第30話 月夜に咲くは鎮魂の花 その5『タオウラカルの民』


「こちらへどうぞ、私の生家となります」


 木造の家は大黒柱を中心に居間が設けられ人が五、六人暮らすには十分な広さがあった。


 部屋の中央には囲炉裏があり、夏の今は完全に火が消え、灰も掻き出されていた。壁には幾つかの狩用の仕掛けや縄、冬に着るのであろう羽織など雑多なものが掛けられていた。


 部屋の細部まで綺麗に掃除が行き届いており、座敷にはグロウベアと思われる魔獣の毛皮で作られた敷物が用意されている。


 その他にも、龍を象った木の彫り物や、魔除けと思われる鉱石を数珠繋ぎにしたお守り等、トリポリ村とは異なる文化が存在する事が印象に残る家であった。


 村とは違い、靴を脱いで家に上がると早々に、サルナエが幾つかの植物をすり潰した粉をお湯に溶かした飲み物を渡してくれ、私達は、ほっ、と一息をつくことができた。


(不思議な味だが、癖になりそうな味だな)


 私は躊躇いなく飲み物に口を付けたが、カトルアはそれを珍しそうに匂いを嗅いだ後、少し躊躇いがちに口を付けたが、喉元を通り過ぎる頃には慣れを見せ、漸く一息ついたようであった。


「改めてお礼を申し上げます、ラクロア様、カトルア様。何も無いところでは有りますが少し眠られた後にお食事をお取りください」


「ありがとうございます。少し休ませて頂いてから帰りますね」


 私はともかくカトルアは昨晩からの強行軍であった事もありかなり疲労が溜まっている様子であった。


 サルナエは頷くと、直ぐに寝具を用意し、私とカトルアに眠る様に促した。


「ありがとうございます。カトルア、先に眠っていていいよ」


 カトルアは自分の様子を見て少し躊躇い、小声でサルナエに水浴びを所望していた。


 乙女の恥じらいと言うものだろうか。


「それではカトルア様は私と参りましょう。ラクロア様は如何されますか?」


「私はここで待たせて貰いますよ」


 暫くまんじりともせず待っているとカトルアとサルナエが数十分後には戻って来た。


『無垢付けき風の御霊よ、温もりの風をここに』


 カトルアが濡れた髪を乾かすのに、温風を起こす魔法を詠唱使用したのを見て、魔法術式が抗力を発揮する様をサルナエは不思議そうに眺めていた。


 魔法と言う物はこう見ると便利なもので、痒い所にも手が届く汎用性を兼ね備えている。


「ああ、凄く疲れたわ……。村で騒ぎになっていないといいけれど……。でも、もう駄目……」


 カトルアは準備が済むと、私の隣に敷かれた獣の皮と羽毛で作られた寝床に入り、数分も立たずに眠りに落ちた。水浴びも最後の元気といった所だったのだろう。


「サルナエさん、少しお話しを宜しいでしょうか?」


 はい、とサルナエは答え私の正面に腰を下ろした。その様子から察するに私からの質問を想定していた様であった。


「この集落は外部とも交流があるとの事でしたが、基本的にタオウラカルに住まう方々は湖から更に西へ行かれた事は無いのですか?」


「はい。ここに集落が出来てからと言うもの、湖を越えた西側は禁断の地として私達の集落では足を踏み入れる事を禁止としております」


 禁断の地、という言葉に何らかの意味を私は感じながら、具体的に何故禁断の地となったのかを思いめぐらせる。狩猟民族という、彼女達の生活様式からして、大森林内、クライムモア連峰における行動の制限は単純に生活が苦しくなる可能性を孕んでいた。

 

 それを受け入れる必要がある、何かが過去に起こったと考えるのが妥当な判断であった。


「それは過去に魔族と何らかの取り決めを行ったからでしょうか?」


「はい、私が直接的に関わったわけではないのですが、我々の先祖が魔族と取り決めを行ったとの事でした」


 サルナエは私の言葉を肯定し、言葉を続ける。


「私達の先祖は人魔大戦以降、魔族と人族の間で中立を保つ事を決めた、始まりの人族となります。魔大陸となった大森林で今まで通りの生活を営む私達でしたが、それに対して魔族は我々に服従を求めませんでした。しかし今から約七十年前に湖を境として大森林の西側へは立ち入らないという新たな取り決めを行ったとの事です。理由は明記されておりませんが、それからは西側を禁忌の地として誰も近付かなくなったという訳です」


