第13話 ラクロア、友達を作る その1 『人族と魔族とラクロアと』
「ラクロア。お友達と遊んできなさい」
トマムが唐突に放った言葉に私は若干表情を引き攣らせる。私の年齢はもうすぐ六歳となる。確かに近所の子供達と能動的に遊ぶぐらいの年齢にはなったが、そもそも私に友達と呼べるような親しい者はいなかった。いるとすればグリムのような魔族の若者だろうか。一先ず、私はノクタスから供与されたばかりの、手に持っていた魔法研究の資料を机に置き、トマムの真意を読み取る事とした。
「母さん。それはまた唐突だね。何か心配事でもあるのかな?」
「息子が家でこもり切りになっているのを見かねた母親が、息子に友達がいない事を心配するという自然な感覚を理解できるかしら? 母さんはね、とても心配しているのよ? ラクロアはお友達が少ないでしょう? 婦人会でもたびたび話題になっているのよ? それに昨日はノクタスにまで……」
婦人会とは要するに各家の婦人が情報交換を含め茶会を開く会合のことを指していた。家名を持つ者達が恰も貴族かの様にこうした茶会を自分の家を会合場所として開催しているらしい事をトマムから過去にも聞いた事があった。そしてノクタスからも心配されていると言うのは青天の霹靂と言えた、ニ年半近くに渡って生活を共にしながら直接的にそのような事を言われた事は無かった事もあり、なかなかの衝撃であった。
実際のところ、この村において子供達の成長状況は話題として欠かせないであろう事は何となく理解出来る上に、顔を見せない私が槍玉に挙げられるのも理解は出来た。
少しばかり考えた後に、私は彼女を心配させまいと、魔族になら知り合いはいると告げようとしたところで、機先を制するようにトマムが言葉を繋いだ。
「勿論、人族のお友達の事を私は言っていますからね?」
私のそのような考えを見透かしてか、トマムは逃げ道を塞ぐように機先を制した。こればかりは私の魔力感知でも読み切れない忌々しき問題であった。
「あー、まあそうなるよね」
私が困惑した表情を見せるのを何故か嬉しそうに見ていた。……恐らくは母親らしい事をしているのが楽しいのだろう。揺れるトマムの尻尾を私は恨めしく眺めつつ、同年代の子供達と触れ合わざるを得なかった。
レンガ積みで出来た我が家を我ながら重い足取りで出ると、新鮮な空気を肺一杯に吸い込み、一先ずラーントルク家へと足を運んだ。友達かどうかは怪しいが、事あるごとにラーントルク家の三女であるカトルアは私の世話焼きを良くしてくれていたのを思い返し、そこに光明を見出したのだ。
今更ながら、魔力操作がままならず、上手く身体操作が出来なかった頃なども、私の魔翼を宝石か何かを見るようにして物珍しそうにぺたぺたと触っては楽しそうにしていた事を覚えていた。
ノクタスの訓練に掛かり切りになってからはそれほど時間を取って会うという事は無かったが、まあ子供同士数年のブランクは容易く埋められるであろうと思いたかった。
ラーントルク家は人族の集落の中でも大きい屋敷が宛がわれていた。大家族故、とは思ったが、自分の住む家と比べて格式高い門構えが有り、ところどころ装飾が施された窓枠等を見ると、ひょっとすると集落の中でも位が高い家なのかもしれないと思い至ったが、それ以上私の興味を引く事は無かった。
「おはようございます。カトルアいますか?」
「あらあら、珍しいお客様ね。ラクロアが我が家に来るのはいつ振りかしらね? 今日はどうしたのかしら?」
私を出迎えてくれたのは、オリヴィア・ラーントルク、カトルアの母親であった。トマムと共に乳飲み子時代にお世話になった、言うなれば私の乳母のような女性である。年齢は二十代後半と言ったところだが、非常に美しい容姿をしていた。どこぞの貴族令嬢と言われれば納得してしまう佇まいである。
私が家に尋ねてきたのが何故かおかしいようで、くすくすと鈴のような音色の声を隠さずに私を見ていた。そんな様子から彼女もまたトマムを嗾けた一人なのではないかと勘繰ったが、ここに来ては恥も外聞も関係なく、目的を果たすのみであった。取り急ぎ、魔力感知を張り巡らし家の内部を捜索するも、そこにカトルアの存在は無かった。
