第6話

 それからぼくは一生懸命勉強した。

 ハイスクールを首席で卒業し、国立カレッジの教育学部に入学した。イングリシュの教職免許を取り、国家一種試験を受験した。


 いわゆる官僚というやつにぼくはなった。


 国を動かしているのは政治家ではなく官僚だということは知っていたし、ぼくには国を動かす力が必要だった。

 凛の行方を知るためにも国の中枢に潜り込む必要があったからだ。


 小説を書くことも忘れてはいなかった。ときどきスランプに陥ることはあったけれど、毎年何作かの小説を書き上げた。

 ぼくは文部科学省に入り、ニ〇四四年の領土返還後の日本語教育の必要性を訴え続けた。


 凛の行方についてはわからなかった。

 けれど生きていれば、ぼくが小説を書き続けていれば、いつか必ずまた会える。そう信じていた。

 上司から見合いの話が何度かあったけれど、結婚はしなかった。



 この国があるべき形に戻ったとき、ぼくは49歳になっていた。


 ぼくは書き貯めた何百という小説を出版社に持ち込んだ。

 出版業界では新しい日本語小説の出版は十年もしくは二十年年先のことになるだろうと言われていたらしい。

 しかし日本語小説を書き続けていたのはぼくだけではなかったらしく、すぐに多くの日本語小説が出版された。その中にはぼくが書いた小説も奇跡的にいくつか含まれていた。


 ぼくは文科省を退職し、27年過ごしたTOKYOから生まれ育ったSAKAIに帰った。SAKAIはもう堺と名をかつてのものに改めていた。日本語教員採用試験を受け、50歳を目前にして教壇に立つことになった。


 植民地時代に日本語を話したり教えるなどして逮捕された人々は釈放され、多くは日本語教員として採用された。

 だけどその中に、凛の名前はなかった。


 日本語教員と日本語小説家の二足のわらじを踏むのはなかなかに大変で、小説家として小説を書くことはできてもなかなかテレビ出演や講演会といった仕事のオファーがあっても応えられないでいた。

 夏の新刊の発売にあわせてサイン会を行いたいと担当の編集者から話があったときも断るつもりでいた。

 しかし、インターネット上で読者たちのレビューに目を通すだけではわからないこともある、と編集者から強く薦められたこともあり、堺銀座商店街の書店でならという条件で引き受けた。


 ぼくの読者は幅広い年齢層に跨っていると聞いてはいたけれど、確かに実際にこの目でサイン会に並ぶ人の列を見るまでその実感はなかった。

 百聞は一見にしかずという古い言葉があるけれど、まさしくそれだと思った。

 サイン会では小さな紙を配り、そこに名前を書いてもらい、ぼくはその名前と共に自分のサインを、表紙をめくった一頁目に書いた。

 書き慣れないサインは書く度に違っているような気がして、なんだか申し訳なかった。


「お願いします」


 ぼくと同じ年頃の、それにしては随分ときれいな女性がぼくに小説と名前の書かれた紙を差し出した。その紙を見てぼくは目を疑った。


「山汐凛」


 そこには確かにそう書かれていたのだ。

 ぼくは顔を上げた。

 長い黒髪に、こぼれそうなほど大きな瞳を縁取る長い睫、白いワンピースから伸びた長い手足は透けるように白かった。

 確かに凛の面影があった。


「ごぶさたしています」


 凛は深々と頭を下げた。顔を上げた彼女は、ぽろぽろと涙をこぼしていた。


「結婚してくれますか?」


 ぼくは彼女にそう尋ね、彼女はゆっくり頷いた。



                                                      了

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母国語を奪われたこの国で、ぼくたちは。 あめの みかな @amenomikana

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