第5話 ラクロア村を散歩する その2『穿たれる我が身』

 凡そ一時間程の間ブーメランを投げ続けた後に漸くグリム達に解放してもらい、その頃には昼も過ぎていたこともあり人族の集落に戻る事とした。


 大人たちの多くは仕事へと繰り出しており、姿は疎らであった。


 朝から昼にかけては専ら集落から外に出ている事が多いようで、その多くは南東それぞれの城門の外縁部に広がる穀倉地帯と、酪農地帯に大人の殆どが駆り出されているのとの事であった。


「自給自足か。魔族も同じ物を食べるのかな?」


 私の記憶が正しければ、トマムも私同様に食事を必要としない身体であった。しかし、時にトマムが食べ物を口に運ぶ姿は確かに見受けられた事を考慮すると、栄養素としての食事は必要が無いないが、趣向品として流通されているのではないかとあたりを付けた。


 わざわざ商業地区で食品を売り出すあたり、そうした需要もあるのだろうが、とは言え理由は現状では不明瞭であった。


 穀倉地帯は美しい稲穂を実らせ、金色に世界を埋め尽くしていた。特有の香りが風に運ばれて鼻腔を刺激する。それは芳醇な春の香りであった。


 大人が作業を行う穀倉地帯は人が作業するにしては極めて大規模であったが、どうやら魔法を用いた効率的な栽培方法や収穫方法が確立されているらしく、多くは管理部分に人員が割かれている様子であった。


 私はこの美しい景色に見とれながら、一人ぼとぼと穀倉地帯を歩いていると、見張りの高台から私に声を掛ける人物が現れた。


 ラーントルク家の主人であるミナレットであった。


「おお、ラクロアか。朝は一人で散歩していたらしいな。うちのガキ共もお前さんのように生まれ持った魔力が大きければ余所の集落へ出しても変な事にはならないと思うんだが……。まあ高望みをしても仕方がないよな」


 と、陽気な様子で話しかけてきたがその会話内容は穏当では無かった。


 私の行動は既に人族の集落では知るところとなっていたようである。しかしミナレットは特に私を叱る様なつもりは無いらしく、砕けたその様子は物見としては少し緊張感に欠けている様にも見えた。


「そこまで登ってもいいですか?」


「ああ勿論いいぞ。そういやお前ここに登るのは初めてか、大した景色でもないが登ってきてみな」


 私は許可を取ると、やぐらに設置されている梯子を上り、地上十二メートル程度の高さまで到達する。


 そこから見えるのは村の城壁の見張り台と同じ程度の高さであり、村全体を見渡せはしなかった。


 しかし、眼前に穀倉地帯は黄金の穂先をたなびかせる小麦が延々と続いており、日差しの下に燦々と輝いて見えた。空には一切の曇りなく、蒼穹がどこまでも広がるかのように青さを映し出していた。


「綺麗ですね。牧歌的な風景とは正しくこう言った景色のの事を言うのだと、身に沁みます」


 三歳児に見合わない言葉遣いではあったが、ミナレットは気にした風でもなく、そうだろう。と私に同意した。


「オリヴィアも俺もこの景色が好きなんだ。そりゃあ魔族と共に生活するなんて言うのはちょっと前までは考えもつかなかったが、ここは平和で争いもない。いい村だよここは」


 ミナレットの過去を知らない私にとって反応に困る物言いではあったが、私は取り敢えず頷く事とした。


「ミナレットさん。この村の事について聞いても良いですか?」


 私の質問にミナレットは途端に歯切れが悪くなったが、彼の対応は紳士的であった。


「あー、すまねえな。お前に村の事を聞かせるのは俺の役割じゃないんだ。トマムとノクタスが歴史に関する資料を取り纏めているから、あの二人に聞いてくれ。お前にも、勿論子供達にもだが、変な俺の主観が混じった話を聞かせたくないんだ」


 ミナレットの言葉はとても誠実に聞こえた。


 この村の歴史がどのように立てつけられているのか、個人の主観に依らない客観的な事実に基づいた資料があるのであれば確かにそれを基にするのが正しくある。


 しかしミナレットの言葉にはそれ以上に個人として思うところがあるのだろう。


「とすると、ミナレットさんは、この村意外にもどこか別の場所に住んでいた事があるという事ですよね?」


「ああ、その通りだ。俺は昔人間の世界で暮らしていた。オリヴィアと出会ったのも人間の世界での事だ。シュタインズクラードと言う国の首都で、騎士を生業にしていた。まあ追々わかる事だが、俺はその国から追放された人間だ。詳しくは歴史書を読むと良い。これまでの村人についても記述を残すようにしているからな」


