第6話 村と魔族と人族の歴史 その1『この世界は広く、狭い』

 胸に抱いた我が子の行末に安寧はない事を知っていた。


 生まれたばかりの我が子は、場に満ちるエーテルを自らの身体に引き摺り込む様にして蓄えると、その小さく愛おしい身体で当たり前のように魔力マナを精製し、私と乳母と、そして実の弟を守る様にして周囲の魔術師達へと力を放った。


 人を超えた力の前に彼等は一瞬足りとも存在を許される事は無く、地上の塵となって消え失せる事となった。


 その余りにも容赦の無い魔力の放出は彼等がエーテルへと還元される事すら拒むように魂をすらも消滅させた。完全な無へと至る彼らの死に様に恐怖を覚えると同時に、そのような力を持った息子の未来を悲嘆せずにはいられなかった。


 けれど、この胸に宿る息子への愛おしさを投げ捨てる事など私には出来なかった。力を使った後に見せた息子の寝顔は、新生児が見せるひたすらに嫋やかな表情であり、まだ生え揃ってすらいない私譲りの銀髪を見ると、この子が本当に私の子であり、間違いの無い血の繋がりを感じざるを得なかった。


 そしてその実感は満身創痍の中であったとしても、それを凌駕するほどの喜びとなり、唯々私の母としての幸福を満たすばかりであった。


 私はこの二律背反の感情を抱きながらも、それでも尚この子の未来を創る為なら全てを捧げても構わないと思った。


 そして神へと願った、この子があるべき場所で生きられる世界を。死力を尽くして、生命限界を超える程の魔力オドを捻出して、他人の願いによって産み出されてしまった愛しい我が子の旅路を祈り続けた。


 力を使い果たし、自分自身がエーテルへと還元されて行く中で、私は確かに声を聞いた。


『思い残す事は無いかい?』


 その声が誰の物であるかは分からなかったが、私は彼に、息子に伝えなければ行けなかった。


『もしも、今後訪れる苦難に病み、迷い、誰かを恨むのであれば、私を恨みなさい。母として、愛すべき子を救う事の出来なかったこの私を……』


『彼なら、きっと大丈夫さ』


 その声には慈愛が満ちていた。消えて行く私を安心させるには十分な力強い声。その声に私は確かに救われていた。


『もしも、未だ願うことが許されるのであれば、貴方は誰よりも、誰よりも強く生きてね――』


 それを最後に、我が子の未来を願う、最愛の人は光の粒となって消えて行った。










 目が覚めると、不思議と頭の中が随分とはっきりとしていた。


 これまで若干ながらに感じていた自分の思考を阻害するような靄掛かったノイズが晴れ、何故か目の前の世界を広く感じられる様な気がしていた。


 不思議な感覚に包まれている内に、部屋の外で私を呼ぶ声が聞こえ、その声に誘われるがまま部屋から出る。居間ではトマムとノクタスの二人が立ち話をしながら私の起床を待っていた。


 今後はトマムとノクタスから魔族、人族の歴史講義を受けるのと合わせ、村におけるルールと言語の勉強を行うと説明が有り、これまでのゆったりとした生活から一変して教養を身に着ける事に邁進する事となった。


 三歳児に対して随分と熱心な事だと半ば呆れたが、暇よりはましと私もまんざらでは無かった。


「先ずは、文字を覚える事から始めましょうか」


 ノクタスが真っ先に始めたのは言語についての講義であった。


 使用する言語構成は表音文字であり、二十八の小文字と二十八の大文字、変音記号のついた小文字が三つの計五十九文字の構成から成り立ち、後は数字表記の為の独立記号が0から9まで計十種存在していた。


 私は既に共通語においてはある程度の知識量を持ち、会話自体も成り立っていることから、表意文字と比べ新たに覚える作業が格段に減る事を示唆され、ほっと胸を撫でおろした。


