やべーのを本気にさせたかな

 営舎の屋上は昼下がりの太陽に熱く照らされて、ジリジリと焦がれていた。


 風呂上りの岡崎はフェンスに前のめりに体重を預けながらPXで買ったソーダ味のアイスを齧っていた。


 見上げれば上空では、第十一飛行隊の副隊長ともう一機がもつれ合うような軌跡を描きながら、実戦さながらの模擬戦闘訓練の真っ最中だ。


 岡崎はその動きに見入っていたが、背後に立つ何者かの気配に気付いて小さく振り向いた。


「おや。エイト二佐」


 エイトは黙って岡崎の隣に立ち、同じように空を見上げた。


 大空の鬼ごっこは佳境を迎えているようで、二機の描くコントレイル空中航跡は解けかけた毛糸玉のように入り組んだ球体の様相を呈していた。


「うちの副隊長の山中三佐と、もう一機は多分八木一曹ですね。地面を下に見る機位からの突っ込みが甘い。いつも言ってるんですがね」

「…………」


 エイトは空の航跡に目を凝らした。


「山中三佐は、機嫌が悪い……」

「ありゃ。分かりますか」


 岡崎の言い様は自分の子供について語るようだった。


「山中はターン直前にターン方向と反対側に……こう勢いをつけるみたいに操縦桿スティックを振る癖がある。いつもは殆ど目立たない程なんですが、今日は荒れてますね。曳く雲が汚い」

「私も、そうなんですね?」


 二人の間を、夏の風が吹き抜ける。


「と、言いますと?」

「あなたに言われたことを、もう一度考えて見たんです」


 岡崎は空を見るのをやめて、アイスの最後の一口を齧ると、そのままその棒を咥えてエイトに向き直った。


「あなたは言った。私は殺気が勝ちすぎる。だからじゃんけんの後出しのように勝てるのだ、と」

「答えは出ましたか?」


 一瞬、全ての風が止んだ。

 時が止まったかのような静寂の中で、エイトは言った。


「私には、心がある」


 岡崎はニヤリと笑った。また風が吹き始めた。


「だから、その動きを想像して、揺さぶりをかけ、向かう先を予測できた。じゃんけんの、後出しのように」

「G耐性、ヨーコントロール精度、フュエルマネジメントにここぞと言う場面の判断と思い切り。一つ一つのパイロット技能は俺よりあなたの方が上ですよ。間違いなくね」


 岡崎はフェンスを背中にして寄りかかり、再び空を見上げた。


「しかしあなたは心が剥き出しだ。あなたがどうやって製造されたのか知らないし、坂本一尉やAIの専門家がなんて言うか俺には分かりませんがね。あなたの飛び方には心がある。間違いなく。今の山中以上に。なのにあなたは」

「自分には心なんてない、と思っている」

「そう。だからそれを隠そうという発想がない。偽ろうという技術がない。それを元に俺があなたを追い詰めているなんて想像も及ばない。だから勝てない」

「私が自分を、勘違いしているから」


 岡崎は頷いた。


「ま、そういうこってす。あなたは自分で考えているより、ずっと俺たち、人間に近い存在だ」

「それを教えていいんですか? 私に」

「俺はあなたの教導官だ。教え導くのが仕事です。憎み合う敵同士じゃない」

「非番では?」

「あなたこそ」

「後悔しますよ」

「どうぞ。させてみてください」

「時間を取らせて申し訳ありませんでした岡崎二佐。良い休日を」

「いえ。有意義な時間でしたエイト二佐。また空で」


 エイトは微笑んで、それを返事とした。

 岡崎はその笑みに、何か凄みのようなものを感じてゾッとした。

 エイトが去った階段小屋を眺めながら、岡崎は独言ひとりごちた。


「やべーのを本気にさせたかな」

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