第24話 ラクロアとカトルア その2『その涙を拭う言葉』


 カトルアは嬉しそうに微笑んでいた。

 彼女のその可愛らしい仕草さは、思わず時間を忘れて見つめてしまう程であった。


「じゃあ早速、遊びに行きましょうか? そしたら……そうね、商業地区でお買い物にでもいきましょうか?」


 『お買い物』、という言葉を久しく聞いていなかった事もあり私は「ああ貨幣制度もあるのか」程度にしか感想を持たず、だいぶ商業地区という物に対して的外れな捉え方をしていたように思う。


 商業地区を訪れるのは三歳の頃以来であった。


 当時は中を通り過ぎた程度で、商業地区に具体的に何があるのかまで詳しく見たわけでは無かった事も有り、私としても今更ではあったが興味が惹かれるものであった。


「カトルアは商業地区へは良く行くの? 僕は昔一回行ったっきりで、実はよく知らないんだよね」


「ふふ、ラクロアらしいね。昔は男の子、女の子関係なく一緒に行ったりしたのだけれど、最近はあまり行かなくなったかも。特に男の子は何というか……お子様だしね?」


 カトルア曰く、男の子達は勇者ごっこ等の可愛い遊びはとうに抜け出し、大人に黙って模擬戦を行ったり、時には森への探検へ繰り出すなど、活発且つ、少々集落のルールを逸脱した遊びが流行っているようであった。


 最近では、訓練のよしみでカトルアと仲良くしていたサウダース家のクオウも、恥ずかしさからか女の子と二人で会うという事に躊躇いを覚えているようで、最近では彼女の誘いを断るようになっているとの事であった。


 クオウはカトルアに好意を抱いていた筈であり、それを恥ずかしいと自らチャンスを手放すのは何とも可哀そうなものだと、素直になれないクオウを私は心の中で憐れんだ。


「まあ、みんなが付き合ってくれない分、これからはラクロアが付き合ってくれるんだよね? 昔はラクロアが私の誘いを断っていたのに、逆転したみたいで何だか変だね」


 カトルアはくすくすと声を立てて笑っていた。


 笑顔で私の痛いところを突く当たり、意外と当時の事を彼女は根に持っているのかもしれなかった。


 こちらとしてもダインの母親に平手打ちを食らった事は鮮明に覚えており、あの二の舞にはなるまいと心に誓ったが故の判断だったのだか……。


「まあ気が向いたらね」


 私が歯切れ悪く答えると彼女は更に笑い声を強めた。


「いいよ、いいよ。私がちゃんと連れ出してあげるからさ」


 聞く耳持たず、というよりも今の私が昔よりも社交的である事からそれでも相手にしてくれると察しての事なのだろう。


 彼女にとって私は、同年代の男の子が不在中に上手い具合にその穴を埋める格好の補欠要員でしかないのだろうが、まあ喜んでいるのであれば良しとする事とした。


「それじゃ、そろそろ行こっか?」

 

 こうしてカトルアに連れられるがまま私は集落を離れ、商業地区へと足を伸ばした。


 商業地区では人族だけでなく、魔族も様々に品物を持ち、思い思いに露店を開いていた。


 恰も人間の、営みを学ぶかのようにして、を感じさせるものであった。


 しかし、思いの他、商業地区として大量の物資が取引される様は私にとって驚きを与えた。


 生活必需品、特に食料に関して言えば、農作物、畜肉などは人族の集落での生産及び供給が完結していた事も有り、魔族がここまで人族の生活に入り込もうとしている様は、意外さと共に、人族に対する歩み寄りを強く感じさせるものであった。


 今思えば、小説や詩集といった魔族が持つ文化的な書籍に関してトマムに頼めば翌日にはある程度手配されていた事を鑑みると、そうした視点に思い至らなかった私は、村の中でもかなりの世間知らずなのかもしれなかった。


