~最終話~もう一度、この場所から

 次の日の朝、ユディは王立学院へ出向いた。

 退学の手続きをするためである。


 文官になっても見習い期間中は学校と両立し、きちんと卒業する者の方が多いのだが、ユディは退学を選んだ。

 学院で学べることがこれ以上ないというのもあるが、学生でいる間に、叔父がユディの保護者である立場を利用してまた縁談を目論むかもしれない。

 大体、あの叔父がこれから学費や仕送りをしてくれるわけがない。自立の道を選ぶのが道理だった。


 数枚の書類に署名するだけで、手続きは速やかに終わる。

 

 それから、ある場所を訪ねた。


「失礼します。ユーディス・ハイネです」

「まあ……まあまあ! ユーディスさん! どうしたのかと思っていたのよ! お入りなさい」


 ユディが訪れたのは、採用試験のための推薦状を書いてくれた、ラウリ先生である。

 手土産を渡すと、先生が手早くお茶を淹れてくれた。


「ラウリ先生、先日は推薦状をありがとうございました。おかげで無事試験に合格することができました」

「まあ……! 信じられない……いえ、これは決して侮辱と取らないで頂戴ね。小鳥寮から文官が出るなんてという意味です。素晴らしい快挙よ、ユーディスさん!」


 ラウリ先生は頬を紅潮させながらユディを讃えてくれる。

 厳しいマナー講習の先生は、個人的に話してみると実に気さくで優しい人物だということに改めて気づく。


「小鳥寮のどこかの壁に、ユーディスさんの肖像画が飾られるでしょうね! もしかしたら銅像が建つかもしれないわ!」 

「そ、それはやりすぎでは?」

「いいえ、それに値する素晴らしい偉業を成し遂げたのですよ! 女性の活躍の道を拓いた貴女の後に続きたいと思う令嬢がきっと出てきますよ。私も鼻が高いです」

「肖像画はまだしも、銅像は……」


 恥ずかしすぎてもう二度と小鳥寮に足を踏み入れられなくなるではないか。

 慌てふためくユディにラウリ先生は苦笑を隠せない。

 小鳥寮生が文官採用試験に合格するという、誰もが無理と思う大功を成したのにも関わらず、決して自分をひけらかしたり、偉ぶったりできないのがユディである。


「仮面をつけたあの方が学院に来たときには騒然となったんですよ。あとで王弟殿下だったと知ったときにはもう血の気が引いて、卒倒しそうになりました」

「も、申し訳ありません……」


 例によって、ハルは自分のことを「ユディの友人のただのハル」と名乗って、推薦状を取りに来たらしい。

 後でヴァルターがフォローに現れて、正体が知れたそうだ。

 その時のラウリ先生の驚きは想像に難くない。

 

