第9話 ラクロア魔力を学ぶ その2『ラクロアとノクタス』


ノクタスは多量の魔法を発動させたにも関わらず、特に疲労も見せずに私に対し本日の訓練の終了を告げた。


「まあ初日はこれくらいにしておきましょう。魔法の継続効力発動と都度の魔法行使の違い、魔翼の使い方、私の攻撃を防ぐ方法、そして攻め方。魔術師同士の戦いにおいて必要となる知識、技術、少しは理解して貰えましたか?」


 私は仰向けになり、全身を駆け巡る魔力消費による疲労感を強く覚えながらノクタスの言葉に頷いた。僅か数時間、緊迫した時間が過ぎ去り私は安堵する一方でこの訓練に対して疑問を呈した。


「けど今のって、魔翼操作の訓練というより戦闘訓練に近い気がするんだけど……」


 ノクタスは私の疑問がおかしかったのか、何故か笑っていた。


「当たり前でしょう。既に魔法発動をオドは意識的に、マナに関しては無意識化で行える貴方にとって魔力自体の構造原理の理解は二の次でいいのです。魔力操作というものは概して経験がモノを言う世界ですから、模擬戦闘を通して『魔翼』の操作を学んでもらう方が早いという訳です。朝は座学、午後は夜まで模擬戦闘のスケジュールを今後も続けて行きますので、明日からよろしくお願いします」


 水を得た魚のようにノクタスは満面の笑みを浮かべていたが、私にはそれが酷く狂気染みた笑みに見えた。これがどれだけの期間続くのか、目標が提示されない中での訓練と言う名の荒行は酷く恐ろしい物のように思えた。


 毎日疲労困憊にまで追いやられては家に帰ると泥のように眠る姿を、トマムは大層心配そうに見守っていた。


 しかし、翌日にはケロリとしている私を二週間も続けて見ると、そこからは特に驚いたという様子もなく、ただただ微笑ましいとでも言うように普段通りやや気の抜けたような様子で眺めるだけであった。


 一方でノクタスの訓練は回を増すごとに苛烈になって行った。


 唯一の救いは私自身に怪我等が無いという点ぐらいのものだが、時にノクタスの手練手管によって私の魔法障壁を掻い潜った容赦の無い攻撃によって何度か気絶させられているのも事実であった。


 我が身を鑑みるに、気絶している際は気が付いていないが、もしかするとシドナイに刺された時と同じく致命的なダメージないし外傷を負っては即座に魔力による強制治癒を受けている可能性もあったが、それをノクタスに尋ねる気にはならなかった。


 そのように苛烈な訓練は続いたが、私としては訓練ばかりにかまける訳には行かず、訓練の合間を縫うようにして可能な限り早く文字を習得しながら、夜中には魔族の手で編纂されたという歴史全集を読み漁る日々を繰り返してた。


 歴史書は情報収集において極めて有用であり、魔族を理解するにも非常に役に立ったと言える。


 魔族が八百年前に歴史書を編纂し始めたのは、時の魔王が魔族と名の付く者達を体系立てて管理する為だけではなく、広く魔族同士の繋がりを求める為、理解を深める為に編纂を開始したようであった。


 魔大陸のあちこちで起こった地殻変動や、新たな種族の誕生、種族同士の諍いや魔王による平定等、歴史書に記載される内容は多岐に渡り、単純な読み物としても面白い物であった。


 歴史書の質が変わったのは約六百年前の内容からであり、魔王が国として魔大陸を支配するようになってからより詳しい魔族の種族ごとの成り立ちや生活様式等、その年々に起こった目新しい事項だけでなく百科事典さながらに情報が盛り込まれていた。


 その中に、魔翼に関する記載が有り、私の目を留める事となった。


 魔翼の発生について項目をなぞるように読み進めると、魔族の各種族においてその身に宿す魔力が極端に高い者達が身体的変化を起こし発現させる事が多いと記載が為されていた。


 その中でも先天的な発現と、後天的な発現の二種類があり、何れにせよ各種族において力の象徴として見做される事が多く、これまで多くの魔翼持ちが魔王と近い立場で政治に携わっていた形跡が見て取れた。