「そうすると僕たちが居るのは魔族の世界という訳ですね」


 ミナレットは頷き、何か言葉を発しようとした矢先に物見に取り付けられていたベルが独りでに鳴り響き甲高い音を立てた。ミナレットは即座に物見から身を乗り出して穀物地帯と森林の境界に目を凝らした。


 私もそれを真似て物見の手すりによじ登り、遠くを見据える。


 目に力を籠めると『魔翼』がそれを補助しようと魔力を身体に注ぎ込み、本来は見えない距離で蠢く何者かを鮮明に映し出していた。


 大きく身体を震わせ、ねめつけるようにして穀倉地帯を見渡す姿は猪に良く似ているが、大きさが明らかに猪のそれではなく、人間二人分は有るかという巨体であった。


 そしてその黒々とした体躯から湧き上がる魔力から迸る敵意。


 それは何処となく周囲に危害をもたらすと確信させるような異様な気配を放っていた。


「魔獣だな。この辺りではボア型の魔獣は大した強さでは無いが、距離が少しあるな。あの付近の倉庫には魔力度の高いもみ殻が寝かせてあるからそれに反応したんだろうな」


「どうするの? 作業している人たちに警告した方が良いんじゃない?」


「いや、皆このベルは常に持ち歩いているから魔獣には気づいているだろう。それにあの場所であれば東門のシドナイがすぐにやってくるさ。念のため俺も向かうとするが。お前はここにいるか集落に戻っていなさい」


 そう言うとミナレットは物見櫓から何の躊躇いも無く飛び降り、ふわりと着地したかと思うと同時に猛烈なスピードで穀倉地帯を駆けて行った。


 その直後に雷のような閃光が遠くで煌めいたたかと思うと、魔獣の眼前に爬虫類顔の男、シドナイがその魔槍を携えて魔獣の目の前で仁王立ちをしていた。


 そのシドナイと相対した魔獣はシドナイに対して畏怖を覚えているのか、ぶるぶると震えながら懸命に鳴き声を上げていた。


 私はその姿を目前に観察したいという欲に駆られ、ミナレットの言葉を守らずに彼と同様に櫓から飛び降りた。


 私の意志に反応した魔翼が一瞬その翡翠色をした薄緑の結晶体を強く光らせると、眼前の空間がねじ曲がり、私の身体はいつの間にかシドナイの真後ろに移動していていた。


 具体的な原理は分からなかったが『この場所に行きたい』という想いに反応して魔法が発現したようであった。


 しかし、私の出現した位置が悪かったと言える。


 シドナイは突然背後から迫る魔力に対して彼の持つ魔槍を、その魔族随一の手腕を以て半ば反射的に振るっていた。私は神速で迫る一撃を認識する事も出来ず、シドナイの姿が見えたと同時に彼の万物を貫くと言われた魔槍によって易々と胸を貫かれていた。


「えっ……?」


 私自身その異変に全く気が付かず、胸元から服全体へとじわじわと血液が広がり始めるのを眺めながら、漸く自分の身に何が起こったのかを認識した。


 数舜遅れ、魔翼が自動的に私を庇護しようと槍と私の間に盾となるように集まって見せたがその努力は全く役に立っていなかった。


 一方シドナイの後方で震えていた魔獣はこれ幸いと一目散に森の奥へと駆けて行き、瞬く間に姿を消していた。


「おお……。まさか人族の子供がこのような魔法を操るとは思わなんだ。強大な魔力が背後に迫った故に無意識に手にかけてしまうとは」


 シドナイは呆然とした様子で私を見ながらそう呟いた。


 どうやら彼らエキドナ種の背後に立つとこうなる運命のようで、今後は彼らの背後に突然現れる事はやめておくとしよう。


 ここで私は漸く刺されたわりには痛みが無い事と、先ほど僅かに滲んだ血液の染みがそれ以上広がらない事を認識していた。


 無造作に手で傷口を探っていたが、生暖かい血液に触れたもののそこに傷跡は一切見受けられなかった。


 驚いた事にこれも『魔翼』の力なのか、どうやら傷は完治してしまったらしい。


「ふむ。どうやら身体は大丈夫みたいです。正直死んだかと思いましたが」


  シドナイも私を殺めてしまったと完全に思っていたようで、驚いたようにこちらを見ていた。


 事実、確かに私は彼の魔槍に貫かれており、普通であれば致命傷を受けたに違いはないのだが、どうやら普通の人間と違い頑丈、と言うよりは傷が治る速度が異常に速いようであった。