 知らない単語については都度確認しながら覚える必要はあったが、一から文字の意味を覚えるような複雑な作業を要求される事は無く、実に有難い状況であった。


 恐らく、使用文字を覚えるだけであれば二週間もあれば完璧にこなせるようになるだろう。


「村のルールについては非常に明快です。規則を破るな、これに尽きますからね」


 淡々とノクタスの講義は続き、次いで村に関するルールの講義へと移っていった。


 事この点については実に簡単な物であった。基本的に人族の場合、十二歳未満の子供は他種族の集落へ単独で訪問する事を禁じられていた。


 これは種族によって成熟度合が異なり、力の弱い種族――主に人族側が被害者との事だが――との交流で力の制御が出来ずに事故を起こす事を恐れての事であった。


「大人たちと一緒に外の集落に行く事は出来ますし、貴方もトマムに連れ立ってもらう事もあるかもしれませんね」


「そうね。私としてもラクロアには早く他の魔族と交流を持って欲しいわね」


 一方で互いの交流会は六歳を過ぎた頃から開始され、衆目監視の下で異種族交流は盛んに進められているとの事であった。


 また、上記に合わせに子供が村の外に出る事は原則として禁止されているとの事であった。


 村の周辺には魔獣が住み着いており、大人であればさほど苦も無く通り抜ける事が出来るが、力の弱い子供では食い殺される可能性が高いとの事であった。


 他の村との交流もあるとの事だが、主には村長や政に関わる者達の人材交流が主との事で、村民レベルでの交流は殆どないとの事であった。


 また近隣に人族はこの村にしか今はおらず、遠くに幾つか集落があるとの事であったが、魔族との関りを持たない地域であるとの事で、いずれにせよあまり村から出る必要性が無い事も理由として挙げられていた。


 そして最後は異種族における殺し合いや私情によって危害を加える事の禁止であった。訓練や不慮の事故等は村長に伺いを立てる形になっているが、私闘は基本的に禁じられていた。


 秩序を守り、健全な生活を送る事が是であり、村内における暴力的な振る舞いは認められないとの事であった。


「何か質問はあるかな?」


 ノクタスが一通りのルールについて話を終えると、おもむろにこちらを見ながら声を掛けてきた。


「……とすると、この間僕が他の集落を訪れたのはグリムの言っていた通り、やはり禁止事項だったのですね」


「うん、その通りだね。各集落の大人から我々に対して直ぐに連絡が飛んできたよ。人族の子供が集落を突っ切って北上しているとね。その後にエキドナ種の子供達と遊んでいたのも聞いているよ。まあこの村にいる者がお互いに危害を加える事は基本的に有り得ないが、分別や力の制御方法を十分に学んでいない子供同士であれば別だ。自分達だけでなく相手の為にも我々はある程度の力を持つ必要があるというわけだ」


 ノクタスは随分と無茶な振る舞いをする子だと、最初はあきれたよと笑っていた。


「ラクロアはその魔翼によって何等か危害が身に迫ったとしても身を守れるでしょうから、特にこれまで強く言い聞かせるような事は無かったのよね。それにその魔力操作にも随分と時間が掛かったからこういう事を教えるのをすっかり忘れてしまっていたの、ごめんなさいね」


 トマムは落ち込みながら私に対して平謝りを見せた。


 確かに私は他の子どもと違い、身体操作を習得する為にこの三年間を費やした為に、こうした基本的な事項を学ぶ時間が無かったのは事実であり私自身そうした配慮に欠けていた事も相まってしまったわけである。


 落ち度で言えばそうしたルールに考えが至らなかった私が悪く、彼女がそれほど謝る謂れは無いのだが、一応彼女は私の母であるが故にそうした殊勝な態度を見せているようであった。


 まあ、当然ながら三歳児にそこまでルールの厳守を求めるのは通常であれば土台無理な話であり、保護者の監督不行き届きが咎められると言えばそれまでなのだが、彼女の感じようは少し過剰に思えた。


「それに人間の三歳児がここまで確りとした自我を以て、まるで大人のように振る舞いを見せるとは私達も思って居なかったのよ。人族において一般的な教育は三歳から始まるけれど、それこそお歌の勉強だったり、農業の手伝いの真似事だったり、半ば遊びが殆ど。本格的な語学の習得や一般教養の教授は六歳から始める習わしだっただけに少し甘く見ていたわ」


