第2話 ラクロア成長譚 その1『夢うつつと魔力障害』

 深く、仄暗い水のような生温い液体の中で私は揺蕩っていた。


 生きているとも、死んでいるとも言えず、呼吸すら今は止まっている。しかし、何かに導かれるようにゆっくりと光を目指して私はもがいていた。


 光へ進むたびに途方もない喪失感を覚えながら、代わりに身体へと、意識へと入り込む膨大な感情と、はち切れそうな力の奔流を一身に受け、今にも潰えてしまうような小さな命の灯火であったが、それでも尚私は生きたいと願っていた。


 万力を使い果たし、光の先へ辿り着いた矢先に私が感じたのは敵意で有り、悪意で有り、悍ましい負の感情そのものであった。私では無い何かが、その時私の内側から弾けるのを感じていたのを良く覚えている。


 しかし、そこからの記憶は途切れ途切れであり、思い返せる物事の中に明確な情報は無かった。


 こうして一個人としてクリアな意識を保ちつつも、自分が何者であったのか、そうした記憶を辿ろうとしたところで何らはっきりとした出来事を思い出す事は無かった。


 その一方で自分が今置かれている状況については徐々に理解と認識が進みつつあり、どうやら私が生を受けたこの世界が自分が以前に過ごした世界とは似て非なるものであると言うという事に気が付き始めていた。


 しかしこうした思考は長く続かず直ぐに途切れてしまう。例えるのであれば私は常に夢見心地であった。それは自分の身体が赤子であった為か、白昼夢を過ごす様に現実と夢の狭間を揺蕩う時間が一日の殆どの割合を占めていた。


 その中での僅かな気づきを挙げるとするならば、育ての母として私を引き取った者は私が知る人間とは些か異なる容姿を持つ者であったという事だろうか。


 長い睫毛に切れ長の眉、透き通るような黒い髪、異国風の情緒を感じさせる顔立ちと魔力の満ちた赤銅の瞳。猫のような瞳孔には何か特別な力を感じすらした。


 長い黒髪の合間をかき分けて突き出されるのは、作り物かのように見える二本角であった。それは螺旋状に伸び、魔力を伴った鈍色の輝きを放っていた。


 彼女の身体つきは極めて人族に近く、母性を顕にする扇情的なふくよかさと、まるで生娘であるかの様な白い肌が際立って見えた。妙な艶やかさと清楚さが絶妙なバランスで両立している……。彼女には美しさと妖しさが混在していると言えた。


 彼女が人間では無いと理解するのに、さほど時間は必要無く、寧ろ彼女に育てられる自分が何者であるのか、どの様な状況に置かれているのか、幾つかの疑問が浮かびはしたが、そうした疑問は彼女の私に注ぐ眼差しを見て霧散してしまった。


 彼女の私を見守る目は私がまるで本当の息子であるかのような、慈愛に満ちた温かさに溢れており、外見上の違いは些末な事柄でしか無いと思い知らされた為であった。


 彼女は歌を口ずさむのが好きな様で、私をあやす為に何度も彼女の歌声を聴くこととなった。彼女の子守歌はその美声もさることながらどこか郷愁を抱かせる切なさを醸し出し、それを聞きながら過ごす日々は平穏であり、同時に彼女に対する親愛の情を私に強く抱かせた。







 幾度と無く眠りと目覚めを繰り返したか、それでも何故か不思議と空腹を感じる事は無く、日がな一日を彼女や、家に訪れる他の人族の会話を聞きながら過ごしていた。


 残念な事に私が知る言語とは違ったようで、具体的に何を話しているのかは完全には分からなかったが、自分の育ての親の名前が『トマム』と発音する事を彼等の会話や、私に語りかける彼女の身振り手振りで何とか認識する事ができた。


 トマムが私の様子を窺うのに合わせ、彼女の名前を成長しきっていない声帯を鳴らしながら発すると、彼女はいとおしそうに私を見て笑った。その笑顔は心からの慈しみに溢れた、美しいものである様に感じた。


 身体が月日と共に成長するのに合わせ、トマムは様々な料理を離乳食として私に与え始めた。離乳食と表現はしているがそもそも私は乳離れも何も食事をとる必要は無かったが、何故かトマムは私にそうしたご飯を食べさせる事を喜びとしているようであった。


