小道具で」

 彼は言った。

「だから、見逃してくれよ」

「そうはいかねえな」

 頭目がいう。

「ちっ。聞き分けのない連中だな。巻きこみやがって」

 彼は舌打ちした。うんざりするほど、気は進まなかったが、ゆっくりと刀を抜き頭目に向かって正眼に構え、

「さっさと済ますぞ」

 と言う。

 すると、

「せいぜい、いたぶってやるよ、大道芸人」

 と言いながら手下達の中の一人が彼の背後から襲いかかった。その凶刃が彼の体を切裂かんとするまさにその時、彼の姿はその場から消えた。いや消えたのではなかった。背後の気配に気付いた瞬間、空に舞い、ものすごい早さで手下の背後に回っていただけだった。そして、錆びた刀を袈裟がけに振りおろす。

 手下の体が派手にぶっ倒れた。しかし、死んではいない。峰打ちだ。

 野武士達は、一瞬何が起きたのか分からずぽかんとした。


 しかし、次の瞬間、手下達は正気に戻り、思いもよらぬ反撃と、仲間を殺された事の怒りで獲物を手に次々に彼に襲いかかって来た。

 それを、彼は、次々に。まさに、歌舞伎の立ち回りのように巧みにかわし、打ち倒していく。しかし、誰も死んでいない。気絶しているだけだった。

 頭目はこの有り様を黙ってみていたが、やがて叫んだ。

「なぜ、殺さない。手加減してるつもりか?」

 その言葉に手下達が首をかしげた。

「手加減? 錆びた刀だから斬れないだけじゃないんですか?」

「違うな。奴は手加減をしている。そうだろう? 剣鬼!」

 頭目は、そう、彼の名を呼んだ。

「剣鬼?」

 手下達がキョトンとした。

「なんでさあ? それは」

 すると、頭目が答えた。

「伊賀の国の伝説的な忍びだ。五歳の頃から人を斬り殺す事をおぼえ、ありとあらゆる武術に天才的な才能を見せ、15の年にたった一人で父親と100人の忍びを斬り殺し、伊賀の国を逃げ出した抜け人野郎だ」

「100人?」

 手下達がごくりと唾を飲み込む。

「このふざけた芸人野郎がそいつだっていうんですか?」

「そうだ。俺も昔はいっぱしの武芸者だったから分かる。そいつはあの剣鬼だ。何よりの証拠がその錆びた刀だ。剣鬼は100人を斬り殺したとき、錆びた刀をつかったという」

「げ。まさか」

「それが本当なら、そんな野郎に勝てませんよ」

「お頭、引きましょう。こんな事で命を落としてもしょうがねえじゃないですか?」

 しかし、頭目は首を振った。

「いいや。俺の武芸者としての血が騒ぐ。こんな所であの剣鬼に会えるとはまさに天の配剤。しかし、答えろ剣鬼。なぜ、殺さない?」

「あのさ、おっさん」

 彼は振り返って答えた。

「何を勘違いしてるのかしらないけど、俺は『ケンキ』なんてぶっそうな野郎じゃねえよ。大体俺は、血を見るのが大嫌いなんだ」

「とぼけるな」

 頭目が言う。

「お前は剣鬼だ」

「ちがうっつーの」

「まあ、いい。手合わせ願おう。ただし、俺は殺さずに倒せる程甘くないと思え」

 そういうと、頭目は腰に差していた太刀をすらりと抜いた。

 そして、見合う事数秒。やがて奇声とともに襲いかかって来る。

 上段から振りかぶり、さらに脇から振り払い、払い戻す。彼は頭目の攻撃を、全て錆びた刀で受け止める。傍目には目にもとまらぬ早さに見えたが、その動きの全てが彼の右目にはスローに見えた。大げさな表現ではなく。彼の目にはそういう機能が備わっていた。戦いの場に臨むと、常人の倍以上に時間が引き延ばされて見える。全てがスローになった中で、彼は自在に動き回る。しかし、この頭目は自分で言っていたとおり確かに手加減を許せる相手ではなかった。それが証拠に、3度目に上段から振り下ろされた時、彼はその太刀を受け止めるより先に、頭目の腹をさしてしまっていた。

