第54話 試験結果

 採用試験を終えてから数日後、ユディは国王の執務室に来るように言い渡された。


 控えの間には数人の護衛や御用聞きがおり、それらの者たちに軽く会釈をしてから執務室に足を踏み入れる。


 広い謁見の間とは異なり、国王の執務室は豪奢でも落ち着いた様相だ。

 一枚板でできた大きな円卓が中央に置かれており、国王はその奥の個人用の卓で書類を片手に初老の文官に何事かを指示していた。

 文官が出ていくと、向かい合った席に座るよう促される。


 相変わらず穏やかな光を茶色の瞳に湛えて迎えてくれるが、なぜ呼ばれたかわからないユディとしては少々緊張してしまう。

 

「ユーディス嬢、久しいな。模擬戦での活躍、それに禁書の封印を解いて内容を解読したこと、さらに貴重な書籍の盗難を防いだことも、すべて聞き及んでいるぞ。本来ならば褒美の一つも渡さなければならないところを、貴女たっての希望ですべて断られてしまっているからな。せめて礼を述べたくて今日は来てもらったのだ」

「そんな……! 身に余る光栄でございます」


 国王から直々に労ってもらえるとは予想だにしていなかったため、驚いて恐縮してしまう。

 ただの研修生が悪目立ちしないようにとの配慮から、城からの褒美という話はすべて先に断っていたのだが、フェルディナンドの性格からすればユディの働きに報いていないと気にしてもおかしくはない。


「どこから始めるか……まずは一番新しいところで、貴女とハルトムートが発見した魔導書の盗難未遂についてだな。これは犯人が捕まったぞ」

「! レイ先輩ですか……?」

「ああ。貴女の知人だったそうだが……貴女とハルトムートが予想した通り、奴はフリジアの間者だ。一昨日、箱詰めにした偽の本を乗せた馬車が、地方の図書館に向かう途中の街道で『なぜか』盗賊に襲われるという事件が起こった。馬車には『たまたま』騎士団と魔導師団の護衛が乗り込んでおり、事なきを得たがな。その時捕らえられた盗賊の一味の中に、奴がいた。抵抗らしい抵抗もせずに、大人しく捕まったそうだ」


 フェルディナンドは、ユディとハルからの報告をもとに、箱詰めにした書籍に、秘密裡に厳重な警護を手配していた。

 そこに、レイがまんまと引っかかったというわけだ。


「狙われた書籍はすべて貴重な品ばかりだったからな。あの男は数年にわたって希少本や魔導書を盗んでいたとみえる」

「そうだったんですか……だから図書館にずっと腰を据えて働いていたんですね……」

「それだけではない。あの男は我が国で知り得た情報をすべてフリジアに送っていた。それも、寄贈本を地方の図書館に送るふりをして、中に重要情報を紛れ込ませるというやり方でな。時には本の中身を一部くり抜き、時には表紙の皮の中に塗り込み……という具合に、かなり手の込んだ仕掛けを毎回施していたようだ。それらの本は、寄贈先の図書館で一旦貸し出されたら、紛失したり、破損したり、盗まれたりなどの理由によって、どういったわけか戻ってこない。または、道中でなくなって、そもそもその図書館に届かない」

「向こうで別の受け取り人がいて、本を取っていってしまうというわけなんですね。情報の受け渡しに本を使うなんて……」

「ああ、まったく回りくどいことをするものだ」

「レイ先輩は、誰から情報を得ていたんでしょう?」


 そこが、ユディが一番気になっていたところだ。

 レイは、驚くほど情報通だった。

 それに、彼が言っていた「こちら側」というのは何を指していたのか……。

 

 フェルディナンドは苦虫を嚙み潰したような表情になる。


「あの男に情報を渡していたのは、スパノーだ」

「ええ! 採用試験の不正だけでなく、情報の横流しまで?」


 レイに情報を渡すということは、すなわち他国に情報を流すということだ。

 反逆罪や国家転覆罪に問われてもおかしくはない。


「どんな情報を流していたんですか……?」


 問いを口にした途端、ユディは腹の底が冷えるような感覚を味わった。

 フェルディナンドの燃えるような怒りの気配が伝わってきたからだ。

 