「おや、カトルアじゃないか? 一緒にいるのは……ああトマムの所の魔翼っ子かい。それにしても珍しい組み合わせだね?」


 商業地区と各集落を繋ぐ出入口の一つとなる人族の集落からは最も近い南側の入り口に程近い場所に露店を構えていた人族のネルトンがカトルアを見つけるなり声を掛けてきた。


 気さくに声を掛けてくるあたり、どうやらカトルアとは顔見知りらしかったが、一方で私に対しては何とも言えない表情を浮かべていた。


「はい、ラクロアがお出掛けに付き合ってくれているんです。この辺りもちゃんと来たことが無かったみたいだったから、案内も兼ねてですけどね」


 ネルトンと会話するカトルアは無邪気さを見せながら私に手を振っていた姿とは打って変わり、外向きの態度であった。


 集落とは違い、他の魔族の目もあるからなのか、妙に大人びて見えていたが、それは背伸びとは思えない程度には様になっていた。


 楽しそうに会話を続けるカトルアを横目に、私は露店に陳列された品物を眺めていた。


 そこには農園の栽培品目には無い赤々とした形状はマンゴーに似た一口大の果実のようであった。


 木板に彫られた商品名には『ギイカの実』と書かれており、実というからには木に成る実なのだろうと勝手に納得していた。


「なんだい、あんたギイカが気になるのかい?」


 ネルトンは私が繁々と品物を眺め回している事に気付き、陳列していた果物の実を一つ此方に投げて寄越した。


「しっかし、他族の集落を徘徊したり、数年見ないと思ったら森で訓練ばかりしていたりと変な噂ばかりだけれどねえ。アンタみたいなのも年頃らしく好奇心の一つも持つものなのかい? ま、アンタが皆に何て言われようと私には関係無いからね、取り敢えずお姫様のエスコートを楽しんできなよ」


 いきなり散々な言われようだとは思ったが、客観的に見ると確かに私は周囲からその様に見られてもおかしく無い、捉えどころのない不気味な存在なのかもしれいと今更ながらに思い至った。


 今でこそ魔翼は私が羽織る絹製の簡素なローブの中にすっぽりと収まっているが、私が魔翼を持つ人間であると私が初めて会話するネルトンでさえ認識していた事からしても、集落の多くの人が私の事を認識していると思ったとしても過言では無いのかもしれない。


 生まれながら『魔翼』を持たない人間が多数を占める中で、『魔翼』を持つ私という異形の人間は殊更目立つ存在なのかもしれなかった。


「そうさせていただきます。ギイカの実、ありがとうございます」


 お礼をネルトンに伝えると、「なんだい、ちゃんと挨拶ぐらい出来るじゃないかい」とネルトンは小気味良く笑って私達を見送っていた。


 一体、私はどのように人族の中で吹聴されているのか、不安になる物言いであったが、今更気にするほどの事でもないと、私は思い直し、早々に興味をギイカの実に戻した。


 露店を後にした後、暫く繁々とギイカの実を眺めていると不思議そうにカルトアが声を掛けてきた。


「もしかして、ラクロアはギイカの実を食べるのは初めてだったりする? 」


「実はそうなんだ、見るのも触るのも初めてだよ。随分と甘そうだし、ずっしりとしているね。どんな果物か、カトルアは知ってるの?」


「えっと、ギイカは山側のちょっと高い所に木がたくさん生えているんだって。果樹園で育てようとしても天気が合わないから上手く育たないってネルトンさんが前に言っていたけど、甘くてすっごく美味しいのよ?」


 ギイカに視線を奪われているうちに、カトルアは私を覗く様に見上げていた。


 綺麗なブロンドと流暢に動く桃色の唇がやけに印象的であった。


「なるほど、気候変動が激しいという事はそれだけ栄養をため込むから甘いって事かな……、と言うかどうやって食べるのさ、これ?」


 私が考察を述べながらふと、食べ方を尋ねると、カトルアは何故かおかしそうに笑っていた。


「皮ごと一気に食べるのが一番! ってネルトンさんいつもそう言ってお店で売っているけど?」


 そういうものかと、ローブに隠れた魔翼の結晶体を一対、取り出しナイフ宜しく半分に切り分けて片方をカトルアに渡した。


 カトルアは嬉しそうに「いいの?」と受け取ると、先程言った様に一口でそのまま口にほう張り美味しそうに咀嚼していた。


 私も同じように口に含むと、直ぐに瑞々しい果汁が口いっぱいに広がりを見せた。


 想像していたよりも更に糖度が高い事に驚きつつ、それなりに歯応えの有る身を咀嚼すると確かにやや硬めの薄皮が良いアクセントとなって食感に複雑さを与えているのが分かった。