「七十年前に何かが起こったか……」


 私は少しばかり嫌な予感を覚える。


 念のために私は彼女にこの集落の成り立ちについて詳細を尋ねる事とした。


「人魔大戦は約四百年以上前の大戦と聞いています。部族として此処まで生き残って来た集落にしては人の数が少ない様に思うのですが」


 私の疑問に対してサルナエはあっさりと肯定して見せる。


「そうですね。過去にはもっと多くの人数が集落には住んでいたと伝えられています。しかし元々狩猟を生業としてきた部族ですから、それ程多くの人数を止めておく事はできずに徐々に分裂していったと聞いています。ただ、ここ最近は流行病も有り、人数が減る一方です。集落に残された若者も少なくなってきました。昔のようにスペリオーラ大陸からの入植者も居なくなってしまっていますから」


「ほう、昔は入植者が居たのですか?」


「ええ、多くはスペリオーラ大陸内で起こった戦争や政治闘争が起こる最中、そうした紛争から逃れる為の者達が多かったのですが、ある時を境にそれも見なくなりました」


「それは、先程仰った七十年前に交わした約束の頃からですか?」


 サルナエは私の推論に対して良く分かりますねと、驚いたように頷いた。


「はい、その通りです。魔族と約束を交わしたあの頃から私達の集落に人が訪れる事は滅多にありません。それこそラクロア様やカトルア様といったご客人も久方ぶりですね」


 恐らくは魔大陸側に追放となったシュタインクラード公国の人間は過去の歴史から、ロシュタルト砦を越えた後に、何等か人族の足跡を求め、魔石坑道へと続く道のりを歩み、結果として大森林の西側を進むのだろう。


 トリポリ村が出来るよりも前は、活動範囲に制限の無かったこのタオウラカルの民が、そういった流浪の者達を集落へ連れ帰り迎え入れてきたのだろう。


 今ではトリポリ村があるが故に人的資源の確保が難しくなっていた。運の悪い事に流行病が重なり、集落民の数が激減したという事なのだろう。


「因みに近隣の他の集落に助けを求める事は出来無いのですか?」


 サルナエは「それは非常に難しいでしょう」と被りを振った。


「既に一度、より親密な交流を求めてハンナバハルという村へ打診を行った事が有ります。ここから遠く東の沿岸部に存在する漁村なのですが、結果としてそれは無理であるとの事でした」


「それには何か理由があるのですか?」


「ええ、地理的にハンナバハルは魔大陸とスペリオーラ大陸を分ける河川から東側、つまりスペリオール大陸に属する村となります。それ故に魔大陸側にある我々の集落に手を差し伸べる事は出来無いと……。交流があるのも、塩等の必需品を細々と取引きしていた程度となりますので、彼らとして我々を助ける利点が無いようです。であれば、魔大陸側にいる他の人族に助けを求める他に選択肢はありません」


 魔大陸に存在する集落を下手に助けたときにどのような事が起こるか、政治の面でも関わりたくないというのはその通りだろう。


 一方で交易が存続しているのは恩情か、それとも狩猟山岳民であるタオウラカル民が持ち込む魔獣の肉や毛皮、その他魔石等の素材が重用されている可能性は十分に考えられた。


「しかしこれまで東側で助けを求められるような村落は無く、西側は魔族との盟約によって調査が制限されているという事ですか……」


 一見すると、タオウラカルの民は詰んでいるようにも見える。本来出会うはずの無かった私とカトルア、この両名と出会った事をサルナエは幸運と感じているのは間違いない。


「ラクロア様達は西側に住まう人族なのですよね? そこには魔族もいらっしゃるのですか?」


 どうしたものかと私は考えあぐねていた。


 彼女達は言うなればトリポリ村が出来たことによって、位置情報や内部情報の特定、流出を防ぐ為の犠牲となっていると言っても過言では無かった。

 

 子供と女性の足で山道をせいぜい一日程度歩いた近い距離にありながらトリポリ村の存在を知らないというのは、徹底した情報管理を魔族と村で行ってきたが故ではないだろうか。


 そうした中で、彼女達に情報を渡す事はかえって危険な状況に追い込む事にならないか、私としては心配ではあった。


(今は未だ情報は開示出来ない、か)


 魔族側で何らかの情報管理を行なっているとすれば、彼女達がこの状況に追いやられている事も偶然とは限らない。魔族に従わない者達として意図的に緩やかな滅びを与えられている可能性すら考えられる。


