第28話 月夜に咲くは鎮魂の花 その3『魔獣襲来』


 身体の底から凍り付くような酷い悪寒が去った後も、私の脳裏を幾つもの疑問が渦巻いていた。


 魔翼とは一体何なのか、自分自身が一体何なのか……、厄介な事実として、村の人族は私に対する情報を著しく制限している。


 私が感じる苛立ちは人族に対する不信からではなく、自分であれば『どこにでも行ける』と考え、慢心していた矢先に起こった先ほどの出来事に、鼻っ柱を折られたからに違いない。


 情報が必要だった。


 外の情報と自分自身に関する情報が必要だと強く感じていた。表には出さずとも、それこそ身を焼くほどの焦燥が私の魔翼すらをも、悶えさせている。


「ほら、ラクロア、こっちだよ?」


 ふと、気が付くとライが私を手招きしていた。


「ああ、今行くよ」

 

 身体を支配していた緊張が僅かに緩み、気を取り直して皆が待つ湖の側に近寄る事とした。


「それにしても大きいな」


「大森林の中にこんな湖があるなんて不思議よね」


 水面は嫋やかに寄せては返し、あたかも海を連想させる様な水辺の動きを見せていた。


 半径十km程度の湖畔における水辺は、大小様々な石の堆積物によって形成されており、砂浜とは違いややもすると足を取られそうになる。


 遠目で皆を観察していると、カトルアをエスコートするクオウが彼女の手を取ろうか迷っている様であったが、カトルアは訓練によって鍛えられた体幹の強さを遺憾無く発揮しており、どうやらその心配は無用であった。


 ミナトとシンラは二人で手頃な石を手に取ると月光が照り返す湖で水切りを始め、石が跳ねるたびに風に混じりながら僅かに水切り音が響いていた。


 満月は変わらず湖全体を照らし、湖面にその身を晒している。


「そろそろ時間だな」


 クオウが呟いて暫くすると、ぽう、と月下草から淡い光の粒が風に揺られ上空へと舞い上がり始めた。


「あれは?」


 私の側で同じように月下草を眺めているライに尋ねると、月下草が持つ花粉に魔力が付与され立ち昇っており、夏の満月の夜にのみ見る事が出来る光景なのだと教えてくれた。


 先程までは儚げな印象を私は覚えていたが、月下草に一年間蓄えられた魔力を用いて踊りのように躍動する様は、生命の神秘と連綿と受け継がれて来た時間の長さを否が応でも感じさせる美しさであった。