「様々な情報が含まれていたが、多くはハルトムートについてだった」

「…………!!」

「不正の件だけであったら、表立った処分はしないつもりだった。ほかの諸侯との兼ね合いもあるからな。スパノーの派閥を抑えれば今度は別の派閥が頭角を現そうとする。それではあまりきつい処分を下しても恨みを買うばかりで意味がない。今回の不正騒動では、貴族でも悪さをすれば捕まるという当たり前のことを皆に思い出させることができたからな。処罰自体はそれほど思い切ったことはしないつもりだった」

「ハル……いえ、王弟殿下について何と?」

「種々雑多だったが、ハルトムートの力……強力な魔力についての情報が主だった」

「殿下の力に、それほどの注目が注がれるものなのでしょうか……」

 

 なんだか恐ろしくなって、ユディは無意識に自分の腕を擦っていた。


「それだけではない。スパノーはハルトムートをあわよくば暗殺しようと試みていた」

「!!!」


 暗殺と聞いて、ユディの血の気がざっと引いた。


「あ、暗殺って……陛下!」

「わかっている。ハルトムートは貴女に言わなかったようだが、あれは何度か命を狙われている。その首謀者がスパノーだったわけだ」

「でも……それをなんでレイ先輩に……?」

「ハルトムートを真に害しようとしたのがフリジアだということだろう」

「それは……」

 

 そんなことをしたら下手をしたら戦争になる。

 青い顔をしたユディに国王が首を振った。

 

「だがそれについては証拠がない。事が明るみに出た際には、すべての罪はスパノーにかかるようになっている……」

「どうして殿下を狙ったんでしょう?」

「ハルトムートは言うなればぽっと出の王弟だからな。与しやすいと踏んで、スパノーを通じて近づいたのだろうが……。うまくいかなかったから、今度は暗殺を試みて我が国を混乱させようとしたのだと思う」

「酷い……」


 怒りと不安で顔が歪むのを抑えることはできなかった。


「スパノー侯爵へのご処分はいかになさるのでしょう?」

「王弟の暗殺を目論んだこと、フリジアへ情報を横流ししていたこと、すべて国家反逆罪として極刑に値する重罪だ。だが、公然と処分すればそれこそ諸侯の反発を食うだろうな」

「では、不問になさるおつもりですか?」

「俺はそこまで甘い王に見えるか?」


 国王は不敵な笑いをひらめかせた。

 普段は穏やかな瞳の奥に隠れている、為政者たる威厳と冷酷さが垣間見える。  


「スパノーは処分する。ここまで悪質だと同情の余地もない。まあ、極刑以下はないだろうな。だが、ほかにもお仲間がいるかもしれんからな」


 ユディは思わず口元を押さえた。 

 安易に死刑にしてしまっては、口を割らせることはできなくなる。


「不正の件でスパノー侯を公に捕らえているからな。フリジアにもそれはすぐ伝わるはずだ。ほかの諸侯への牽制もできる。さらにハルトムート暗殺とフリジアへの情報の横流しについては、関係している者たちは今頃戦々恐々としているだろうな。スパノーを城で捕らえているだけで、あちらから俺の機嫌を伺いにやって来るだろう。誰が一番最初に登城するか見ものだな。そこから罠をどんどん張って、裏切り者をすべて炙り出さねばならん」

「不正に関わっていた諸侯たちもいるはずですよね。彼らも陛下の元へやって来るのでは?」

「おうよ。不正についてもこうなると別の意味を持ってくるからな。内部情報を横流しするのに、必要不可欠なものは何だと思う?」

「……城の内部の協力者。文官ですか」

「そう考えるのが妥当であろうな。文官採用試験の不正は、そのための手駒を増やすためであったと考えると納得がいく」


 そうでなければ、あれほど大がかりに不正を行うなど、危険ばかりで実入りがない。


「城の内部の者であればまだいいがな。あるいは……」


 国王はその後を続けず言葉を切る。

 言外に、敵の間者が味方のうちに紛れ込んでいる可能性を示唆していることくらいは、ユディにも読み取れた。

 神妙な顔で頷きを返す。


「スパノーの指示を受けて不正に加担していた者たちは罪に問うたがな。貴女も元婚約者や元同僚が処分されて複雑だろうが……」

「最初は……。けれどヴェリエ卿が喝を入れてくださってからはあまり気にならなくなりました」


 さっぱりとしたユディの言い方に、国王は歯を見せる。 


「ヴェリエ卿は貴女を大分買っているようだからな。ヴェリエ卿といいヴァルターといい、皆貴女の将来を嘱望しているようだ。よし、スパノーについてはこれくらいにしよう。まだまだ完全に解決とはいかないまでも、後はこちらに任せてほしい」