「ところで……エミリヤさんのことは残念でしたね」

「エミリヤがどうしたんですか?」

「ユーディスさん、ご存知ないのですか? 彼女、退学されたんですよ」

「ええ……!?」

「ご実家の事情でね。何でも縁談が決まったとか……」


 不快なものを飲み込んだような感覚が、ユディの喉に広がる。

 やはり、ユディの代わりにマクミラン伯爵との縁談に駆り出されたのだろう。

 一歩どこかで何かが違えば、縁談させられていたのは自分だったことを思うと、やはりエミリヤへの同情は禁じえなかった。


 魔の森の花は、罪悪感を増長させる。

 彼女があれほど強く花の効力に反応したのには、自分への罪悪感が多大にあったのではないかとユディは思っていた。


 人生の崖から転落したように見えるエミリヤを、ユディはどうしても憎みきれない。

 この結果を超然として達観することはできそうもなかった。

 けれど、割り切れない気持ちを無理やりにでも理性という名の箱に押し込める。


 二人の道は分かたれたのだ。

 時を巻き戻すことはできない。


 ラウリ先生の元を辞し、お世話になった先生方への挨拶まわりをすべて済ませる。

 そして最後に、小鳥寮に寮母さんを訪ねた。

 十二の歳からお世話になってきた寮母さんは、ユディの躍進を涙を浮かべて喜んでくれた。

 これで王立学院に思い残すことはもうない。



 清々しい気持ちで外へ出ると、黒髪を散らす微風は、すでに初夏の緑の香りがした。

 退学するユディには、卒業式のような晴れの舞台があるわけではない。

 けれど、新しい一歩を踏み出そうとする今の自分にはそんなもの必要ないと思えた。


 裏庭に差し掛かると、件のヴィオランダの大木が遠目に見える。

 花はとっくに散り、青々しい葉に覆われていた。

 シュテファンに婚約破棄され、同じ日にハルと初めて会ったのはついこの間だと思っていたけれど、時間は着実に流れているようだ。


「————あら?」

 

 見間違いだろうか。

 木の上がきらりと光ったような気がした。

 そのままヴィオランダの大木に向けて歩みを進めたユディは、梢の中に愛しい相手の姿を見つけた。


「——ハル?」

「やあ。花、散っちゃったね」

    

 大木の枝からふわりと降りてきたハルは、騎士団の制服に身を包んでいた。

 ユディの知っている通常の制服とは大分意匠が異なるそれは、おそらく王弟専用のものなのだろう。  

 腰に差した長剣と、凛々しくも華やかな腕章が威風堂々とした風格を与えている。


「騎士団の制服姿なんて初めて見たわ!」

「フェルたちに捕まって無理やり着せられたんだけど、変じゃない?」

「全然。すごく素敵だわ。今日は何か特別な日なの?」


 王弟が正装するような行事があったろうかと首を傾げるユディである。

 そもそもハルは式典などに出たためしがないはずなのに。 


「ヴィオランダの木の下の誓いは、特別なものなんだよね?」


 ハルは仮面をそっと外すと、恭しく礼をした。


「ハル……?」

「友人のハルとしてではなく、王弟ハルトムートとしてでもなく、一人の騎士のハルとして、ユーディス・ハイネ嬢に正式にお願いしに来たんだ。きみに騎士の誓いを立てたい」

「…………!!」


 驚きに、一瞬息が止まりそうになる。

 

 城下町でデートした時に聞いた、騎士の誓いの話。

 それは「一生あなたをお護りします」という、ある意味プロポーズより重い意味を持つものだ。


 ましてやここはヴィオランダの木の下。

 その下での誓いは、一層特別なものになる。


「これからも、ずっときみを護っていきたい。今のぼくにとって、この誓いが一番誠実で、意味のあるものだから」


 厳粛な面持ちで、ハルが自らの剣を鞘から抜き払い、持ち手側をユディに差し出す。

 騎士としての心構えが先に立つのか、そこに照れた素振りは一切ない。


 ユディも黙ってそれを受け取る。

 ハルの手にある時には軽く見えるのに、実際に持ってみるとずしりと重かった。


(ハルに初めて出会った時、剣に触れるのはだめって言われたんだった……。こんなに重みがあるなんて。騎士の魂というのに相応しい逸品だわ)