 私が今後どのような扱いを受けるかをこれまで理解していなかったが、そうした政治的要因として用いられる可能性が有る事を何となくではあるがこの記述を通して理解する事となった。


 しかし、人族にとって魔族がどのような存在であるのかを考えた時に、果たして魔翼を持つからと言って良い待遇を受けられるかという点については引き続き疑問が残りはしたが、この点は行く行く確認する必要が有りそうではあった。







 ノクタスとの訓練は基本的には村から離れた森との境に作られた訓練場で行われていた。


 そこには寝泊りが可能な掘立て小屋もあり、疲労困憊の際には小屋で泥の様に眠ったりもした。


 朝起きるといつもノクタスは手製のスープと簡単な肉料理を朝食に振る舞ってくれ、それが思いの外美味しく、実のところそれが食べたいが為に無駄に小屋泊をした事もあった。


 ノクタスはどうやら私との訓練期間中は様々な仕事を他の者に任せているらしく、そのお陰もあり訓練の期間中は公私共に私と過ごす時間が多かった。


 訓練の合間合間に森における食料採取や快適な寝床の作り方、その他森に巣食う魔獣に纏わる情報といった冒険者や旅人であれば必須となる情報に飽き足らず、ノクタスが構築した魔法体系の事や、彼が過ごしていたシュタインクラード王国での出来事、これからの村のこと、彼が思う事を様々に私に語り聞かせてくれた。


 そう言った意味で、ノクタスと過ごす日々は私にとってとても有意義深い時間であったと言えた。


 村においては大人達の協力によって育てられてきたとは言え、そこに親身さはあれど、村の大人たちに対して親という感覚を覚えるには至らなかった事も理由の一つだろう。


 勿論、トマムに関しては私に愛情を注いでくれていることは間違いなかった。しかし、人族と魔族の文化の違いともでも言うべきか、文化的な齟齬が生じる事も多く、彼女もまた人族を育てる母親としての在り方を探しているような手探りの状態も見て取れた。


 私は育ての親としての彼女に対して深い親愛を抱く一方で、種族の壁とでも言うべきものを感じているのも事実であった。


 その点で言えば、ノクタスは魔法技術における師匠と言うだけではなく、あたかも本当の父親であるかの様な印象を私は覚え始めていた。


 何となしではあるが、その振る舞いを彼自身が敢えて演じていた節も有り、時間が経つに連れ、私は彼に対し確かな父性を覚えるようになっていた。


 しかしそうしたノクタスが時に見せる父親のような側面は私を困惑させていたのも事実であった。


 彼が何故私に対してそのような想いを抱くのか。そこに何か理由があるのではないかと、何となくではあるが感じるようにもなり始めていた。


「そう言えばノクタスは結婚しないの? 家族は村にはいないよね?」


 ふと、私は疑問に思った事を口にするとノクタスは「ませてますねえ」と苦笑した。


 ノクタスの容姿は決して悪くは無い。グレーに染まった肩まで掛かる髪を訓練の際は束ね、片眼鏡姿は紳士然とした雰囲気を醸し出していた。


 迷彩用に緑に染色された魔術師専用のローブを着込むとそれだけで途端に胡散臭さ、もとい魔術師らしさが上がるのが欠点ぐらいのもので、その物腰と良い、三十代半ばの身空であれば引く手がありそうなものであった。


「昔に妻と、貴方と同じぐらいの歳の息子が居ましてね。ただ、まあ色々とありましてねえ……」


 ノクタスの言葉はそこで途絶え、暫くの沈黙の後に少し困ったような表情を浮かべた。


「まあ、人生そういうこともあるという事です。詳しいことはラクロアがもう少し大人になった時にお話ししますよ」


 私はそれについてただ頷くしかなかった。ノクタスの中でどのような葛藤と問答があったのかは分からないが、今は少なくとも彼が私に語る時では無いという事は良く理解できていた。


「そうですね。であれば大人になるのを楽しみに待つとしますよ」


 ノクタスは年相応とは言い難い無難な言葉を吐く私の頭を愉快そうにわしゃわしゃと撫でた。ぞんざいとは違う、不器用な男の慣れないコミュニケーションであったが、それを私は黙って受け入れていた。




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