「他の大人たちも来ても良さそうなのにね」


「ふふ、でもこの時期は月下草の魔力に釣られて魔獣が出易いからね。綺麗でもわざわざ危険な場所に大人は来ないでしょ」


 ライは屈託なく笑いながら言うが、逆に言えば子供達はそれだけの危険を冒していると言う事になる。


「確かに、月下草の光が強くなったのと合わせて、魔獣が数匹近づいてきているね……。子連れのグロウベアかな」


 私の魔力検知の網に掛かったのは子連れと思われる大型の魔獣であった。この辺りではグロウベアと言う名で分類される名前の通り熊型の魔獣であった。


 凶暴さは確かに高いが、子連れの時は逆に人間を襲う事がないと言うのが特徴の魔獣であり、私の魔力感知網より内側には入らず、側に生える月下草を親子仲良く食べ始めた。


「子連れなら安心ね、こっちから手を出さない限りは大丈夫じゃない。ビビってないでよね」


 ライは脅かさないでよと私の肩を軽く叩きながら、ふとその動きを止めた。


「クオウとカトルアがなんか呼んでいるみたいだけど?」


 二人が他の子供達を静かに呼び寄せ、小声で声を掛けて来た。


「魔獣だ。でかいのがいる」


 クオウが姿勢を低くし、指で対象の方向を示しながら注意喚起を促す。


「ラクロアがさっき、子連れのグロウベアが居るって言っていたけどそれじゃないの?」


 ライは真剣な表情の二人を安心させようと、先程の私の言葉を伝えるがカトルアは被りを振る。


「違うの。ブラッドウルブズが群れで二百メートル程先の水辺に居るの。向こうが風上だから此方にはまだ気づいていないみたい。襲われる前に帰った方が良いと思う」


 対象を聞くと同時にミナトが警戒態勢に入り、クオウが示した方向を注意深く確認し始めた。


「うん、僕もそれに賛成。態々ここで危険を冒す必要もないと思うよ」


 シンラはカトルアに同意を見せ、私の意見を促す様に視線を送ってきた。


「であれば風向きが変わらない内に早めに移動したほうがいい。先ずは来た道をそのまま戻るのが良いと思う」


 行動に移ろうとした際に、見張りを行なっていたミナトから静止が掛かった。


「待って、ブラッドウルブズの近くに誰かが居るのが見える」


 ミナトはブラッドウルブズよりも更に百メートル手前に村では見ない服装に身を包む一人の女性が存在し、何かに祈りを捧げるかの様に瞑想に励む姿が確かにあった。


 私達の方向からは魔獣の群れと、女性が完全に視認できるが、方や月下草に集中する魔獣と祈りに集中する女性は互いに存在を認識していない様であった。


 運の悪い事に、風の流れが止まりブラッドウルブズの一頭が月下草から視線を外し、何かに気がついたかの様に私達では無く、女性の方へと首を向けた。


 その動きに合わせて計十六頭のブラッドウルブズが共感覚を得たかのように同じように視線を向け始め、一瞬の静寂の後に、歩調を揃えながら一斉に駆け出し始めた。


 間違いなく、このままでは目の前にいる女性が魔獣の餌食になる。それは間違い無いだろう。


 助けなければという気持ちと同時に、村外の人間と通じる事を禁じるという規律が天秤に掛けられるが、そんなものの判断には逡巡すらも必要無かった。


 助けられる命を助けて何が悪い。


 私とて魔族によって助けられた身であれば、それ以上の問答は私の中で無駄であった。


「クオウ、カトルア、皆を連れて逃げ道を確保しておいてくれ」


 私は魔翼を展開して、周囲の状況を改めて詳細に確認を始める。


 少なくとも半径百メートル程度の距離に人を襲う恐れがある魔獣はブラッドウルブズ以外に見受けられず、それであれば、私以外の子供達を率いる為にクオウに陣頭指揮を取らせようと試みる。