「おお……美味しいね、これ」


 素直に感想を述べるとカトルアは「でしょ?」と自分のことのように嬉しそうに私に微笑んだ。


 カトルアはこんな様子で幾つかの露店を物色しつつ、私と他愛もない会話をしながら商業地区を連れ立って歩いていった。


 その間にも次々にカトルアは人族だけでなく、魔族の大人からも声を掛けられ立ち止まっては会話を楽しみ、私もその輪に加わり耳をそば立てていた。


 私自身が話題に上がることも少なくなく、多くは魔翼についてと、シドナイとの訓練の中で彼に一撃を見舞った事がやや尾鰭を付けて広がっているようであった。


「ラクロアはシドナイと互角に戦ってみせたと聞いたけど本当かい? 詳しく話を聞かせてもらっても良いかな?」


 シドナイと同じくエキドナ種に分類されるバルトロから声を掛けられた際には、どの様にしてシドナイと戦ったのかその戦略や当時の戦闘について一部始終を事細かに聞かれ、次第にシドナイを完全攻略する為には如何にすべきか、という戦術理論にまで発展する始末でありった。


 カルトアが中断させなければ延々と話が続いていた可能性があった事を考えると、エキドナ種の戦いに対する貪欲さという物は少し恐ろしさを感じる程であった。


 バルトロの口からは、シドナイに対する尊敬の言葉が多く見受けられた。エキドナ種においてシドナイに関する話題が如何に彼らの興味を惹くものであるかを知ると同時に、シドナイが種族内外で尊敬される魔族である事を私は改めて感じさせられていた。


 その他にも様々な魔族と出会い、時にその特性に触れ大いに楽しんだ。


 大きな鳥類に似た風切り羽を携えた翼を持ち、身体はそれこそツグミ等に見る鳥類そのままの似た姿を持つカイム種のセオドアと会った際が良い例であった。

 

 彼は見た目そのまま、巨大であるが非常に愛くるしい鳥の姿をしていたのだが、無意識に会話している相手に擬態をしてしまう習性があるらしかった。


 セオドアは私達と会話をしていく内に、それはそれは非常に渋めな、それこそ髭の生えた四十代ぐらいの人型の男性へと相貌が徐々に変わって行き、急激な相貌の変化に気付いた私とカトルアの度肝を抜いた。


 露店にも人族だけではなく、魔族が出している店もそれは多くあった。人族の露店は食品や民芸品と思われる一般的な店が多く、様々な種類の魔族が露店に立ち寄っていたが、一方で魔族の開く露店は個性的な店が多く軒を連ねていた。


「うーん、これって何に使うんだろうね?」


「……そもそもこれは何なんだろうか」


 カトルアと共に頭を捻りながら店主に色々と尋ねるとその内容は様々であり、一体どこに需要があるのかが分からないものが多かった。


 店主の魔族が持つ特性によって、無尽蔵に生み出される魔力鉱石であったり、季節の代わりに生え変わった角であったりと、単品では何に使うかよく分からないものが多くみられた。


「あ、次はあのお店寄ってもいい?」


 カトルアが指差したのは一件の花屋であった。こちらはには人族の姿がちらほら見て取れた。その中にカトルアも混ざり、並べられた花々を眺めていた。


「あらあら、可愛いお客さんねえ」


 店主は一目で植物を象った魔族だと分かる見た目をしたアルラウン種のサンカレアであった。彼女が自らが育てたという花々を売りに出しており、人族の集落や農畜産区では見ることの出来ない綺麗な花が多く陳列されていた。


 水の代わりに魔力を注ぐ事で花を長持ちさせる事が出来るとの事であったが、どうやら彼女は自身の身体で栽培した花を品物として売りに出しているようであった。


 彼女の身体は幾つかの植物の混成体であり、根と蔦と葉と花が人型の姿を取る茎を装飾する様にして幾重にも蠢いており、その艶かしさは目の毒であったがカトルアは特に気にする風でも無く花々を眺めていた。