「それを知って貴方はどうされるつもりですか? もしも別の人族の村があったとして入植を希望されるのですか?」


「いいえ、それは有り得ません」


 サルナエは私の質問に対して即座に否定を返す。


「私達はこの集落に生き、この集落で死ぬ者達です。先祖代々の土地を捨てて他の村に移る事は私達が許しても多くの御霊が赦しはしないでしょう」


「であれば、何をお望みなのです?」


「交流を。先ずは貴方達の部族と交流を図り、我々の生活圏を拡げたいと考えています。外の血を求めるのはどこも同じでしょうから、決して悪い話では無いと考えます。それこそ私とラクロア様が夫婦となるのも一つの選択肢かと」


 サルナエは冗談では無く、極めて真面目な口調でそう言い切った。それは集落に生きる者としての義務とでも言うかのようで、私には無い感性と言えた。


「ふむん。それは私が魔翼を持つ者だからですか?」


 サルナエの翡翠色の瞳が揺れるのを私は見逃さなかった。


「はい、仰る通りです。魔翼を持つ者が絶対の力を持つ者であるという事は、我々にとっても常識ですからね。ラクロア様が住う集落においてもラクロア様が何等かお力を持たれている立場にあるものと推察しております」


 非常に明快な回答で有り、そこに打算が含まれている事を隠さない一貫した姿勢はある意味でとても好感が持てるものであった。


 また、同様にすれ違った住人達の目の色が変わった理由についても納得が行くものであった。


(魔翼の恩恵……、確かにジナートゥやヒナールもそのような事を前に言っていたな)


 サルナエが私を見るように、トリポリ村内の人族においても、魔翼を持つ存在は利用価値が有るとして見られているのだろう。


 魔翼云々を抜きにして考えたとして、即座に『交流を持つ』と言う彼女の提案を受け入れる事が出来るものでも無いのも確かであった。


「貴方達は人魔大戦以降にどちらにつくでも無く中立を保つ事を貫いている。それは協調性では無く独立性と呼ぶべき考え方です。恐らくはその辺りに今の貴方達が置かれている根本的な原因ないしは遠因が有ると言えるように思います。私としても今後の交流を即時お約束が出来るものではありません」


 とは言え、このまま見捨るのであれば、そもそもサルナエを救うべきでは無い。責任を持ったからには、やれる限りは手を尽くすべきだろう。


「とは言え、私としても出来る限りの事はしましょう。一度帰って大人達の意見を仰ごうと思います。同じ人族同士、主義主張が違えども、手を取り合う事が出来ればこれほど心強い事は無いですからね。それに、サルナエさんのような美しい女性との出会いも大事にしたいですしね」


 私の言葉にサルナエはほんのりと頬を赤らめ、どぎまぎとした様子で視線を泳がせていた。先程までの緊張感のある表情とは変わり年相応と言える反応であった。


「では一度、私はカトルアを連れて帰るとします。彼女の両親も心配している頃でしょうからね」


「流石に今すぐここを発つのは性急ではないでしょうか。助けて頂いたお礼も出来ていませんし、カトルア様もお疲れの様子ですから」


 確かに傍から見れば私の行動は性急であるのだろうが、サルナエとの会話の中で私は一つの可能性について懸念を抱いていた。


  これほどに情報管理が為された中で、魔族の姿が見えないというのは些かおかしい。私の杞憂であれば良いが、ひたすらに泳がされているとするのであれば、早急に対処する必要があった。


 私はカトルアを魔翼を用いて優しく抱き抱え、半ばおんぶする形となった。ある程度速度を出しても問題無いように魔法障壁で身体を保護する事で私とカトルアの位置を固定した。


「……御止めしても無駄なようですね」


 サルナエは少し悲しそうに目を伏せた。その黒く長い睫毛が印象に残るが、私は止まる事は無かった。


「ああ、最後に質問を一つ。とはなんなのです? 黒騎士の事を聞きそびれていました」


「人の魂が還る場所、そう呼ばれています。魂は回廊を通る事で前世の穢れを洗い落とし、次の器へとその身を移して行く。我々の神、冥府の王の誘いによって全ての魂は有るべき場所へと還されるとされております」


「あるべき場所へ、魂が還る、か……。ありがとうございます、続きは次回にするとしましょう。それでは失礼します。ふふ、そんなに心配せずとも大丈夫ですよ、きっとまた会いに来ますから」


 サルナエの不安げな瞳から逃れるように、私はカトルアを背負い、タオウラカルを発つ事とした。

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