「しっかり食べて大きくなるのよ? 魔王様のように大きく、強くならないといけませんからね。魔翼を持つ者として、貴方には四聖獣のお導きが在らんことを」


 彼女は口癖の様に祈りを唱えながら、時には自身の口で咀嚼したものを私に分け与え、日々の楽しみとしていた。


 生後六ヶ月頃からそうした食事を摂取するようになった一方で、私は自分の身体が自分の意識下で思い通りに動かせない事に戸惑いを覚えていた。


 身体の発育状況は決して悪くは無く、確りと年相応に成長してはいたのだが、何故か自分の思い描く通りの動きに身体が上手くついて来ない、というよりも無駄に動きすぎるという事態に直面する事となった。それは極めてストレス度合が高く、喫緊の課題として私の身に降りかかった難題であった。


「ラクロアは沢山動くわねえ」


 などと、トマムは私を見ながら微笑ましそうに笑っていたが、私からして見ると笑い事では無かった。


 結論から言えば私の身体操作を阻害していたのは、私自身の背中から生える『魔力結晶体』のせいであった。


 その魔力結晶体は大小様々な結晶体の連なりによって構築されている。生まれてこの方その結晶の群れが身体を放射状に囲っており、危険から自分の身体を守る役割を私の意思に関係無く担っていた。


 この魔力結晶体は時に暴発し他者を危険に晒す防御機構として機能し、相手が私に何等か悪意を持って相対した場合、即座に八つ裂きにしていてもおかしくはないやたらと過敏に反応する危険な代物であった。


 それを物珍しそうに触る同い年の子供が居たりもしたが、物心のつかない純真無垢な者には一切反応を示さない当たり、善悪の区別は確りとついているようで我ながら息を撫でおろしていた。


 この防御機構を持つ魔力結晶体を、魔族の間では通称『魔翼』と呼称し、過度な魔力を持つ者に生来備わるものとして魔族の中でもこの『魔翼』を持つ者は稀であったが、一般教養としては、ありふれた認識であるようであった。


「しかし立派な『魔翼』よねえ。あのお方にそっくりで魔力の濃さも申し分ないし……。母さん本当に嬉しいわ」



 トマムは偶にうっとりとした目線を私の『魔翼』に向けては何者かを連想していたが、運の悪い事に、私の背に備わる『魔翼』は、通常の魔族が持つ魔翼と比べても些か強力な魔力を保持しているようで、制御下に置く為に莫大な魔力消費及び緻密な魔力コントロールが要求されていた。


 魔族であれば本能的に魔翼の制御が可能となる傾向にあるらしいが、私の素体はあくまでも人間である。そうした中で、私にとって得体の知れない魔力との付き合い方には非常に骨が折れたと言えた。







 魔力という言葉は私の前世の知識の中でも聞いた事の無い代物であった。その為にそもそも魔力がどういった概念であり、何を指し示すものであるのかという基礎の理解から始める必要があった事も私の労力を高めるものであった。



 幸にして『魔翼』の存在により身体に流れる魔力の存在を確りと感じ取るは出来ていた為、物理的な側面で魔力の存在自体に疑問を抱く必要は無かった。



 魔族においては生来的に備わっている基本的な能力として体内に存在する魔力を生命維持活動の為に操っているという事であったが、人族である私はその素養が極めて低いらしく、意識下で魔力を操作するにはそれなりに体系立てて魔力というものを理解する必要があった。



 後々になって判明した事であるが魔力の概念は大きく分けて二つ存在している。生物が生来的に備える魔力。そして大気中を漂うこの世界を満たすように存在するエネルギー体としての魔力。この双方は様々な触媒を介し抗力を発揮する事で何らかの事象を発生させる事ができる


 特に自身の持つ魔力を意識的に触媒とし『場』に存在する魔力を用い、現象として変質させる行為を魔法と呼称しているようであった。


 そうした中、私の中には『オド』と呼ばれる魔力の他に、本来人間が持ちえない『マナ』と呼ばれる魔力の二種類存在しているのだと、私をあやすトマムと盛んに立ち話をしていた魔術師のノクタスと呼ばれる者から後に情報を得る事が出来たのだが、どうやらそれが私の魔力操作を困難としている根本的な原因のようであった。

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