第29話 月夜に咲くは鎮魂の花 その4『巫女サルナエ』
一足飛びに子供達の下に戻ると、先程の遣り取りを見ていたライが興奮した様子で真っ先に私に声を掛けて来た。
「魔獣の群れをあんな一瞬で! あんた、訓練ではあんなの見せなかったじゃ無い! あーもう、飛び出した時は驚いたんだからね!」
ライは驚いたように私の事を褒めそやすのに合わせ、他の子供達も異口同音に私の強さについて言及していたが、クオウだけは私の独断を咎め、彼女の処遇についても意見して来た。
「これは明らかな規則違反だぞ。その人の処遇をどうするつもりだ?」
その点に関してクオウは正しく、村に住う人族以外を救い、更に村へと誘うのであればそれは確かに規則違反と言える。
「ふむ、確かに無闇に連れ帰る訳にも行かないか。とは言え優先すべきは僕達の安全確保からだろうね。一先ずは移動して湖から離れよう。森の中でも魔獣除けがあればある程度の安全は確保できるだろうし」
これに関してはクオウも同意を見せ、元来た道を先程の女性含めた七人で戻る事となった。
湖から離れ、魔獣の気配が消えたところで一度腰を落ち着け、女性に状況を聴取する事となった。
「改めてご無事で何よりでした。私の名前はラクロアと申します。先ずは貴女のお名前からお伺いしても宜しいでしょうか?」
私は外行きの態度で彼女へ名乗りを上げ、同時に彼女の名前を尋ねた。彼女は此方を子供と思っていただけに、その身の変わり様に少しばかり驚いた様であった。
「私はサルナエと申します。ラクロア様御一行はこの森にお住まいなのでしょうか?」
物腰柔らかな声音で彼女はサルナエと名乗った。
「大森林の中では有りませんが、遠からずという所です。サルナエさんは何故ここに?」
私は私達の出自に関しては情報を出さぬように気を付けつつ、サルナエから可能な限り情報を得る事とした。
「祈りを捧げに参ったのです。この地域に昔から伝わる伝承が有るのはご存知ですか? 私共の教えでは月下草は別名を鎮魂花と呼ばれています。『鎮魂花の生命の輝きに無数の魂が吸い寄せられし時、冥府から魂を求める亡者が溢れ出でる』これは我々の一族に伝わる口伝となりますが、その亡者達と、冥府へと送られる魂の安寧を祈るのが私達巫女のお役目となります」
亡者とは、先ほどの黒騎士の事を言うのだろうと私は得心した。
確かにサルナエの言葉を受けて彼らは素直にその身を霧散させ、地の底へと姿を消した。
「巫女と言う物に我々は疎いのですが、何か信仰がおありと言う事ですね。服装を見ても我々とは少しばかり装いが違いますね。しかし巫女と言うからには湖は祈りを捧げる神聖な場所であったという事ですね」
サルナエは私の言葉に頷き肯定を示した。
彼女を改めて観察すると、彼女は麻と思われる通気性の良さそうな白を基調とした着物に似た装束に身を包み、腰元を帯で留めていた。
足下まで伸びる裾には幾何学模様の刺繍がされており、その下には肌を隠す薄目の履き物をしているようであった。
足元は動きやすそうな鞣革で作られた靴を履いていたが、私達が履くようなブーツに近い造形とはやや異なり異文化の物である事を強く印象付けていた。
彼女の首と腕周りにはそれぞれ青色に薄く輝く魔石を数珠繋ぎとした首飾りとブレスレットを下げ、何らかの呪術的な役割を担っているようであった。
サルナエの顔の造形は村にいる人族ともそれなりに似通っていたが、真黒な髪は何処かトマムを思わせると共に、はっきりとした切れ長の目は何処か異国風に映り、何処か親近感を覚えていた。
彼女を見つめているとふと視線が交わり、目の色が翡翠を思わせる深い緑である事がよく分かった。サルナエは私の瞳から視線を奥に移し、魔翼をまじまじと眺めていた。
「それで魔獣に襲われていたら本末転倒じゃないか……。それでサルナエさんはどこからこの湖に来られたんですか? 」
