第31話 月夜に咲くは鎮魂の花 その6『魔翼を持つ者』
湖から東方へと向かう許可を持たぬ者達を見張る役目、そのような役割にどれほどの価値があるのかと疑問を持っていたが、数十年に渡ってこの任務を遂行している中で幾つか気づいた事があった。
人族はどうも月夜の月下草を嗜む傾向にあるようである。
毎年多くの人族が月下草を愛でる為にこの時期になると湖に足を運んでおり、魔族の中でもそうした人族の行いに興味を持つものがちらほらと顔を見せるようになっていた。
今年も夜分に大人の目を忍んで、人族の子供達が月下草の交配を見に来たところまでは私も見て見ぬ振りをするつもりであったが、タオウラカルから訪れた巫女と子供達が出会う事は想定外であった。
かの集落民は嘗ての盟約として、湖以西を禁忌とし、その立ち入りを禁じた事も有り、双方の出会いは想定外の出来事であったと言えた。
更に想定外と言えば、湖に集まる魂に呼ばれてか、はたまた魔翼持ちの少年がその場にいた為か、魂の回廊を通じて上位存在までもがあの場に姿を現した事は特筆に値した。
彼の者達の存在によって私の魔力感知が一時的に乱された事も、子供達の行動を見逃す大きな要因となったことも今となっては口惜しい。
巫女が魔獣に襲われた際も私が介入するよりも早く、魔翼を持つ少年が事も無げに魔獣を鏖殺する様を見せ付けられる始末。あの場で私が間に合えば、子供達と巫女の邂逅を防げた筈であったが、今となっては後の祭りであった。
その後も、魔翼を持つ少年の警戒心は留まるところを知らなかった。
その為、私自身も彼の大規模な魔力感知をなんとか潜り抜けつつ監視と警戒行動を取らざるを得なかった。
今、少年達はタオウラカルに巫女を送り届け、暫くすると再び移動を開始しており、目下、大森林の道無き道を木々の上を跳躍しながら高速で移動し続けていた。
(全く、とても人族とは思えんな)
しかし、巫女を直接トリポリ村へと連れ出さなかったのは僥倖と言えた。
仮に彼女をあれ以上村へ近づけていたとしたのであれば、その場で私が介入し、巫女を殺さざるを得なかった。
(しかし、このままでは逃げられかねん、か)
明確に村を目指して直進しており、このままでは私の警戒網から脱し何事も無く村へと帰り着く速度であった。
しかしながら、彼らがタオウラカルの集落民と会話を交わしている以上、この件は人族の中で議題となるのは明白であった。
人族が彼等に対して何等かの検討ないし、族長会を通して、トリポリ村長に対して交渉を行う事は容易に想像できる流れである。それであればこそ、監視者の私の役割としてそれを何の足枷も無く、簡単に許す訳にも行かなかった。
私は少年の放つ魔力およびその流れから導線を予測し、私は最早彼の警戒網を気にせずに一気に近づく事とした。
お互いの魔力感知網が重なる距離になる頃には、はっきりと少女をその背に携える『魔翼』持ちの人間を視界に捉える事が出来た。
「待たれよ」
私の突然の声掛けに少年は明らかな警戒感を見せながら動きを止め、放射状に魔翼を展開しながら一息では詰めきれない絶妙な距離感を保ちつつ私を正面に見据えていた。
その少年の所作は淀みなく、既に臨戦態勢へと移行しているのが見て取れる。
少年個人に内在する
私は魔翼自体が放つその濃密な魔力に私は背筋に冷たい物が走るのを感じつつ、即座に攻撃をしてこない辺り理性的な交渉が可能であると努めて冷静な判断を下した。
「私は大森林の管理を担っているウルク種のカイセンだ。人族の少年よ、村以外の者との接触は我々の戒律に基づき禁じられている事は知っているだろう」
少年は何処となく察していたとでも言うように目を細めながら返答する。
「そうだとして、魔族に従わない人族を結果的に見殺しにせよと貴方は言うつもりか?」
