第6話 ゾンビパウダー

 光が目に差し込み、下へ引っ張られる力を感じた瞬間、どっと地面に倒れ込んだ。


「いたた……」


 着地失敗。

 転移なんて何十年ぶりに使った技、五体満足なだけでも及第点だ。

 湿った土に触れる身体が冷たく、川の流れる音が聞こえる。

 重い瞼を持ち上げ何度か瞬きをすれば、世界は少しずつ色を取り戻す。

 最初に見えたのは目玉だった。


 腕、足、頭、胴体、原型をとどめていない臓器。

 どれも腐敗が激しく、血の代わりにどす黒い液体が飛び散る。

 ゾンビだったものたちの残骸に間違いない。

 ぎくしゃくと立ち上がりあたりを見渡せば、何十人分の、かつて人だったパーツが草の上におもちゃのようにあちこち転がっている。

 より密集している方へと視線を巡らせれば、マリアがいた。

 彼女は私の姿を認めると、首を傾けて微笑んだ。


「あら、遅かったわね。もう少し早ければ吸血鬼VSゾンビが見れたのに」

「いらないわよ、そんなZ級映画みたいなの」


 マリアの背後でごうごうと勢いよく川が流れる。彼女の手にはあの赤いゴム風船があった。大きさ1mほどのそれを、マリアが指で押すとぐにゃりと変形した。


「全部で50体ぐらいのゾンビがいたかしら。でも彼らの死守しようとした物はもう私の手の中。どうしようかしらね?」


「マリア、あなた……」


「マリアじゃないわ。私はエリナ。エリナ=スカーレット」


「……やっぱり真名を取り戻していたのね。力を使えるのも納得」


「えぇ、そうよ。契約違反にならないように周到に。私が言うのもなんだけれど、今の吸対のセキュリティーはザルすぎよ」


「あなた、自分がしでかしたことの重大性を分かっているの? 人間社会は敵性存在を絶対に許さない。それはあなたが一番知っているはずよ。一体何が目的なの?」


「私は私の物語を始めるのよ。もし最後の吸血鬼である私が吸血鬼であることをやめたら、この世界の吸血鬼の物語は終わる。そんなの、絶対に嫌。私は私であることを諦めない。鎖で繋がれようと、たとえ死ぬ羽目になってもね」


 二人の視線がかちあい、沈黙が横たわる。

 こちら側とあちら側。境界はくっきり明確だった。

 だらだらと続いていた腐れ縁。長い年月の中、マリアのことをちょっとは理解した気になっていた。 

 そんなのはただの思い上がりの勘違い。

 私はマリアをまるでわかっていなかった。

 彼女は人間とは異質の存在で、どこまでも吸血鬼なのだ。


「さぁ、この風船が破られたくなかったら私の拘束を解きなさい。真名を取り戻しただけでは完全じゃない。いずれ13拘束をすべて解いて真の吸血鬼になるの。これはそのための第一歩よ」


「どちらもお断り、よ……!」


 地面に転がっていたゾンビたちの手が跳ね、マリアの足を拘束する。

 地中にひそませ侵入させてていた血を操り、彼女の動きを封じながら走った。


血楔けっせつ術!」


 圧縮した血の楔を4本、マリアに向かって投擲する。

 彼女がよけようと身体をひねりバランスを崩したのを見計らい、間髪入れずに続けて5発。

 何本かがマリアに命中し、血が噴き出る。彼女の手から風船が離れ宙に飛んだ。

 飛び上がって手を伸ばし風船に触れるか否かの瞬間。

 ――違和感を感じた。

 治りきっていなかった右手首の縫合部から血が溢れていた。


「な……!?」


 右手が体から離れ、くるりと方向転換したと思ったその時。

 腹に衝撃が走った。


「ぐっ!?」


 めりっと腹部に拳がしずみ、息が詰まる。

 あまりの痛みに地面に倒れ込んだ。


「その右手の傷、私にバレていないと思ってたの?」


 地面に突っ伏したまま力を振り絞って顔を上げると、マリアが冷たい目をして私を見下ろしていた。彼女の傷はもう回復しており、手の上にある私の右手は、ケラケラ笑うようにパラパラ指を動かした。

 気づかないうちに傷口からマリアの血が体に入り込み、手の主導権を奪われていた。


「いつ……から……」

「それさえ分からないのね。本当にガッカリ。全盛期のあなただったらこんなものじゃなかったのに」


 マリアは風船を再び手にすると川に向かってぶら下げた。


「さぁ、ゾンビを誕生させたくなかったら拘束を解きなさい」


 最悪の状況だった。

 逆らえば、割られる。

 かといって、言われるがままマリアの拘束を解いたらどうなる?

 真名を取り戻しているのだ。13拘束だってすでにいくつか解いているに違いない。

 強力な呪縛なだけに、1つ拘束をとれただけでもマリアの力は跳ね上がる。    

 それにもし、私の拘束が最後の一つだったら彼女は完全復活を果たす。

 そうなったら最後、彼女は人間社会へ復讐を始めるだろう。


「ソラ……!」


 彼女が焦れた声をだした。それと同時に手にあったゴム風船が破裂した。

 中に入っていた粉が飛散し、そのうちの半分は川に落ちて流れていく。 

 


「違う……私じゃ……!」

「ウヒャヒャヒャ……!  ゾンビに栄光あれ!!」


 木の上に潜んでいたゾンビが歓喜の声を上げた。

 マリアは即座にとどめを刺したが、ゾンビパウダーは放出されてしまった。

 水中に広がってどんどん拡散されていくさまが頭に浮かぶ。

 ならば――

 私は迷わず川へと飛び込んだ。




 深く流れの早い水の中、体が回る回る。

 ぐるぐる視界が回りそうになりながら、手首から体内のナノマシンを放出させる。

 彼らのターゲットを吸血鬼細胞から、未知の物質ゾンビパウダーへと変更。

 今まで吸血鬼細胞と戦い分解し続けていた信頼できる相棒たちだ。

 ゾンビパウダーがどんな物質であろうと原子単位で切り裂いてくれるだろう。

 目に見えない彼らの健闘を祈っていると、手にボコボコと赤黒い腫瘍ができていた。

 ナノマシンにより増殖が抑えられていた吸血鬼細胞が活発化し体が侵食される。蝕まれる。

 腫瘍はどんどん広がり腕まで達した。

 ものの十分で私はただの肉塊に成り果てるだろう。

 戦いの中、そうやって死を迎えた仲間たちの最期を何度も見てきた。

 でも私の番になっただけの話。

 終わりを先延ばしにされていた私の物語は、これでようやく終われる。

 そう思い目を閉じた。

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