「久しぶりにカトルアと遊ぼうかと思ったんですが、今日は外に出ているんですか?」
「あら、ごめんなさいね。今はお友達と一緒に出掛けていると思うのだけれど、外では会わなかった?」
「そうでしたか、少し探してみます。ありがとうございました」
「ふふ、またいつでも来てちょうだいね? カトルアも貴方の事はいつも気にかけていたから」
オリヴィアに別れを告げ、私は集落内の子供が遊んでいそうな場所を幾つか回ってみたが、カトルアの姿はそこには無かった。それであれば、集落を抜けて城壁の外で遊んでいる可能性も有ると考えるが、そうすると捜索範囲はかなりの広さとなり、魔力感知で村中を探ったとしても時間を取られる可能性が高かった。
「おい、魔翼持ちの化物がいるぞ。あいつ引きこもりじゃなかったのか?」
ふと、そんな声が私の耳に聞こえると共に、唐突に何か飛来物が自分に迫るのを感じた。
全くと言っていい程脅威を感じなかったが、反射的に反応した魔翼が迫る物体を叩き落とした。何事かと目線を送ると、そこには石が詰められた泥団子が無残にも粉々に粉砕された姿だった。
それを私に投げたのは、六名の少年達であった。少年と言っても年齢層は様々であり、私と同じ五歳から成人前の十一歳程度までがつるんでいるようであった。
皆一様に目鼻が通り、衣服も確りと整っていた。それだけに悪ガキと言う表現があまりしっくりとは来ず、どちらかと言うと権力を笠に着るような独特の雰囲気を漂わせていた。
「初めまして。えーと、君たちは誰かな? 初対面の人に物を投げるのは良くないと思うよ?」
取り敢えず、挨拶と共に彼らに諫言しておいた。本来であればこういった事は大人がするべきなのだろうが、生憎この時間帯は皆仕事に出ており集落には大人の姿は少ない。
「は、俺達の事を知らないとは流石は魔族に育てられているだけの事はあるな? あいつら人間を個別に識別できないって言うのは本当かよ? もしそうだとしたらお前が俺達を知らないのも納得だけどな、化物にとっちゃ人間なんかどれも一緒って事か」
背の高い少年の言葉を聞いて、周囲にいる何人かが私を嘲る様に笑っていた。その中に私を怯えた目つきで見つめる子もおり、彼らのそうした態度が、私の周囲を警戒するようにして佇む『魔翼』を見ての物だと理解するのにさほど時間はかからなかった。
「ふむ、未知の物に対する恐怖か。確かに君たちは心のどこかで僕に怯えている。人数が多いからと気が大きくなっているようだね」
私が端的に彼らに魔力感知から得た情報を伝えると、彼らは途端に動揺を露わにすると共に明らかに気色ばんだ。
「な、俺達がお前にびびってるって言うのか? 取り消せ! お前みたいな化物を俺達は怖がってなんかいないッ!! それはサウダース家に対する侮辱だぞ!」
先ほどから私に噛み付いているのが彼らのグループの中でのリーダー格のようであった。背丈も高い事から少年達の中では腕っぷしも強いのだろうが、潜在魔力量は私からすると大したものでは無かった。
そしてまた、サウダース家という言葉を聞いて私は軽く頭を掻いた。確か、サウダース家も集落の中では大家族であった気がするが、特段人族の集落内に階級制度が敷かれている認識は無く、個々人が役割分担によって成り立つ村社会であるとの認識をしていたが、どうやら家名を持ち出すあたり彼らの中では暗黙の位付けが存在しているようであった。
「事実である以上、僕は訂正をしない。訂正を求める前に先ずは君たちの穿った物の見方を直すべきだと僕は思うけれどね。吠えるだけなら犬にでも出来る」
サウダース家の少年は激高し、私に向かって掴みかかろうと走り出した。思わず迎撃しそうになる魔翼を抑え、私は身を躱すと共に足払いを掛け、少年を転ばせた。かなりの勢いで地面に倒れた少年の服は汚れ、膝にも擦り傷が付いていた。
「ッッ!!、こいつ!!」
少年は起き上がると共に帯剣を引き抜き、今度は私に切りかかってきた。遅い動作ではあったが、それなりに訓練を積んでいるようで剣筋は確りとしたものであった。私は少年の動きに合わせて全ての剣撃を避け、少年がふらついた隙に懐に入り込むと今度は彼の腕と胸倉を掴んで投げ飛ばした。