少年が持つ魔力そのものの動き、流れに淀みは無いものの、魔力から伝わる感情は生命を凍り付かせるような程に鋭く迸り、明確な危機感を私に植え付けていた。
怯む、という感覚に全身が粟立つのを感じながらも、私は敵対心を出さぬように正論を以て彼の理解を求めた。
「我々はかの集落に住う者達に選択肢を与え、そしてお互いに協定を結び生きてきた。関わりを持たず、干渉をしない。そう決めた中、彼等が君に助けを求めたからと言って、これまでの取り決めが突如無くなると考えるのは無理があるのではないか?」
「交渉の余地は無いと?」
少年の言葉に剣呑な語気が見て取れ、流れに不味さを覚えながら、私は言葉足らずな部分を補足する事に努める事とした。
「それは村長であるトリポリ殿が決める事であって私の領分ではない。私は無闇に情報が他所へ漏れる事を管理するのが役目。そして君のような者を村へ連れ帰り罰を与えるのも役目の一つという訳だ」
少年は少し考え込み、状況について漸く理解を示した。圧力の程度は変わらぬものの、彼の魔力に危害的要素は汲み取れず、現時点で私に対する攻撃の意思は無い様に見えた。
「ふむ、であればこの事態を人族の長老から村長へと話を通すのが筋というわけか。今の私に決定権は無いと言う意味も含め、貴方の言う事は最もではあるし、なるほど確かに理にかなってはいる……。私が村長まで話を持っていくと、それでは貴方の顔が立たないか……」
子供とは思えぬ整理と理解度を見せ、言葉にも柔軟さが見て取れた。
「そうですね、貴方が人族の長老と村長との我々にとって都合の良い仲介役となってくれるのであれば、罰とやらも抵抗せずに受ける意向はありますが、その辺りはどうですか?」
その様子に私も先ほどまで高まっていた緊迫感が薄れたのを感じ、若干警戒心を解きつつ、彼の質問に答える。
「うむ。
拘束という言葉に少年の警戒心が再び一段上がり、魔翼が不穏な動きを見せる。
「それで、貴方のいうところの罰は何になるのです?」
「どんな情報を漏らしたかに関しての詳細な聴取の後に罰は決まる。それに見合った労働罰か、悪質な場合は牢に繋がれる。運が悪ければ魔大陸への追放も視野に入るな」
少年は幾つかの可能性を検討する中で今の自分が取るべき選択肢がさほど多くない事を認識しているようであった。
「ふむ、まあそんなところでしょうね。私の願いとしてはこの娘については私が無理矢理連れて行った事にするか、若しくは見なかった事にして頂けると助かるのですが」
少年は納得した表情を見せつつも私に対して譲歩案を提示してきた。笑顔ではあるが、凡そそれは友好を求めるものではなく、場合によっては敵対を表す示威行動とも取れた。
「それは、脅しか?」
私は少年に気取られぬように全身に
「脅し? いやいや、これは譲歩ですよ。ここで暴れられて逃げられでもしたら目も当てられないでしょう? 違反をしておいてなんですが、かなり割りの良い提案をしていると思うのですが?」
確かに私にとってここで彼に暴れられるのは本望ではなかった。大人しく拘束されると言う以上、下手な交渉は逆に事を荒立てかねなかった。
「少年、名前を聞いていなかったな」
「ラクロアです。家名はないので、唯のラクロアと覚えておいて下さい」
ラクロアという名前に私は聞き覚えがあった。それは村の警備隊長を務めるエキドナ種のシドナイがここ最近気にかけている人族の若者の名前であった。
この少年が持つ雰囲気、それは人族が魔翼を持っているというだけではなく、彼がシドナイによって鍛えられたが故に放たれるものである事に気付き、私は漸く納得がいった。
であるとするのであればラクロアは最早人族の枠を超えた存在として認識しても相違無いのでは無いかと、ふと私は其の場で思い至った。