クオウがぼやきながらにサルナエに質問すると、少々ばつの悪そうな顔をしながらもサルナエは彼女の出身を明かした。
「湖から東へ行くと、森林の切れ間にタオウラカルと呼ばれる小さな集落が有ります。そこからあの湖まで魔獣除けの『匂い袋』を持って来たのですが、月下草の魔力に惹かれて魔獣が集まっていたのですね。それに気が付かず、ご迷惑をお掛けいたしました。特にラクロア様には命までお救い頂き大変助かりました」
サルナエは子供達に謝罪と、私への感謝を改めて述べると共に、頭を下げた。
「東か。クオウ、僕は彼女をその集落まで送り届けようと思うが、君はどうする?」
「こっちはこれ以上関わるのは御免だ。彼女を送り届けるのは君だけでやりなよ」
クオウの判断は至って冷静であり、私に対する嫌悪はあれど特に反論を要するものではなかった。私はそれに賛同を示し、サルナエに対し集落まで送ることを提案した。
「ラクロア様、重ねてありがとうございます。お手数ですがよろしくお願いします」
湖を迂回して行く算段を立てながら、準備を進めているとカトルアが私の袖を掴んだ。
「私もラクロアと一緒にサルナエさんを送り届けるよ。一人じゃ危ないよ」
クオウに任せて家に帰す方が効率的だとカトルアに伝えるよりも早く、クオウが割り込む様に口を挟んだ。
「カトルア、君もラクロアと魔獣の戦いを見ていただろう。僕達がいても足手まといになるだけだよ。それに、ラクロアと違って君が朝まで戻らなければ大人達がきっと騒ぎだすよ」
クオウはカトルアを嗜めるが、カトルアはクオウに対して少し寂しそうな視線を向ける。
「ラクロアがどれだけ強くても私達の仲間でしょ? クオウは少しラクロアに冷たいと思うよ?」
ぐさり、という音が聞こえそうな程、カトルアの言葉はクオウに突き刺さったようであった。
クオウは少なからず動揺した様でちらと私を見ると感情論には勝てないと悔しそうに奥歯を噛み締めていた。
その様子を見たライがやれやれといった身振りをした後に『こっちは任せて』と、私に目配せした。
「分かったよ、君はラクロアと一緒に行くといい」
クオウ、ライ、シンラ、ミナトは四人で村へと帰る事とし、言う事を聞かないカトルアと共に私はサルナエをタオウラカルまで護衛する事とした。
「まあ大人達が騒ぐようなら、上手く言っておいてくれると嬉しいね。頼んだよライ」
「ま、それなりにやっておくから安心して」
ライ達と別れ、私はサルナエとカトルアを従えて再度森を分けて進んで行った。
途中途中で休憩を挟みつつサルナエに幾つかの質問をした。
「サルナエさんは私を見た時に魔族かと質問されましたよね? この近辺で魔族を見た事があるのですか?」
「いえ、伝承の中に魔力の結晶体をその身に宿す魔族の姿が描かれておりましたので、魔獣達を屠る様を見て思わず口に付いてしまいました」
サルナエは実際に魔族を見た事は無く、噂、伝承、物語で聞くばかりであり、魔族が何処に住んでいるのか等は全く知らないとの事であった。
彼女の住う集落は元々この大森林に根差す民族との事で、クライムモワ山脈を神々の山として信仰しているとの事であった。
男達は山を源流とする山河で漁を営むか、狩を行う事で生計を立てており、魔大陸側に属する事となってからもスペリオーラ大陸に属する村落と一部交流を持ち、物々交換含む商交流も営まれているらしい。
そうした商交流で得られるのは交易における恩恵だけではなく、相手が属する現在のスペリオーラ大陸の情報もまた、同様に耳に入るとの事であった。
「その情報は私達としては興味がありますね。王国は今はどのような状況なのです?」
シュタインズクラード王国は国王を中心とする封建的な体制を依然として敷いているとの事であったが、詳しい事までは知らない様子であった。