宙を舞う彼の目は驚愕に見開かれていたが、それも束の間、肩から地面に激突した。少年は痛みに悶絶しており、自身の肩を手で押さえていた。
「まだ、やりますか?」
私は彼に歩み寄り、地面に座り込む彼を見ながらそう聞くと、彼は目に涙を浮かべて震えていた。
「ば、ばけもの……」
それだけ言うと、少年は剣を引き摺りながら他の少年達を引き連れて何処かへと姿を消した。
しかし其の場に一人だけ、おろおろとした様子の男の子が独りだけ残り、私を見つめていた。
「あれ、君は彼らと一緒に行かないのかい?」
「いいんだ。いつも威張ってばかりで意地悪してくる嫌な奴らだったか」
名前を聞くと、彼はダイン・クロムウェルと名乗り、あの少年集団の中で年下という理由で色々と意地悪を受けていたようであった。今日も、先ほど私が投げ飛ばしたリーダーのアルマリッド・サウダースに連れられて城壁の外にある森を探索する事になっていたらしい。森へは大人が居なければ行くことは基本的に許されていなかったが、度胸試しだと断る事が出来なかったようであった。
「じゃあ、ダイン。良ければ僕と遊んでくれないかな? 実は僕は友達が居なくてね、良ければ一緒に村を回らないかい?」
ダインは意外そうな顔をした後におかしそうに笑いだした。
「変なの。ラクロアは魔翼を持つ特別な子供だって大人たちは言っていたけど、友達がいないだなんて変なの」
ダインからのド直球な感想に私は若干ながらに心を折られかけるが、そこは何とかポーカーフェイスで切り抜ける事とした。
「知り合いはいるんだけどね。じゃあダインにはさっきの彼ら以外に友達はいるのかい?」
「うん、カトルア、ライ、ジークなんかは友達かな。同じ年齢だしね」
「そうか、それじゃあ今度友達を紹介してくれると嬉しいな」
「いいよ。カトルアとライなんかは喜ぶんじゃないかな。偶に君の話をしたりしているよ」
「ふーん。良い噂だと良いけどね」
「人前に中々出てこない恥ずかしがり屋って話をしていたような気がするけど」
集落の中で私はそういう扱いになっていたのかと、改めて聞かされると若干気まずい思いがした。トマムが言う通り、皆が私に対して与えている引きこもりという評価は正当であるようであった。
「まあいいか。取り敢えずグリムにでも会いに行ってみようか」
ダインはそれはだあれ? と不思議そうに首をかしげたが、「まあついてきなよ」と、私はダインをメザルド種の集落の側に連れていく事とした。
数年前にグリムと出会ってから、私は時間が有れば足しげく彼の元に通うようになっていたが、訓練期間は殆ど会う事が出来ず、あの可愛らしい珍獣が今どうなっているのかも気になっていた。
人族の集落から、先ずは中央通りを北上し、他種族の集落に足を踏み入れないように確りとルールを守り、通いなれた道をダインと共に歩き続けた。
ダインは魔族の集落がある場所へ小さな子供二人で向かうのは初めてだったようで、少し怯えた表情を見せつつも、私のローブの裾を掴んで離れずに着いてきていた。
「グリムいるかい?」
メザルド種の集落と通りの境界に作られている生垣から身体を乗り出し、生垣の向こうで遊んでいるメザルド種の若者たちに声を掛けた。
『ラクロアの匂いだー』
『ひさしぶりー』
『ラクロアあそぼ―』
生垣を飛び越えて姿を現したのは昔グリムと共に遊んだ若狼たちであったが、昔は私の腰程度しかなかった体躯が既に、五倍以上の大きさを誇り、ふわふわの白銀の体毛を揺らしながら懐かしむように私に身体をこすりつけてきた。
「グリムは今日はいないのかい?」
『グリムはお使い中。もうすぐ戻ってくると思うよー』
私はまあいいかと彼らの身体を縦横無尽に撫でまわし、ふわふわした毛並みを堪能していると、側でダインが彼等にすり寄られている中で硬直している事に気が付いた。
「ダイン、大丈夫かい? 彼等はメザルド種の若狼達だよ。昔、一緒に遊んでね。久々に会いに来たけど思った以上に大きくなっているみたいだ。面白いでしょう?」
「お、襲われないよね? 大丈夫だよね?」
『大丈夫だよー』
ダインの緊張をほぐそうと、若狼達がダインの頬を舐めまくり唾液でべとべとにしていると、ダインもどこか吹っ切れたようで途中からは彼等の背中に乗って周囲を走り回って貰ったり、じゃれつきに参加し始めた。
