第32話 月夜に咲くは鎮魂の花 その7『帰還』 本文編集
ウルク種のカイセンは、身長は二メートル程度の猿型の魔族であった。全身を赤茶色の体毛に覆われ発する魔力も魔族として申し分の無いものに見えた。
彼の役割は湖を境に東西を村の領域とタオウラカルの集落民とに二分し、何れもが干渉をし合わないように調整する事にある、との事であった。
そうした中で、今回私達がまさかサルナエを助けるとは思わず、私が行動を起こした際も、その対応の早さ故に止めに入る間もなかったとの事であった。
「傷はもう大丈夫ですか?」
カイセンは私の魔法によって吹き飛ばされた足首の治療を行なっていた。エーテルを取り込み、
「あと数分もすれば元に戻る」
魔族の傷に治りが人族と比べて異常に速い事は自分自身の身体を以って良く知っていたが、改めて他人を通して見ると凄まじい能力であり、魔族の脅威とはこの治癒機能にあるのでは無いかとすら思えるほどであった。
私に関して言えばエーテルの取り込みは魔翼を通して行っており、基本的には無意識下で魔翼自体が私の状態に合わせて調節を行なっていた。
「煽っておいてなんだけど、カイセンはどうして僕と戦おうと思ったのさ? 僕はカトルアさえお咎めが無ければなんでも良かったのに」
私としては、カイセンの登場に関してはある程度予想がついていた故に、自分の身柄さえ引き渡せば良いというのであれば、戦う理由が今回においては特に無いと言えた。
警戒心を露わにしたのも、カイセンに対しての示威行動でしかない。
「何、遊戯と同じよ」
「あれが『遊戯』ね……」
彼の提案によって唐突に、彼曰く『遊戯』に乗じる事となったが、今回の戦いは私にとって一つの試金石になるものであった。
今回は運良く不意打ちが功を奏したものの、距離を保ったまま多連魔法による攻撃によって彼を封殺出来たと言う事は、シドナイの様な特殊事例を除いて魔力障壁を突き破る術を持たない魔族に対して、今回の戦法を用いれば接敵を許さず制圧可能である事が十分に実証できたと言える。
「ただの人族であるならいざ知らず、かのシドナイの弟子となれば話は別であろう? 私とて合理性を蚊帳に置き、時として遊戯に興じる事もあると言うもの。力を持つ者に対して挑みたくなるというのは、それこそ人族が抱く強い想いではないのか?」
先程の力比べが遊戯と呼べる可愛いものであるとするのは些か戸惑いを覚える所があった。
もしこれが魔族における通常の感覚であるならば、確かに人族が魔族と協調性を持って共に歩むと言うのは険しい道のりなのかも知れない。
一方で、族が子供の頃から魔族との交流に備える為に身体を鍛え、訓練を受けると言うのも理に適っているように見えた。
「しかし人族の成長の速度たるや、まさか手も足も出ないとは思はなんだ。因みにシドナイ相手にお前はどの程度
シドナイの過去を私は知らなかったが、どの魔族と会話しても彼との比較論になる辺り、その弟子として少し誇らしくなる。
しかし、彼の領域に到達するにはどれほどの時間が必要となるのか、想像も付かなかった。
「残念ながら、四年間訓練を受けて、最近初めて掠り傷をつける事に成功したぐらいには実力が離れているよ」
シドナイの圧勝、と私はカイセンに伝えたつもりであったが、彼は一瞬言葉に詰まったようにその猿顔が驚愕に歪んでいた。
「あのシドナイ相手にたった四年で擦り傷を……。魔翼が有るとは言え、貴様本当に人族か? それとも人族とは訓練次第で其処まで登り詰める種族なのか?」
まじまじと私の顔を見つめるカイセンであったが、「まあ良い」と漸く治癒した足首を軽く動かし、問題のない事を確認すると私に移動を促した。
「うむ、治療は終わった。行くとしよう」
「因みに僕が罰を受けるとして、実際のところ何が適用されるの?」
「さてな、貴様らが奴らと交わした内容にもよるだろう。何か村に関する情報を与えたか?」
「いや、基本的には何も言ってはいないよ。とは言え、湖より西側に人族が住む集落なり、何等か人族が存在している事は気付いてしまったのだろうけれど」
「ふむ、であれば然程問題にはなるまい。情報が洩れ出でる前に、いっそあの集落を
「それは彼らを
「はは、穿った見方をするではない。『我々』の中には当然貴様含む村の人族も入っているとも。魔族は支配者では無い。盟約を結びし者はその下で平等が約束されている。勿論その盟約を結ばぬ者達についてはその限りではないがな」
「なるほど。支配ではなく、取り込むと考えた方が正しいわけか。彼らがどこまで譲歩するか、そして一度彼等から拒否を受けた分、村長がどう判断するかが問題かな。難しいものだね。個別の考え、集団の考え、環境が変わればそれ等は変わらざるを得ない。変わらなければ、滅びるだけか」
「然り。魔族も『個』を持つが、種としての考えは極めて同質。一方で人は『個』によってもまた考えが異なるのだろう。故に同じ種族間であれほどまでに争い合うのだ。人族の価値観、特性を否定する事はしないが、その『個』の強さこそが、未だ魔族と人族に諍いがある事の要因であろうよ」
カイセンは達観したように私に自説を語った。
「そうだね、人が理解し合うのは時間がかかるんだ。いつの時代もね……。そろそろ村に着くね」
私とカイセンは暫し会話を続けながら北門を潜り、今後の取り決めを交わした。
「一度僕たちは集落に帰るよ。カトルアも送り届けなくちゃいけないからね。出頭は何処にすれば良い?」