 ユディは無言で平伏した。

 ここから先の領域に踏み込むには、今よりずっと知識と経験を蓄えなくては、とてもついていけない。

 今の自分では圧倒的に力不足だった。



「貴女にはほかにも大事な知らせがある」


 目の前に、二通の書状が出される。


「貴女の身元引受人のハイネ男爵だが、ユルゲン師団長とハルトムートがよく話をしたらしい。貴女が城で働くことについて、何の異論もないそうだ。ついては、これからも我が城で、国のために尽くして働いてもらいたい」


 はっとしたユディである。


 促されて開いてみると、一つは文官の採用通知、もう一つは魔導師団の入団許可通知だった。

 国王がにやりと笑う。


「同時に二か所から声がかかるとはお見それしたぞ、ユーディス嬢」

「国王陛下、でも……」

「騎士団と魔導師団の二つに所属している者は実際にいる。ハルトムートも両方を指揮しているしな。文官として務めながら魔導師団に所属することも不可能ではない。貴女が望むのであれば、だが……」


 困ったようなユディの表情を見やり、そっとため息をつく。


「師団長とヴァルターは貴女に振られっぱなしのようだな」

「申し訳ありません……」

「謝らなくともよい。だが、理由を聞いてもよいか?」

「わたしもドラグニアの民です。武に憧れる気持ちがないわけではないのですが……。模擬戦で従妹と対戦したとき、戦うことに対して恐怖が大きすぎて……。わたしには向いていないと確信しました。傷つけられるのも怖いですが、もっと怖いのは相手を傷つけてしまうことなんです。『書き換え』や『乗っ取り』の魔法がたくさんの可能性を秘めていることはわかります。でも、できればそれは秘められたままにしておきたいと思っています」

「貴女の術をこれ以上探求されたくないと?」

「必要があればいつでも協力は惜しみません。わたしが召喚できる件の羽根ペンも、ご所望であれば差し出すことに何のためらいもありません。でも実際の戦闘の場面に身を置いてみて、あそこはわたしの場所ではないと感じました」


 正直なユディの説明は、国王の納得のいくものだったようだ。


「誰にでも向き不向きがあるのは当然だからな。模擬戦で見せた例の魔法と、魔導書を解読したということで貴女の適正は魔導師だと皆が信じきっているが、そうではないということか」

「……はい。陛下に初めて拝謁したとき、語学の知識だけではとても文官としてやっていけないということを教えていただきました。それを自分なりに考えて、専門知識の勉強も、魔法の修行も、古代語の習得にも励んだつもりだったんですが、今はまだどれも中途半端と言わざるを得ません。ただ、以前、ヴェリエ卿がこう仰っていたんです。文官の仕事も騎士や魔導師と同じく、大切な誰かを守るためのものだと。もしも叶うのなら、わたしはその道に進みたいと思っています」 


 自分の本分は、やはり翻訳なのだとユディは思っている。


 城に来るときに宙ぶらりんをやめると誓ったものの、すぐに前言を撤回するようにあれこれと手を出して、やはりすべてが中途半端になっているのは自嘲ものだが、それでもいいと今は思えてくる。

 自分のような未熟者が何もかも突然できるようになるわけはないのだから、少しずつ学んでいくしかないのだ。



 自分は「中途半端」ではなく————まだまだ「発展途上」だということだ。



「あいわかった。元々、貴女の希望に沿うてやりたいと思っていたからな。文官として正式に城に迎えよう」

「あ……ありがとうございます!」


 平伏して礼を述べるユディに、国王は鷹揚に頷いて応える。


「貴女の能力には期待している。禁書の封印を解けて、解読もできる文官か……」


 フェルディナンドは、ユディが賢龍セラフィアンから禁書の翻訳依頼を受けていたということと、そのために必死でドラセス語を習得したことを、つい先日ハルから聞いたばかりだった。 