「お、ラクロアかー。久しぶりだなー」
暫くじゃれ合っていると少し気の抜けたような声で、お使いから戻ってきたグリムが私達を見つけたようで、その巨躯を見せつけるようにのしのしと近付いてきた。体長は目算で2.5メートル程度あり、大型動物と言って差し支えの無い姿であった。鋭い眼光と整えられた毛並み、昔からは想像できない凛々しい顔つきと共に、発散される強い魔力に若干の威圧感すら覚える程であった。
「おおー、グリム。お前もすごく大きくなったんだね!」
私は取り敢えず彼の首に飛びつき、もふもふ度合に変わりがない事を感じながら久しぶりと彼に挨拶を交わした。
「知らない人族だな。ラクロアの血族か?」
「血は繋がっていないと思うけど、僕の友達のダインだ。よろしく頼むよ」
「わかった。よろしくなダイン。俺は獣魔族、メザルド種のグリムだ。よろしくなー」
「う、うん。よろしく」
ダインの挨拶を受けたグリムは他の若狼達と同じようにダインの頬を舐めまわし、友好を示すと共に、私達のじゃれ合いに参加してきた。
「そういえばラクロアはメザルド種以外の魔族とは交流はあるのかー?」
ダインが投げるブーメランを取りに若狼がはしゃぐ中、私は久しぶりにグリムと落ち着いて会話をしていた。
「いやー、実はあまり集落巡りが出来てなくてね。それとなく大人たちに禁止されてしまったし。出来れば色々とまた見て回りたいんだけど」
「実はオイラは今日、西地区に集落を構える獣魔族のカプリコルヌス種のところに生え変わりの毛を配達してきたんだけれど、あそこにも若い魔族が結構いたのを見たよ」
カプリコルヌス種とは大きな二本の角を頭部から生やし、下半身は山羊、上半身は人に似た姿を持つ魔族であった。生え変わった体毛は硬度が高く、カプリコルヌス種の間で衣服に用いられるようであった。
「面白そうだね。今度行ってみるとしようか」
「明日また、来てくれれば背中にのっけて連れて行ってあげるよ」
「分かった。そしたら明日また来るとしよう」
私はその後もグリムとここ数年の話に花を咲かせながら、夕暮れ時になるまでメザルド種の集落の側で過ごす事となった。帰る頃にはダインは既に体力の限界であったようで、若狼の背中ですやすやと寝息を立てていた。
若狼たちは気を聞かせてくれたようで、私と一緒に人族の集落までダインを運んでくれることとなった。
集落の境界線でダインを受け取り、彼等に別れの挨拶を済ませると、集落の入り口には複雑な顔をした大人たちが数名こちらを凝視していた。その中で、真っ先にこちらに駆け寄ってきたのはダインの母親であった。
「ダイン! 大丈夫かい? 何もされなかったかい!?」
「遊び疲れて寝てしまっているだけです。大丈夫ですよ、彼も一日楽しそうに……」
パンッ! と乾いた音が集落の広間に響いた。それは彼女が放った平手打ちが私の頬を強かに打った音であった。私はそれを避ける事は容易であったが、一先ずそれを頬で受ける事とした。
「あんたね、ダインは未だ五歳なんだよ!? 他の魔族との間に何か問題が起こったらどうするつもりだったんだい!? あんたは魔翼持ちだから何して許されるかもしれないけどね、うちの子は普通の人間なんだよ! 勝手な真似は自分だけでやっておくれ!!」
早口で捲し立てられる言葉と、妙に余韻が残る平手打ちの感覚に思わず私は呆けた顔を見せてしまった。彼女は極めて真剣な口調と表情で私にそれだけ告げると、私の言葉を待つ事も無く大事そうにダインを抱きかかえると集落の中へと姿を消していった。
それを見ていた他の大人たちも見届け終わるとそそくさとそれぞれの家へと姿を消していった。
私は一呼吸を置くと共に、沈みゆく夕日を眺めながら今起こった事を反芻していた。彼女たちにとって、魔族とは、私とは何なのか。その距離感を図る良い事例であると言えるかもしれなかった。
「どうにも、人間の友達を作るのは難しいようだよ。母さん」
私は一人呟くと、ほろ苦い失敗の余韻を抱きながら夕食の支度を進めるトマムの待つ家へと帰る事とした。
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