「ラクロア、お前どうするつもりだ?」


「助ける以外の選択肢は無いだろう?」


 クオウは驚愕に目を見開きながら私を静止する。


「大型魔獣の群れだぞ! 大人でも手こずる数だ! 第一に俺たちに彼女を助ける義理は無い。村の規則でもそのはずだ!」


 クオウの言うことは最もであった。自分達を危険に晒す必要性は基本的には無い。


「彼女の服装から村の外の人間の可能性が高い。僕達が知らない外の世界を知る良い機会じゃ無いのか?」


 それはどこかに打算もあったかもしれない。だが、女性を助け、情報を得る。そこに何ら不合理は感じられない。


「それとこれは話が別だ。村外の人間と関われば最悪追放だってされかねない」


 これもまた正論。あの村で生きる為に規律を守る必要が有る。


 しかしそれは力を持たない人族であるが故にという自由が発想の根底に無いのだ。


「それでも、僕を止める理由にはならないさ」


 押し問答はこれ以上無用と、私はその言葉を残して魔力を全身に纏うと同時に一気に地面を蹴りブラッドウルブズが殺到する最中へと跳躍した。


 標的となっていた女性もまた、自分に迫る魔獣の群れに漸く気が付いたのか、迫りくる魔獣の群れに困惑すると共にその足音が迫る方を見ながら、立ち尽くすばかりであった。


 魔獣は赤黒い体毛を逆立て、狂獣と化して雪崩のように押し迫り、明確に彼女を標的にしていた。


 突如として割って入った私に対しても、魔獣の群れはその勢いもそのまま、とどまる事を知らず、寧ろ獲物が増えた事を喜ぶように速度を上げて突撃を続けた。


 私は魔翼を展開させ幾つかの結晶体を操りつつ、魔法障壁を展開する。


 鍛え抜かれた魔力操作の前では、魔獣の集団など敵ではない。


 一瞬にして展開された魔法障壁はあらゆる者を阻む絶対障壁として魔力による防御壁を築き、ブラッドウルブズの群れの突撃を阻んだ。


 群れは何度か魔法障壁に体当たりを繰り返し、時にその鋭い牙を立てようとするが障壁を破壊することは出来ず、魔獣の群れは強制的にその場に押し留められる。


「残念だけれど、君たちはここで終わりだよ」


 私は足止めが十分に成功した事を確認すると、待機させてあった魔翼にブラッドウルブズの相手を命じた。


 薄緑色に輝く幾つかの結晶体が闇世を飛翔し、一切の容赦を見せず、魔獣の群れの合間を亜音速で駆け抜けると、その場で押し留められていた魔獣の首が何の抵抗も無く、ずるりと地面へ落ちる様が見て取れた。


 半拍の間を置いて、細かく痙攣を起こし続けている魔獣の胴体は姿勢そのままに生暖かい体液を切断面から溢れさせ、周囲を赤く染め上げていた。


「終わりだね」


 その様は既に彼等が絶命している事を明確に指し示していた。


 しかし、異変はその最中に起こり始めた。


 赤黒く染まった大地からぼんやりと下した黒い靄が立ち込め、ブラッドウルブズの肉塊を抱き込むようにして音も無く吸収すると、黒い靄は徐々に形となり始める。


 先ほどまでの靄とは比較にならない程、克明に存在感を漂わせる人型となって、私の目の前に顕現した。


「亡者の騎士……魂の回廊より出でて、魂を護りし者……」


 私の背後で驚きの声を上げる女性の呟きを耳に入れつつ、私は再び戦闘態勢を取った。


 人型はその身体を更に変形させ、只の人型ではなく、全身を黒々とした重厚な鎧で身を包み、何も無い空間から黒剣を取り出すと、構えを取って見せた。


 その姿は紛れもなく騎士その物であり、月光に輝く黒々とした装いと明確な殺意を漲らせる長剣は、どこか物語に語られそうな幻想的な情景と上手く混ざり合い、現実味を削いでいた。


 しかし、黒騎士の身に宿る魔力は魔獣と比べても色濃く、私の魔力感知に明確に反応しており、そこから伝わる敵意が私の意識を急速に闘争へと引きずり込んでいた。


 私が魔翼を再び展開すると、私の背後から声が飛んだ。


『お待ちください、冥王の騎士よ。我らタオウラカルの民は、その魂が安らなる事を祈り申し上げております故、何卒、魂の回廊へとお戻りくださいませ』


『タオウラカル……、アルゴニストの血族か……。巫女よ、そなたの願いを聞き届けよう。去るがいい、人造の獣よ』


 黒騎士は女性の声に応え、我々の脳内に直接語り掛けるようにして念話を飛ばした後、ふっ、とその姿を消した。


 何が起こったのか、狐につままれたような感覚を覚えながら、私は背後で控えていた女性に向き直った。


「大丈夫ですか?」


「ええ、ありがとう……。貴方は魔族の御方?」


 彼女は見た目、十五、六歳の少女であり、その黒髪と私の魔翼と同じ翡翠色の瞳が妙に印象的であった。


 彼女が何故この湖に居たのか、どこから来たのか、分からない事だらけではあったが、少なくとも私を見るなり魔族かどうかと確認する辺り多少の知識もある様に見受けられた。


「貴方と同じ人間ですよ。ここに居ると魔獣の魔力に釣られて他の魔獣が来るかもしれません。先ずは此処から離れましょう。詳しい話は道中にお願いします」


 私は彼女の手を引いて、対岸で私達を待つ子供達の元へと向かった。


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