第26話 月夜に咲くは鎮魂の花 その1『月下草』


 カトルアとシンラ、私は二人と仲良くしながら徐々に人族における友人の輪を広げようと画策していたが、結局それはどうしてか上手く行かず、結局はカトルアと私の二人で行動する事が多くなっていた。


 カトルアと私、二人の親密さがこれまでに無く深まって行ったが、一方でそれを快く思わない人物がいるのも世の常であった。


 その中の筆頭は嘗て共に訓練を重ねていたクオウであり、彼はカトルアに密かに想いを寄せている男達の一人であった。

 

 風の噂では、どうやらカトルアは集落の中でも容姿端麗として人気が既にあるらしく、年齢の近い男子からは特に人気がある様であった。


 村の風習では十四歳で婚姻を結び十六歳で家を持つのが習わしであり、そうした部分も既に視野に入れたクオウの態度も分からなくもないが、極めて面倒なことも事実である。


 そもそも、私からすると、散々カトルアと共にデートを重ねていた割に、気恥ずかしさから二人で遊ぶ事を避けていたクオウに何等か文句なりを言われるのは癪ではあった。


(まあ、周りの子供達もクオウに対して一歩引いている辺り、色々とあるのだろうな……)


 クオウが一応は集落でも最古の家系の男子という事も有り、色々と忖度が働いている様子も見て取れ、無碍に扱うのも、それはそれで問題が出そうな状況も見え隠れする当たり、非常に面倒であった。カトルアも災難と言えば災難である。


「よし、今日は湖に月下草を見に行くぞ!」


 そんな周りの慮りについては露知らず、クオウはカトルア、ライ、ミナト、シンラに声を掛け、大森林の北東部にある湖周辺に満月の夜に咲くという月下草を見に行く事を提案していた。


 私は関りを持ちたくは無いと、その様をぼんやり眺めているばかりであった。


 大森林には魔獣が生息しており十二歳未満の子供だけでの探索は禁止されていたが、今となっては大人を負かす実力を持つクオウがいれば問題ないと、半ば公認になっている節があった。


 懸念点としては湖のある北東部には、村に住まない魔族が縄張りを持つ区域が有ると言われており、踏み入れると人魔区別なく襲ってくるという噂話があった。


(まあ、実際は眉唾だろうけどな)


 しかしそれは子供達の動きを制する為に流布されたものだろうと私は当たりをつけていた。


 村周辺に野良の魔族がおり、その魔族が村人を襲うとなった場合、外部接触の可能性が高い穀倉地帯及び、牧畜地帯に警備部隊の数が明らかに少な過ぎる。


 野良魔族の存在が事実であるとするならば、端的にこの警備体制はおざなりであると言えた。


 勿論、仮に彼等が魔族に襲われでもした場合、残念ながら彼等五人共々、為す術なく屍を晒すことになるだろう。


 とは言え、そうした噂が嘘であるとは子供達全員が考えているようであった。

 

 クオウ曰く、野良の魔族は縄張りに対して他者の侵入を阻む強力な結界を張るのが常との事で、そう簡単に彼らの領域を荒らす事は出来ないと私意外の子供達に説明をしていた。

 

 魔族歴史書を読んだ私にはそのような認識は特に無かったが、クオウなりの理論で安全を担保しているようであった。


 カトルアは何処となく乗り気では無さそうで、ふと輪から外れて遠巻きにその様子を眺める私を指差して皆に「ラクロアも一緒に連れて行こうよ」と提案し始めた。


 クオウは露骨に嫌そうな顔をしたが、それ以外の三人は特に反対する訳でもなく同意を示していた。仮に大人達にバレて怒られるのであれば人数が多い方が良いという打算もあったかもしれない。



 夜になり、念のためにトマムに書き置きを残して私は家を出た。


 彼女が別室で寝ているのか、それとも起きているのかは判然としなかったが、普段から私の魔力を感知して動向を追っているのは知っていたので、止められない以上は特に気にする事は無かった。


(夏の夜風というものはなんとも気怠いな)