 錆びた刀が頭目の腹を貫き、血がどくどくと溢れ出す。

 彼の心の奥底で、何かがどろりと蠢く。

「やべえ」

 彼はつぶやいた。彼の心の奥底のものがざわざわと手を伸ばし闇から光へと手を伸ばそうとする。

「やべえ。やべえぞこれは……」

 彼の脳裏に、数年前の悪夢が蘇る。

 その時、悲鳴があがった。

 おかげで、彼は正気に戻る事ができたが、その次には恐ろしい物を見るハメになった。

 見ると、先ほど少女を抱えていた手下が、少女に……いや元は少女だった者に首を噛み切られて死んでいたのだ

 額からの伸びた角と、鋭い牙を光らせて恐ろしい鬼が手下達を睨みつける。

「う……うわあ……」

「鬼……鬼だ」

 手下達が悲鳴をあげて逃げ出していく。

 その手下達を、鬼は次々に捕まえてくい殺していく。


 後には、彼と鬼だけが残された。

 血塗るられた刀を手に、彼は鬼と向き合った。

「やっぱりこの世のモノじゃなかったな。この辺りには、時々娘の姿をした化け物が出て人を食うというが、それがお前の正体なんだろう?」

 鬼は、黙って彼を見ている。

「野武士や夜盗に陵辱されて死んだ娘達の怨念が集まってできたもの。それがお前だ。で、どうするんだ? 俺も食い殺すのか」

 すると、鬼は首を振り牙と角をおさめて元の少女の姿にもどった。 

「いいえ、あなたは殺さない。あなたはあの人達とは違う」

「そうか」

 と、彼は安心する。これ以上、血を見たくなかったからだ。

「でも、どうして、あなたはここにいるの? あなたはこの場に呼ばれるような人ではないのに」

「俺の片目は時々捉えちまうんだよ。人ならぬものの存在を」

 しかし、やはり少女はよく分からないとでも言うようにキョトンとしている。

 やがて、少女は彼の錆びた刀に目をとめると言った

「その刀、とても奇麗ね。金色に光っている」

「ああ。こいつはご神刀だからな」

「でも、その血に惑わされてはいけない。それはいつかあなたを食い殺す」

 少女の言葉に彼は笑った。

「ありがとう。そのとおりだ。これは人を殺すもんじゃねえ。本当はこう使うもんさ」

 そして、懐紙で刀についた血を拭うと、切っ先で地面に円陣を描く。その円の真ん中に五芒星を描き、さらにその周りに梵字を描いていく。

「奇麗」

 少女が言った。

「地面の模様が光ってる」

「さあ、ここに入りな」

 彼は言った。

「ここから、天に行けるはずだ。こんな所で彷徨って恨みを晴らすのはやめろ」

「私達はただ、道が見えなかっただけなの」

 少女が言う。

「でも、あなたのおかげで道が見えた」

「そうか、だったら、その道を行け」

 彼は答えた。

 すると、少女が言った。

「ねえ。最後に教えて、あなたの名前は何?」

 すると。彼が答える。

「俺は夜之介。よのすけっていうんだ」

「あるがとう。よのすけ」

 少女は礼を言うと、ゆっくりと光の中に消えていった。


「いけねえ! すっかり日が暮れちまった!」

 既にとっぷり暮れた空を見て夜之介は青ざめる。

「今日の芝居結局出れなかった。また、しおりにどやされるぞ!」

 そして、錆びた刀を鞘にしまうと、かつて剣鬼とよばれていた夜之介は転ぶように山道を下っていった。

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剣鬼 pipi @piccho

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