 暫くしてカトルアは陳列された花々を見終わると彼女の頭部に咲き誇る、深い藍色をした大輪の花に一際関心を示し、その美しさをサンカレアへ伝えていた。


 サンカレアは嬉しそうにその賛辞を受けると、お礼とばかりにその手の平から小ぶりの同色の花を咲かせ、一輪挿しとしてカトルアの髪に添えてくれた。


「似合うかな?」


 少し照れた様にカトルアは歯に噛みながら、くるりと一回転して私に評価を求めた。サンカレアの花は彼女の深い青色の瞳によく映えており、良く似合っていた。


「うん。カトルアの瞳の色だからかな、よく似合っていると思うよ」


 カトルアは顔をやや赤くしながらも和やかな笑顔を私に見せてくれた。


 その太陽のように降り注ぐ彼女の笑顔を見る度に、私は暖かい気持ちが湧き上がるの事に気が付き、我ながらその単純さに少し呆れていた。


 普段、冷静な自分の側面とは別に、確かに感じる年相応の多幸感を不思議な気分で受け止めていた。


 商業地区での露店廻りにも飽きてきた頃、私とカトルアは北門から外へ出て、草原の中で会話を楽しんでいた。


 訓練の事、今手伝いをしている仕事のこと、同年代の子供達のこと、魔族のこと、話題に尽きることは無かった。


 そんな最中、将来の事について話を始めた時、カトルアは何処か寂しそうに私を見た。


「ラクロアは大人になったら何になりたいの? 魔術師様? それとも騎士様? 魔王様のいる首都へと行くのもいいのかもね?」


 カトルアは急にそんな事を言い出すと、不意に顔を私から逸らした。


 後二年もすると我々も大人の仲間入りとなり、夫々の人生が決まる事となる。


 徐々に人族がどの様な立場であるのかカトルアは気付きつつあるのだろう。この村に住う人族の人間が取れる選択肢は、スペリオーラ大陸に住う人間と比べてひょっとすると狭いのかもしれない。


 この集落に住う人族は引き続き魔族と共生しながら一生を過ごすという根本的な束縛から逃れることは出来ないだろう。


 何十年後、何百年後にもしかしたら人族と魔族が完全に和解する事でお互いの行き来も自由となり結果として選択肢が増える可能性はある。


 しかし、それが自分達の世代で達成される事が無い事にも、理解が及んでいるのかもしれなかった。


「僕は魔大陸を色々と回ってみたいな。本当は人族の世界もちゃんと見てみたい気持ちはあるけれど、それは、僕達の状況を考えると、もしかしたら難しいのかもしれないね……。カトルアはどうしたいの?」


 私は正直なところ、幾つかの問題を自分とこの村に住まう人々が持ち合わせている事に気付いてはいたが、それでも今の生活がそこそこ気に入ってもいた。


 取り巻く諸々の問題に目を向けずともこの生き方を精一杯楽しむことも良いのではと、心のどこかで考えるようになっていた。


 その一方で、今の生活から抜け出した先で、好きに生き、好きに死ぬ。それも私にとっての選択である事も理解していた。そういった意味で、誰にも邪魔させず、様々な世界に触れたいと私は願っていた。


「私は、この集落の人達が好き。魔族の皆も優しいし、毎日楽しく過ごせてもいる。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、皆健康で幸せそうだもの。けど、ここじゃない世界を知りたいとも思ってしまうの。これは、悪いことなのかな?」


 カトルアは、よく分からないと呟いた。


 その問いかけは私に語りかける訳でもなく、まるで自分に言い聞かせる様であった。


 彼女は雲一つない蒼穹を見つめながら何を思っているのか、彼女の表情の見えない、小さな後ろ姿はどことなく一抹の淋しさを私に抱かせるものであった。


 そんな彼女の気持ちに、私が答えを出す事など出来はしない。


 けれど、希望を抱かせる言葉を贈る事は出来ると感じた。それは恐らく無責任な言葉かもしれなかったが、それでも私は、彼女に未来を見て欲しいと思った。


「じゃあ、外に出たくなったら僕に言いなよ。一緒に世界を回ればいい、きっと楽しいと思うよ?」


 カトルアは振り返り、再び私を見た。


 彼女はその美しい藍色の瞳を涙で濡らしていた。


「約束だよ? きっと、頼りにするからね?」


 カトルアは私の手をぎゅっと握り締めながら未だ零れる涙をそのままに、私をその無垢な瞳で見つめていた。


 少しでも彼女の不安を消せればと、私もまた彼女の手を握りしめて頷いた。


 今は未だ、これ以上にカトルアの心を慰める術を私は持ち合わせていなかった。

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