 外に出ると生温い夏の風が首筋を撫ぜた。


 雲一つない夜空に浮かぶ満月が目に飛び込んでくる夏の夜であった。


 夕暮れに差し掛かる前から薄らと満月が快晴の空に浮かんでいた事を思い出す。


 そうしていると、ふとこの月が嘗て自分が転生する前に見たものと全く同じ物であるのか、疑問が湧いてきた。


 私の思考の中で過去生における知識が存在する事は、物事の事象について生物における普遍的な過程や結果を一から学ぶ必要がないという事は良い点でも有り、一方で参照する知識が現実と違いが出る場合は煩わしくもあった。


 過去生含め、私には個人的な問題が三つある。


 その内の一つは自分の過去生がどのような物であったかという興味の消化の仕方である。


 残念な事に私には過去の記憶が欠落している。村の世界、魔族の世界、人族の世界、どれを取ってみても、自分が持ち合わせている知識としての文化体系とは異なっていた。


 過去生の経験が欠落している一方で、私は私自身が過去に存在していた世界を軸とした一般教養、文化的素養、様々な知識、そして精神的な年齢感覚は持ち得ていた。


 しかし、自分が過去どの様に過ごして来たのかという、人間としての根幹部分の記憶がすっぽりと失われている。


 記憶が無い事について、興味が無いといえば嘘になる。取り戻せるのであればと思わなくも無いが、それは恐らく無理な話であろう事は何となしに察していた。


 そして二つ目は私がこの世界に生まれた際に朧気ながらに記憶している母親と、双子として生まれた片割れの存在であった。


 これについて、魔王バザルジードと言った魔大陸の首都に住まう者達も彼女らの現状は知り得ず、当然ながらトマムもこの事を知らずにいる。


 外の世界を見て回りたいとカトルアに告げたのはこの二つの問題とどう折り合いを付けるのかという点に集約される。


 魔族側で育った私は、言うなれば人族全体からして見れば敵に成りかねない存在であり、出自を晒した上で向かい入れられる可能性は低いと考えるのが合理的であると感じていた。


 過去生、今世の親族、そして何よりも、三つ目の問題は人族でありながら『魔翼』を持つという事が私の自由を阻む可能性についてであった。


 集落における大人達は未だ具体的な方向性を私に示さないでいる事は、裏で蠢く何等かの意図を感じざるを得ない。


 この集落の大人達が考える意図、その開示があったのは、私を戦士としてある程度のレベルまで育て上げるという点についてのみであった。


 大人達が何を考えているのかは分からなかったが、彼等に実は何等他意は無く、例えば村の為に用心棒として私を強くした等と思うのは余りに見立てが甘いと考えるべきだろう。


(こればかりは、答えは出ないな……)


 私は悶々と考えを巡らせるうちに集合場所となっていた穀倉地帯の外れに有る森林との境目に建てられた納屋に到着した。


 月明かりの下で十分に視界は確保されており、魔力感知も問題なく行える私にとって月下の探索は特に支障は無かったが、子供達は違った様で暗がりから近づく私の陰影にやや驚きつつ「ラクロアか?」と確認をしてきた。


「うん、みんなもう揃っているみたいだね?」


 他の五人は既に準備を整えていた様で、各々が探検用の装備と、魔獣対策に武器を持ち寄っていた。


 六人の中では戦闘に不慣れなシンラやミナトはやや不安気な表情を浮かべていたが、クオウが光石と呼ばれる魔石の一種を取り出し周囲を照らすと、何処となくその暗がりから感じる不安さは多少解消されたようであった。


 本来、闇夜の森の中を光源を持って探索する事は、魔獣に見つかる可能性が上がり避けたいところではあったが、クオウは想定済みと、魔獣対策の為に準備していた手のひら大の小袋を各員に手渡して始めた。


 それは『匂い袋』と呼ばれ、魔獣が嫌がる香気成分を多量に含む薬草を擦り潰し詰め込んだものであった。


 私の中でクオウは融通の効かない猪突猛進タイプかと思っていたが、思った以上に慎重に準備を行う気質の様で、皆からリーダーとして慕われている理由も何となく理解する事が出来た。