「これもまた魔翼が齎す効果と言えるかもしれませんね。表面的な人体構造は一般的な人族と同様ですが、ラクロアが持つ魔力量は上級魔族と引けを取らないと言いますし。知性的な成長が早かったとしても何ら不思議はありません。私としては『魔翼』の発現と併せて実に興味深いです」


「本当の人間の母親なら、このような事は無かったのでしょうけれど、種族間の違いという物は中々難しいものね」


 トマムが深いため息を吐きながらに子育ての難しさを実感している様を見るに、トマムが全力で母親の役割を全うしようとしている事を感じさせられ、どこかむず痒い気分がした。


 私としては育ての親が何者であろうと、この三年間私を育てた彼女を親として認識しているのだが、当の本人としては思うところがあるようであった。


 トマムがそれほど深く私に入れ込んでいなければ、私としては兼ねてより疑問であった自分の本当の生みの親が誰なのか、出自の部分を何処かしら機会を見つけて尋ねようと考えていたが、それはやはり今は避けるべきなのだろう。


 それこそ今のトマムに聞こうものなら、涙ながらに謝られそうであった。


 今しばらくは敏感な質問は避ける必要があるなと思いつつ、私は一先ずトマムの意識を切り替えるべく、別の話題を切り出した。


「そもそも人族と魔族って仲が悪いのか良いのか分からないんだけど、実際のところどういった関係なんです?」


「ふむ、また難しい質問をするね。とは言え人生経験の長くはない君に一般論を語るのは少し酷か……。端的に言うと人と魔族は仲が悪い。しかしこの村ではみな仲が良いと言えるね」


「それはまたどうして?」


 ノクタスの掻い摘んだ、と言うよりも大雑把な解説では理解が及ばず、寧ろ私は一般論を聞きたかった。


 それをトマムは察してくれたようで、ノクタスに耳打ちすると、ノクタスは我が意を得たりと過去の歴史に絡め今の魔族と人族の立ち位置について説明を添えてくれた。


「突き詰めれば昔に大きな戦争、集団と集団の大きな戦いがあった事が原因と言えるでしょう。人族の間では人魔戦争と呼ばれる大戦ですね。それは今から約四百年前に起こった戦争であり、現在もまだ終結には至っていない。休戦協定が結ばれて約二百年が経過していますが、人族は未だ魔族に対して良い感情を抱いていない。それは魔族が人族にとって遠く及ばない魔力を保持する生物だったこともあり、いつか魔族が自分達を襲ってくるのではないかという妄執に取りつかれている事に起因していると言えるでしょう。自分達より力を持った存在が、自分達をいつか破滅へと導く。人々はそうした固定観念を持ったまま永い時間を過ごしてきてしまった。それ故に人族は魔族に対して酷く偏見を持っている」


「とすると、魔族は人族に対してそうした感情は持っていない?」


「それは難しい質問だね。当然ながらこれまで戦争を行っていた相手な訳だから、人族を危険視するという側面はあるだろうね。けれど、そうした偏見に満ちた決して手を取り合えない存在として認識しているわけでは無いと言えるとも私は思うよ。それが力を持つもの故の驕りかどうかという点については議論の余地があるが……実態として彼らは人族との宥和を求めているには間違いない。何よりこうして我々人族と共に平和な村を創り上げたのがその良い例だと私は思っているよ」


「なるほど……。ちなみに今、僕たち以外の人族は何処に住んでいるの?」


 ノクタスは部屋の隅にある巻物へ向けて手を向けると、音もなく巻物が浮かび上がりノクタスの手元に納まった。


 どうやら物体を浮遊移動させる何らかの魔法を行使したようであり、ノクタスはやや得意気であった。よくよく考えると、私は他人が魔法を使用するのを始めて目撃した事になる。