「なんと。よもや私の槍を受けて立っていられるとは、流石は『魔翼』を持つ異端の人族という訳か。はっはっは、面白いではないか」


 シドナイは私のけろっとした姿に大いに笑い出した。


 遅れてこの場に到着したミナレットは一部始終は見ていたらしく、私の安否を喜ぶと同時に怒鳴りつけると言うなんとも言い難い反応を見せた。


「まあ良いではないかミナレットよ。自分の種族の子が優秀なのは喜ぶべき事だ。何よりその子を刺してしまったのは私の未熟故。私に免じて見逃して貰えると嬉しい」


 ミナレットは困ったとばかりに、シドナイと私を交互に見やり、渋々と言った様子で頷いた。


「シドナイがそこまで言うのであれば今回は不問としよう。しかしこいつに先ずは一般常識という物を教える必要があるようだが」


 ミナレットは仕方なしとシドナイの意に沿うと、こちらを苦々しげに一瞥した。


「まあそれには僕も同意しますね。この魔力の使い方もちゃんと分からないと事故が多くなりそうですしね」


 私は取り敢えず大真面目に遺憾の意を表明するとミナレットは「口の減らない……」と溜息をついた。一方でそのやり取りを見ていたシドナイは豪快に笑っていた。


「はは。しかしその肝の据わった子供であるな。それにしても傷を一瞬で塞ぐ程の稀有な魔力量。鍛えようによっては面白き戦士になるぞ。ミナレットよ、この子に人の技を授け、私が魔の技を授ければこの世に類を見ない傑物になるやもしれんぞ」


「確かにそれは面白いですが、選択をするのはラクロアですからね。まあ、今はやんちゃですが、こいつが何をしても我々にとって良い方向に繋がると信じていますから」


「ふむ、まさに魔翼を持つ者の運命というものであるな。それも然り。人族の子ラクロアよ覚えておくがいい。お主が力を求める際には我々に声を掛けよ、我らが技術を惜しみなくお前に与える事を約束しよう」


「ええ、その時が来ればよろしくお願いしますね」


 シドナイは再度にこやかに笑みを浮かべると、先ほどと同じように閃光のような速度で其の場から姿を消した。


「よーし、そろそろ俺達も戻るとするぞ。しかし物見櫓からの距離は優に一キロメートル近くあった筈だが……、この距離を瞬時に移動する魔法と魔力量は流石は魔翼持ちか……」


 ミナレットは改めて物見櫓とここまでの距離を目算しながら、私の魔翼を眺めていた。


「まあ、それにしてもシドナイがあそこまで言う事は珍しいな。人魔戦争時代の英雄は人を見る目もあるってわけかねえ」


「人魔戦争?」


「おお、そうかラクロアは未だ何も知らないか。そしたら後で七英雄冒険記の話をしてやろう。因みにだが、シドナイも実はその冒険記に描かれていてな、人族が英雄と崇めた七人を相手に、たった一人でその侵攻を防ぎ切ったという伝説を残しているんだよ。 俺も昔、寝る前におふくろに七英雄の冒険記を読み聞かせてもらったけなあ」


 ミナレットは先ほどまで私を叱っていたのを既に忘れたようで、嬉しそうに私に七英雄についてや、シドナイの武勲について語り聞かせてきた。


 どうやらミナレットがこの村に来てからそうした話を直接シドナイに尋ね聞いた事もあり、実際に英雄と対峙したシドナイに対して敬意を抱いているようであった。


「因みにその人魔戦争っていうのは何年前の出来事なんです?」


「正確な記録は俺も覚えていないが、約四百年は昔の話だそうだ」


 四百年前から生きているとなると、随分と魔族は長命なようであるが、それはエキドナ種限定なのかその他の魔族も同様に長命なのかは其の場では質問が出来なかった。


 それは、私の質問に端を発し、その後もミナレットによって延々と人魔戦争における七英雄の活躍と、エキドナ種およびシドナイの活躍を聞かされ続けたからであった。

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