 

 年相応な不安定さを抜きにすればクオウは十分優秀な部類であるだろう。


「よし、それじゃあ皆これから北東の湖まで向かうぞ。先導は湖まで行ったことの有る俺が担当する。戦闘の苦手なシンラとミナトを隊列の中央に据えて、カトルアが前衛、ライに後衛を任せる。ラクロアは最後尾で全体を見てくれ」


 隊列についてはクオウの個人的な趣向も含め、確かに最適な布陣であったと言える。


 私含めた子供達から異論は出ず、そのままクオウに従う形で隊列を組み行軍が始まった。


 森林から湖までは整備はされていないものの、確りと人が踏み均した痕跡があり、光量が取れれば道に迷う事も無さそうであった。


 念のために魔力感知の距離を広げてみたが、『匂い袋』の効果なのか、今のところ魔獣が私の魔力感知によって発見される事は無かった。


 子供達は押し黙りながら行軍を続けており、周囲には地面を踏み鳴らす音と、僅かな吐息、そして生温い風によって草葉がそよぐ微かな騒めきが聞こえるばかりであった。


 木々の隙間から覗く夜空は、気が付けば満点の星と、陰ることのない満月によって埋め尽くされており、見る者を圧倒する厳かさと煌びやかな美しさを同時に映し出していた。


(静かな夜だな……)


 暫くの間、『匂い袋』から漏れる香草特有の異国風な香りをアクセントにしつつ、普段とは違う闇夜のお大森林を突き進む子供達の探検が黙々と続けられていた。


 しかし、緊張感が徐々に薄れると共に子供達の沈黙は長く持たず、徐々に小声での会話が増える様になり始めてきた。


 途中で休息をとった際は皆、森にいることを忘れたかの様に普段通りに会話が盛り上がっていた。


「ねえ、ラクロアは気になる子とかいるの?」


 ライはクオウとカトルアの間に会話が増えるのに合わせて意味ありげに私に話しかけてきた。


 単純な好奇心か、それとも退屈を紛らわす為の会話か。いずれにせよライは私の心の在り処に興味がある様であった。


「みんなそんな話ばかりしているの?」


「まあね。最近はみんなカトルアの話題ばかりよ。私だっているのに失礼しちゃう」


 そう嘯くライはやや膨れっ面を見せた。


 彼女もまた、茶色毛にショートの髪型がよく似合う顔立ちをしており客観的に見ても人気が出そうな可愛らしさを持っており、彼女がそう言う理由も理解は出来た。

 

 カトルアが可愛いと評価されるのがその性格も含めてであるのであれば、ライはサバサバとしたタイプという事もあり、この年頃においては少し評価のされ方に差が出ているのかもしれなかった。


 私からしてみると、彼女も十二分に美形に入る顔立ちをしており、そうした性格を含めてライを好みとする男も今後十分に出てくるであろう事は容易に想像できた。


「ふふ、ライも十分可愛いよ。周りの男に見る目が無いだけさ」


 ライは驚いた様に私に向き直り、可愛らしい丸い目を更に丸くしていた。その様子を楽しんで見ていると、ライは私にからかわれたと思ったらしく、直ぐに不貞腐れた顔をみせた。