彼女の集落には昔の王から賜ったという宝剣等が神殿に納められているとの事であったが、大戦後から公国からの租税徴収なども無くなったとの事で、元々独自の文化を持った民族であるだけに独立独歩でこれまで生き抜いて来たようである。
(外部との交流は極めて限定的と言う訳か……)
現在、集落には四十人程度が暮らしており、サルナエは集落における巫女を務めているとの事であり、狩猟民族の集落という性質上、集落自体の安定性は決して高いとは言いかねるものであった。
「そもそも何故、集落からこの湖にいらしたのですか?」
「昨年、大巫女であった祖母と母が相次いで病で亡くなり、私が祈りの役目を仰せつかりました。無事に、とは言えませんが、今回も一応のお役目は果たせましたので助かりました」
彼女は湖に魔獣が集まる事を知らなかったというが、彼女の祖母も母親もいずれ巫女となる彼女に対して何も伝えなかったのだろうかと疑問が浮かび、彼女に質問を突き付ける。
「毎年湖での祈祷をされていたのですか?」
そんな私の疑問に対し、サルナエは少し気まずそうな雰囲気を醸し出していた。
「いいえ。集落の神殿に篭り、祈りを捧げるのが通例となります」
「それでは何故、今回は湖で?」
サルナエは少し困ったように、それでいて、どことなく寂寥感を覚えさせる表情を浮かべながら私へ返答した。
「祖母と母が、二人が迷わないように冥府へと繋がると伝え聞く場所で祈りを捧げたかったのです……。これは酷い我儘ですよね。父や兄は私が湖へ行く事を許可していませんでしたし、湖が危険である事を皆知っていたのかもしれませんね」
(そういう事もあるか……しかし突飛とも言える)
私が続け様に質問を投げかけようとすると、それを見たカトルアが私を制した。
「ラクロア。人には聞かれたくない事もあるんだから、詮索はそれぐらいにした方がいいわよ。ね、サルナエさん?」
私とサルナエの間に割って入ったカトルアによって私の一方的な事情聴取は打ち切られる事となってしまった。
村の外の情報を得る機会は私にとって貴重だっただけに、残念ではあったが、女三人寄れば姦しいとは言ったものだが、二人だけであっても十分に他愛もない会話を楽しみだしたのは流石であった。
サルナエとカトルアの会話も移動距離が延びると徐々に言葉数が少なくなり始め、六時間程度歩いた頃には既に朝焼けが空を照らしていた。
「見えてきました、あれが私達の集落になります」
サルナエが指し示した先には木造の家々が幾つか立ち並んでいた。集落は森を切り開いた中に忽然んと姿を現していた。極めて簡素な作りの柵や家畜の小屋等があり、周囲に大樹が生い茂る中で木々を伐採し上手く陽光が差し込む様に整えられていた。
村のすぐ側には小さなため池や井戸があるようで、生活用水はそこから賄われているようであった。
未だ朝早い中であったが、既に川へと向かう漁師達が活動を始めていたようで、サルナエと挨拶を交わしていた。
すれ違い様に男達の様子を窺うと彼等は等しく私の『魔翼』に視線を奪われている様であった。
その他にも獲物を解体した後に、干し肉としる乾燥小屋や、祈祷を行う為の神殿と思しき建物、そのどれもがトリポリ村とは異なる建築方法で建てられており、狩猟民族と言う肩書もまた納得できる様相であった。
私が魔力感知で集落の内部を確認すると、一際大きな建物の中に数名が寝込んでいる姿が確認できた。
(流行り病ね……)
本当に流行りや病があるとするのであれば、抗体を持つか分からない私とカトルアは早々に集落を後にするべきであったが、既にカトルアは体力の限界を迎えているようであった。
(仕方ない、交渉材料の一つにでもなればいいか)
私はこの後、この集落とトリポリ村が如何に関わるべきかを算段しつつ、サルナエに導かれるままにその背を追う事とした。
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