 黄金色の髪をなびかせながら、ハルがユディの前に跪く。

 ユディは抜身の刃を水平にして、慎重にハルの肩に置いた。

 タペストリーに描かれていた誓いの文言を口にする。


「汝、無私の勇気、優しさ、慈悲の心、強き肉体と魂を持って我を護り給え。……汝を我の騎士に任ずる」

「————御意、我が姫」


 誓いの言葉とともにゆらりと魔力の波動がハルから立ち上がり、ユディの身体を包んだ。

 温かく、強い力だ。


 剣を引くと、立ち上がったハルが慣れた手付きでそれを受け取って鞘に納める。

 晴れやかな笑顔を浮かべるハルに、ユディも自然と微笑みを返した。


 ハルとの間に、断ち切れないほど強い絆が生まれたのを感じる。

 騎士が命を賭して護る、大切な心の絆の相手に選んでもらえたことを、ただただ光栄に思った。


 ハルが懐から何かを出して、差し出してくる。

 それは、ハート柄のリボンがかけられた、小さな箱だった。


「あ、これ……」

「このリボン、やっぱりあの店で買ってきたんだ。店主に叱られたよ、なんでこの間買ってやらなかったのかって」


 ハルが照れたように笑う。

 気にしなくていいのに……。あの店で自分がしょげ返っていたのを気付かれていたのだと思うと恥ずかしい……。


「中身は買ったものじゃないんだけどね……これ、もらってくれる? 王都に来るときにセラフィアンがくれたんだけど……」 

「そんな貴重なものいいの!?」


 中に入っていたのは、紅玉のついた細い白銀の鎖だ。

 セラフィアンの紅い瞳を連想させる、美しい紅玉だった。


「ユディに持っててもらいたいんだ。いつか、大事な人ができたらあげなさいって言われてたから」

「あ……ありがとう……」


 大事な人。

 その響きが甘やかにユディの耳に残る。


 少し迷ったが、ユディもポケットから一枚のハンカチを取り出した。

 ハルの名前を飾り文字風に刺繍してある。糸の色は……こちらも赤だ。


「お返しにこんなものしかないんだけど……。あのお店でハルが買ってくれた糸で縫ったの」

「すごいな……きれいだ。でも、隣にハートは縫ってくれないの?」


 ハルの言葉にかあっと頬が熱くなる。


「じゃあ、後で縫い足してあげる……」

 

 赤い顔をしたユディを、星色の瞳が優しく見つめる。 


「いつか……」

「え?」 


 ハルの指が、ユディの薬指にそっと触れた。


「いつか、きみが本当にぼくのものになってくれたら、もっと別のものを用意するよ」

「…………!?」


 別のもの……って!?

 それって、そういう意味なんだろうか。


 さらに真っ赤になったユディは、それ以上何も言えなかった。

 ハルの顔がゆっくりと近づき、ユディの唇を優しく啄む。


 青く生い茂るヴィオランダの木の下で、二人は手を取り合って口づけを交わした。

 唇が静かに離れた後も、星色の瞳はユディを愛おしそうに見つめる。


 ——ふと、何かに呼ばれたような気がして、空を見上げた。


(……龍……!)


 雲の上の遥か彼方を、より高みに向かって銀色の龍が飛翔していく。  

 

「ハル、あれ!」

「ああ。セラフィアンだ。あんな高いところにいるってことは、こっちに来る気ないみたいだけど……追いかける?」

「……ううん」


 ユディは首を振った。

 いずれ、必ず会える時が来るはずだ。


 タダ働きするのは不本意だが、禁書の翻訳士としての仕事を与えてくれたおかげで、これからもハルの役に立つことができる。

 退屈だけはしそうにない仕事……でも、そういえば、納期はいつまでなんだろう……。

 本当に、適当なクライアントを持ってしまった……。


 けれど。

 この依頼、ハルのためにも、そして自分のためにも、絶対にやり遂げてみせる。


「……セラフィアン様、わたし、ちゃんとやりますから」

 

 大きな決意を、小さな声で、しかし強い気持ちを持って呟く。


 ハルとともに城へ戻るユディの足取りは、これまでになく軽い。

 その胸には、新しい可能性と挑戦の日々への期待が詰まっていた——。




※ ※ ※ ※ ※

これにて完結になります。

お読みいただき本当にありがとうございました。


☆☆☆ご評価、応援♡、コメントなどいただけますと、創作意欲がモリモリとわいてくるので、ぜひぜひ応援よろしくお願いいたします(❀ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾。 


また、小説家になろうの方には本作の番外編を掲載しています。

ご興味がありましたら覗いてみてください。

https://ncode.syosetu.com/n3931gr/


重ね重ね、拙すぎる本作を温かく見守ってくださり本当にありがとうございました。

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タダ働きはごめんです! 転生翻訳者の禁書探し ちぴーた @Chipita

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