「ちょっと性格悪いんじゃ無い? 魔翼持ちの救世主様の癖にさ」


「そう取られるのは心外だね。僕としては事実を言ったつもりだったのだけれど?」


 ライは疑わしいと私の心を読もうとしていたが、最終的には諦めたように「褒め言葉として受け取っておくわ」とやや複雑そうな声音で私に返した。


「ところで救世主様ってどういう事?」


 流れに任せて聞き逃していたものの、ライの煽りに気になる点があり問い掛け直すがライは「そのままの意味よ」とそれ以上は答える事は無かった。


 私はライから袖にされ、視線を他に移し皆の様子を眺めていると、私とライのやり取りをカトルアはちらちらと横目に見ていた様で、ふとしたタイミングで視線が合った。


 驚いた様な、気恥ずかしいような様子を見せるカトルアは、最終的には困ったように笑っていた。


 ライとはコミュニケーションの範疇と思っていたが、カトルアの様子を見るに何故だか罪悪感が湧いてくる辺り、彼女の可愛らしさも性質たちが悪い。


 そうした意味で自分でカトルアを側に置きながら放置を続けるクオウの不手際を若干忌々しく思いながら、おどけたようにカトルアにニコッと笑い掛けると、彼女は少し安心したようで、先ほどまで見せていた不安気な様子を潜め、再びクオウとの会話に戻って行った。


 暫しの休憩を終えると再びクオウが音頭を取り、再び湖へと向けて行軍を再開した。更に一時間半程度歩き続けると、不意に景色が開け目的地の湖が見えてきた。


 湖の周りは確かに月下草の群生地となっており、湖の周囲を淡い光の束で埋め尽くしていた。


 クオウが光石を懐に仕舞うとより全容がはっきりと見えてきた。


 月下草は百合に似た花弁を咲かせ薄緑色に光を散らしていた。


 風に靡くたびに揺れる無数の花弁は波間と見間違う程に大きなうねりを作り出し、その狭間で草々が明滅を繰り返し、厳かにその命の明かりを灯していた。


「綺麗……」


 皆がその景色に見惚れる中で、ポツリとカトルアが言葉を漏らす。


 月下草が作り出す幻想的な光景は我々から言葉を奪い、ただただその光景に目を奪われるばかりであった。


 現に私もこの光景の美しさに感動を覚えている。


 しかし、その感動の束の間、私は急速に周囲の温度が下がる感覚を覚えていた。


『獣が一匹、……迷い込んだか』


 声、と思わしき思念が脳裏に響いた僅か一瞬、雲が満月を覆い隠すと同時に、体温が氷点下にまで落ちたかのような奇妙な感覚に襲われていた。


 先ほどまでの感動は一瞬にして霧散し、転じて私は止まらない身震いを覚えていた。


(何が起こって……ッ!?)


 が現れたのは唐突であり、瞬時に私は身構えたが、視認するよりも早く全身を駆け巡る強烈な威圧感を感じ取っていた。


 私はこれまで出会ってきた魔族、人間その全ての中で、かつて無い程の得体の知れなさを持った存在を魔力感知に捉えていた。


 その圧倒的な存在感に全身が粟立つと共に、逃げ出したくなる様な、本能的な忌避感を抱いていた。


 その存在は、知覚するだけで肌をひりつかせる魔力マナを隠すこともせず、周囲に撒き散らしながら、その一方で優雅とすら呼べる程緩やかな速度で真直ぐに私の元へと近づいて来ていた。


 内包される魔力量は見知った存在とは桁が異なり、その圧力に魂を侵されるかのような錯覚を覚える程であった。


 緊張感が警戒へと変わるまでに一秒も掛からず、私が纏ったローブの懐からはその感覚に反応して同様に警戒を露わにする『魔翼』が飛び出し、放射状に私を取り囲みながら防御陣形を組み上げ始める。


 額に汗を浮かべる私の様子にライが気付き、どうしたのかと怪訝な顔を浮かべた瞬間にそれはの眼前に降り立った。


 どうして他の子供達が目の前の冒瀆的な存在に気が付かないのか……。


 そんな事を気にする暇など無く、私の警戒心が沸点を超え、大気に満ちるエーテルを魔翼が凄まじい速度で体内へ取り込み、加速度を上げて魔力マナを作り出し身体に魔力を蓄積させ始めている。


『如何にして冥府へ迷い込んだか、不滅の獣よ』


 声が響いた瞬間、私を心配気に見ていた子供達の動きが止まり、先ほどまで靡いていた月下草もその動きを不自然に止めていた。


 世界は終焉を迎えたかのように静寂に包まれ、先ほどまで蒸し暑さを感じていた空間からは一切の熱が失われていた。


 私は今、死と向き合っていた。


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