「今のは浮遊魔法の無詠唱を実践したのだが、驚いてくれたかな? 人間の中で無詠唱魔法を使える魔法使いはそれほど多くは無いんだけれど、如何せん魔族は感覚的に魔法を操るからあまり驚いてはくれないのでね。授業の度にこうしてなるべく使うようにしているんだよ」


 ノクタスは聞いてもいない事をべらべらとしゃべりながら、しきりに自身の魔法の腕を自慢していた。


 人族の集落において最も魔力操作に長けているのがノクタスとの事なので、彼が優秀な魔法使いであるのは事実なのだろう。しかし私にとってノクタスの他に魔法を使用できる人物を知らず、比較対象がいない為に彼の凄さがいまいち伝わってこなかった。


「凄いですね、僕も出来るようになるといいなあー」


 其の場に合わせて取り敢えず適当に褒めておいたが、ノクタスは満足そうに頷くと「直に特訓してあげますよ」と嬉しそうに応えた。


「さて、これは君から見て中央から左半分が魔族の有する魔大陸の一部を現しています。もう右半分が人間の納めるシュタインズクラード王国が納めるスペリオーラ大陸の地図です。見ての通り地図の左中央をクライムモワ連邦と呼ばれる巨大な山脈が連ねているのが見えると思います。この山々では季節に関係無く、頂上付近では常に雪が降り積もっています。標高は六千メートルを超え、この峰々を昔の人族は易々と超える事は出来ず、霊峰等と呼んでその威容を敬っていた歴史を持ちます。そうした歴史の中で、この山を東側から西側へとくり抜いた坑道の先にある、元来魔族側の領土であったフロイスタヴィヌス高原を南北に割いた大きな谷間、これをモルッカ渓谷と呼びますが、ここでの魔族と人族との邂逅が人魔戦争の始まりと記されています。魔族はこの渓谷に太古より城塞を構えており、坑道から現れた人族を迎え撃ったとされていますね。魔族が人族を押し返した後には、山脈を隔てて右側に広がるメライケ大森林まで人族は後退を余儀なくされた。そこで魔族側から幾つかの条件を基に休戦協定を結び和議を行ったのがこのメライケ大森林の先に有る、ロシュタルトの砦と言われています。ここを一応の境界線として現在まで休戦が続いている事になるのですが、文献も古く正確な情報は寧ろ魔族の方が詳しいかもしれませんね」


 ノクタスの解説を更に深掘りすると、スペリオーラ大陸の精々八分の一がこの人魔戦争によって人族が失った代償との事で、結果からしてみれば大陸の端が取られただけではあり損害は軽微であったようにすら見える。


 ノクタス曰く本来は山脈を挟んで不可侵であった部分が心理的な壁となり人族に平静を保たせていたとの事で、それが確かであれば、間近に戦争相手であった魔族が潜んでいるというのは確かに脅威として頷けるものであった。


「それで僕たちがいるこの村の位置はどの当たりになるんですか?」


 ノクタスは地図上に記されたメライケ大森林を指さした。


「この森林の中に切り開いて村を建てていますが、具体的位置については一部の者以外には秘匿されています……まあ、ある程度の魔力を以ってすれば推察は可能でしょうけれどね」


 私はこの村が設立された地理的な位置について確認すると共に、その裏に含まれる意味を考える必要性が有る事を率直に感じていた。


 ノクタスは先ほど『魔族は人間との融和を図るためにこの村を創り上げた』と言っていたが、その言葉が真実であるとするのであれば、スペリオーラ大陸側に人間と共同生活を行う為の村を作り、人間と共存の可能性を探るというのは些かリスクが高いようにも思えた。


 一方で確かに人間を誘致するという事であれば利便性という観点では正しいように思う。一方で人間側にこの状況が露見した場合に人間を幽閉しているだとか、情報収集を行っているだとか、難癖をつけた戦争の火種になりそうなものであった。


 村を覆う城壁についても魔獣に対応する為にしては随分と強固な防御壁であると思ったが、人族が攻め入ってくる事を想定しているのであれば納得であるが、それ故に些かノクタスの言葉に幾つか疑義を持たざるを得なかった。

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