「ふむ、ふてぶてしさ極まるとはこの事よな……。その肝の太さに免じてその娘は見逃してやろう。但し、私に勝てたらと、条件を付けるとしようか。お互い魔を宿す者同士、欲しい物があるのであれば、力で掴み取る、それもまた一興ではないか」
「なるほど、そういう提案もある訳か……。いいでしょう」
ラクロアは顔色一つ変えずに頷いた。
刹那
ラクロアが容赦なく放った魔翼の一閃が私の眼前に迫る。
獰猛な獣のように私の魔力障壁による防御を乱雑に引き裂き、そのままの勢いで魔翼は直進を続ける。
致命的な一撃を加えんとする死の結晶体を私が辛うじて躱すと、今の一撃が目眩しとばかりにその合間にラクロアは後方へ大きく距離を取り、全身に強大な魔力を漲らせた。
その一瞬の合間にラクロアは絶対的な防御を確信させる、堅牢な魔力障壁を前面に展開していた。
同時並行して僅かな魔力の律動をラクロアから感じた瞬間、続けざまに私は閃光と爆音に飲み込まれていた。前後不覚に陥る合間に後追いで生み出される強烈な衝撃と明滅の多重奏が、視界を、鼓膜を、肉体を強かに打ち抜き身体を後方へと吹き飛ばした。
(なるほど、良くやる……)
私は身構える間も無く、ラクロアによる無詠唱魔法の多段攻撃の前に為す術なく弄ばれていた。
その容赦無い攻撃に慢心する事なく、ラクロアは彼我の距離を更に開き、容易に近付かせようとしない構えを見せていた。
「これでいいかな?」
ラクロアは努めて冷静な口調で私に継続を問うた。
不意打ちを卑怯とは言うまい。私の殺気に反応して即座に行動に移す器量と度量は賞賛に値した。
しかしラクロアがウルク種の魔族がこの程度で根を上げると思っているのであればそれは間違いであった。
大気中のエーテルを全力で取り込みマナ精製と共に身体の傷は徐々に癒え、二十秒もせずに私の身体は再び言う事を聞くようになった。
「なるほど魔術師の系譜であるか。良く鍛えられている、だがそれでは私は止まらん」
私は降伏の意志は見せず、突撃の為に魔力を四肢に集中させ、誤差なく大地を蹴り進まんと試みた瞬間に身体を違和感が襲った。
(な……ッ!!)
「容易に近付けるとは思わないで欲しいですね」
ずぐり、と身体が傾き思わず地面に手を付かされる。
突如として現れた身体の違和感の原因は自分の足へと視線を落とす事で、一瞬にして理解が出来た。驚愕に目を見張りながら、そこには在るべき足が存在していないことを認識する。
奴が私の突撃を予期してピンポイントに足首を魔法によって狙撃したという事らしいと気づくが、その魔法発動の速度が速すぎた為、確信を持った訳ではなかった。
事実の認識を仮定で捉えざるを得なかったのは、先程の多段魔法とは違い、ラクロアの魔法発動に際して魔力膨張を略感じる事が出来なかったからであった。
ラクロアは淀みの無い魔力操作によって私に気付かれる事なく精密に制御された魔法を発動し、行動の選択肢を奪ったという事になる。
そして、ゆゆしき事に。その速度は私の身体強化の魔力操作すらをも凌駕しているという事になる。
その速度と威力、何よりも練度の高さに瞠目しつつ、再びエーテルを取り込み身体の治癒を始めるが、先程とは違い欠損を修復するのに時間が掛かる事を認識する。
「まだ、やりますか?」
その冷徹さが満ちる藍色の瞳を私は見上げていた。
「いや、十分だ。お前の勝ちでいい」
「良かった。僕としても本来敵でも無い相手を傷つける趣味は無いからね」
私が負けを認めると場を完全に支配していた魔力は鳴りを潜め、背筋を伝う悪寒も直ぐに消え失せた。ラクロアの口調も年相応に戻り、温和表情を浮かべる少年の姿だけがそこにはあった。
私は額に汗を浮かべながら、彼が持つ底知れぬ力に畏怖を覚えると同時に人族の成長の速さに対して認識を新たにする事を密かに誓った。
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