「商業地区の中央にある社へ来ると良い、取り調べは村長のトリポリの検分の元に行われる。透明性を希望するのであれば人族の者を連れてきても構わない。この場合は人族の長老であるバニバルスが適任と思うが?」
「僕もそれには同意見だね。まだ昼前か……夕方までには顔を出すようにするよ、それで構わない?」
カイセンは頷くと軽くこちらへ手を振って足早に姿を消した。彼はシドナイへ報告を行う為に、警備部隊が駐在する屯所へと向かうとの事であった。
未だすやすやと眠る様子を見せていたカトルアであったが、偶に乱れる呼吸が魔翼を通して感じ取れており、私は彼女が既に目を覚ましている事を把握していた。
「カトルア、もう目を開けて大丈夫だよ」
「気付いていたんだ?」
「まあね。あれだけ激しく動いていたら起きない方がおかしいからね」
「……ラクロア捕まってしまうの?」
カトルアは私の背を強く握りながら、不安げな声を上げる。
「まあ、なるようになるさ。一度人族の集落に戻ろう」
足早に集落に戻ると、大人達が私達を待ち構えており、ミナレットがカトルアを迎えに来ていた。ミナレットにカトルアを引き渡すとミナレットは無事に帰ってきた子女を安堵したように抱きしめると同時に私に対して家へ入るように促した。
長老のバニパルス、ミナレットの他に普段は見ない何人かの集落の上役が既に席についており、私の帰還を待っていたようであった。
「おお、ラクロアよ。無事であったか」
第一声はバニパルスからであった。その後は大人達から幾つか質問を受け、昨晩から何があったか、特に湖を超えた先に集落がある事、サルナエから交流開始の申し入れを受けた事、集落の状況などを掻い摘んで話をした。
彼らはある程度の話をクオウやライ達から既に話を聞いていたようで、夜に湖に向かった事について追求するつもりは今のところは無い様子であった。
「しかし、夜間に集落を抜け出しただけに飽き足らず、魔獣から他所の人間を助け出した上に、許可なく当方の集落へ立ち寄り、あまつさえ厄介事を持ち帰るとは、誠に豪気な事じゃのう」
何処となくバニパルスは愉むようにして嘯くが、周囲の大人達は笑い事では無いとバニパルスへ言い返す。
「明らかにやり過ぎですよ。夜に冒険がてら湖に行くなんて言うのは我々もこれまでやっていた事ですからこの際は不問にしておくとしても、他の集落民との接触は村の戒律に抵触している。勿論、人間を助けた判断を糾弾する気は無いが、争点はその集落の取り扱いと、ラクロアと帯同したカトルアには相応の罰が下される事になるという点です」
クオウの兄であるロイ・サウダースは父親の名代としてこの場に参加していた。二十歳になったばかりであったが一本芯が通った明朗な性格は次期当主として有望と専らの評判であった。
名代としてこの場にいるからにはと、その能力を発揮する為にバニパルスに対しても臆する事無く発言を行っており好感の持てる人物であった。
ミナレットから状況を聞くと、どうやら名代としてロイを残した父親であるダグナス・サウダースが子供達の状況を確認すると同時に既にトリポリ村長へと今回の話を持ち込み、ある程度の根回しに行ったらしい。これは人族としては確かに正しい行動であったと言える。
大人達は状況の把握が確り出来たと、今後の話に移ろうとしていたが、そこでミナレットがところでと会話を止めた。
「あの湖はウルク種の魔族が見張り番をしていた筈だが、奴はどうしたんだ? それこそ本来は奴がお前達を止める役目だっただろうに」
大人達は確かにと頷きつつも、一方で監視役を責めるのは筋違いだとも理解しているようであった。そもそもは集落の規律を破り、村としての戒律を破った事が問題であり、監視役が機能しなかった事とは別問題であった。
「まあ、そこに関して言えば、結果的にこちらの行動を読み切れずに役目を果たせなかった、という所だね。正直に言うと、その監視役のカイセンと交渉して、この件について村長にも口利きしてくれる事になっているのだけど」
しん、と室内の活気が一瞬にして止み、皆が一様に私の言葉の意味を図りかねるとでも言うようにこちらを見ていた。
「因みに、その内容というのは?」
ロイは監視役が戒律破りの私に対して何等か利するとは思っても見なかったようで、訝しげに目を細めていた。
「人族の他の集落と交流を開くには村長の許可が必要なのでしょう? 当然こちらとしても長老から直接申し入れをする必要は有るけれど、これは今回の戒律破りとは別件として取り扱って貰える筈。これが先ず一つ。もう一つは今回罰を受けるのが僕だけで良くなったと言うことかな」
「内容は分かった。だが、その条件をどうやって引き出した?」
ロイは寧ろそちらの方が重要と言わんばかりに重ねて質問してきた。最もな質問であったが、答えを聞くと一同は再び沈黙に陥った。
「交渉としてカイセンと戦って、勝ちました。『魔を宿す者同士、力で結果を得よ』というのが彼の題目でしたよ」
「ウルク種と手合わせをして生き残ったばかりか、勝ったというのか……、そんな事が有り得るのか!?」
想像に埒外とはこの事だとロイはその後無言で天井を見つめていた。逆にこれを聞いたミナレットは沈黙の後に大いに笑い、良くやったと私の肩を何度も叩いていた。
「しかし、やるべき事が幾つかあるようじゃな。先ずは出頭しトリポリ殿と話をせねばなあ」
バニパルスはぽりぽりと頭を掻きながら場を取り纏めた。
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