 

「禁書の翻訳は俺も目を通させてもらった。ドラセス語をあれほど解読できるのは、ルールシュでは貴女一人だろうな」

「もったいないお言葉ありがとうございます」

「禁書を読んで一つ気になったことがある。件の魔法はウルリック陛下の王妃の喪に付すために禁止されたというが、そもそも王妃が亡くなったのはなぜだ? あの書には理由が書かれていなかったのか?」


 青紫色の瞳を思わず伏せる。

 フェルディナンドはやはり鋭い。

 あの本が禁書とされた理由は、実は最初の部分に詳しく書いてあったのだが、あえてその部分は抜かして翻訳しなかったのだ。


「申し訳ありません……。王妃様のご逝去の理由を王弟殿下に見せたくなくて、そこは省いたのです」

「ハルトムートに? まあよい、どのようなことが書かれていたのだ? 話してみよ」

「……王妃様がご逝去された理由は、魔力過多の御子を身籠ったことによるものだったんです。無理を押して御子を出産された王妃様は、それが原因で亡くなってしまったと書かれていました」

「なんと……」


 セラフィアンもその部分を省いたことに気がついていたが、ユディの判断を支持してくれた。

 フェルディナンドもまた、ユディの目をしっかりと見て、大きく一つ頷く。


「そうか、そうだな……ハルトムートの気持ちを考えてくれたのだな。感謝する」


 ユディは小さく首を振った。


「それで、次の禁書のことだがな。捜索隊をすでに組織してある」


 口元に楽し気な笑いを浮かべたままさらりと言われ、ユディの動きが止まる。


 早い、仕事が早すぎる。


「先日の夜、魔導師団の詰所から赤いハート型の光がいくつも放たれたということも聞き及んでいる」

「……も、申し訳も……」


 ハルとの関係が進んでしまったことは、すでに国王の知るところなのだ。

 顔を赤くしながらも、ユディとしては頭を下げるしかなかった。


「何を謝る? 貴女には感謝してもしきれない。人間嫌いのハルトムートの心をこうまで変えてくれたのだから。あれは強い力を持っている。そう、強すぎるほど……。王としてではなく、兄としてお願いする。ハルトムートをこれからも側で支えてやってほしい」

「……わたしのようなものがお側にいてもよいのでしょうか?」

「身分のことか? そうさな、こちらで適当に用意してもよい。いっそのこと、俺の養女になるというのはどうだ?」


 ユディは思わず咳き込んだ。国王陛下の養女など、冗談ではない。


「へ、陛下……陛下の養女になったら、わたしはハルの義理の姪になってしまいます……」

「そうか、それはまずいな。まあ、後々婚約するということになれば公爵家の養女になるなり方策はあるだろう。身分などただの体裁だ。必要ならいくらでも整えられる」


 適当である。

 いっそ清々しいほどの対応に、やはりこの王様は「あの」セラフィアンの眷属なのだという認識を、今さらながらユディは持った。


 男爵位が欲しくて一家乗っ取りを画策した叔父と、子爵位が継げなくなったからと自分を婚約破棄したシュテファンの顔が一瞬浮かんで消えた。

 本当の権力があれば、爵位や身分などどうにでもなるものなのだ。

 ただの張りぼてに過ぎないものに、彼らも自分もなんと振り回されたことだろう。


 しかし聞き捨てならない「婚約」という言葉が出たことで、ユディはぎこちなくなる。

 国王はくつくつと笑うと、「それはまだ早かったか」と先を濁してくれた。

 

 何だかおかしくなった空気を振り払うように、国王は両手をぱちんと合わせた。

 

「さて! 話はこれで終わりだが、例の料理はいつ作ってくれるのだ?」

「例の……って、まさか唐揚げですか?」

「うむ」

「…………」


 にこにこするフェルディナンドを前に、どう返事をしていいのかわからないでいると、さっさと日時を決められてしまった。

 ハル、ヴァルター、それに師団長も呼ぶらしい。


 なぜか国王に前世の庶民料理を振る舞わなければならなくなったユディであったが、これも経験である。

 内心冷や汗を垂らしながら、顔には微笑みを張り付けて了承するしかなかった。

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