こっちが聴きたいよ
『キャニューヒアミ・フラッシュ。ディシィズコントロール』
「ディシィズフラッシュ。ラダンドクリア」
『ロガー。ユーハブテイクオ・クリアランス。ゴートゥーザタキシーウェイ・ナンバー4』
「ロガー」
『あの無愛想なブリキ女にかましてやってください、二佐』
「訓練中だ。不必要な所見の通信は避けろ宮本」
『クリアコースコンファームド。グッドラックフラッシュ』
「サンキュー。コントロール」
唸りを上げるターボファンエンジンの響き。
アニュラII型燃焼器が毎秒3千800万ガロンの勢いで大気を鱈腹に吸い込み、9段構成の軸流圧縮機がそれを2万8千LBFの純粋推力へと置換する。放たれた鋼の戦鷹は瞬く間にV速度を軽々と超えて、吸い込まれるように深い蒼穹の大空へとその身を投げ出してゆく。
岡崎はこの瞬間が好きだった。
ウィングマークを受領してから二十年。何万回と繰り返しても飽きない、パイロットとして戦闘機を駆る陶酔が、この瞬間にはあった。
『聞こえる? フラッシュ』
だが岡崎のささやかな愉しみの時間は、僅かに遅れて離陸したアンドロイドからの通信で途切れた。
「感度良好だアイシクル」
『いつでもいいわ。合図は任せる』
「了解アイシクル。5カウント。5、4、3、コンバットオープン……ナウ」
果てなく青い空間に、二機の戦闘機が描く二条の白い航跡が、三次元の複雑な幾何学模様を描き始めた。
***
エイトには理解出来なかった。
初日の模擬戦。負けたのは相手の戦闘機動パターンのデータ不足が原因だと考えた。
だから坂本一尉に掛け合い、基地司令の許可を得てアーカイブにある岡崎二佐の戦闘記録を全て閲覧し、暗記し、分析した。
出た結論は「無駄で不可解な操作多数。相手が不完全な人間のパイロットだから今まで生存できている」というもので、エイトはこの結論に満足した。
岡崎二佐の状況別の回避運動傾向も把握したし、得意とする攻撃ポジションの統計的確率も理解した。それらに基づいてその裏を掻けば容易に勝利できる筈だった。
だがそうはならなかった。
人間には決してできない高Gのターン、回避運動傾向と確率論的なポジション取りの動き、分析に基づく仮想フラッシュのあらゆる戦闘機動。いざ実機に乗り相対したフラッシュはそれら全てを易々と躱し、外し、裏切って見せて、的確なキルポジションからの
そんな筈はない。どうしてそうなるか分からない。理論と実践が噛み合わない、エイトに取ってこれは初めての経験だった。
ビーーーッッッッ
並列処理で走る論理演算が原因不明の遅滞を見せるエイトの脳裏に、本日11回目となる死の宣告が響き渡った。
***
「どうして負けるか分からない、という顔ですね」
待機室で坂本一尉を伴い、データのバックアップを受けていたエイトに、岡崎が声を掛けた。
「私には感情やその表出はありません。そう感じたなら、それはあなたの内面に起因した現象です」
「そうでしょうか?」
「どういう意味ですか?」
岡崎は抱えていたヘルメットをテーブルの上に置いて、エイトの横に腰掛けた。
「じゃんけんの後出しなのですよ。自分がやっているのは」
「じゃんけんの、後出し……?」
「だから、あなたに勝てる」
「ナンセンスです。私がどう飛ぶか、事前にあなたに分かるとでも?」
岡崎は答えず、肩を竦める動きをその問いへの答えとした。エイトは質問を重ねた。
「あなたも私の資料を閲覧している……その分析からの推論ですか?」
「近いかも知れないけれど違いますね」
「ではどうやって?」
「勘ですよ」
「……は?」
「パイロットとしての、戦闘機乗りとしての勘。それが次にどうしたら良いかを教えてくれる」
「……ナンセンスです」
「では殺気、と言い換えてもいい」
「殺気?」
「あなたは殺気が勝ち過ぎる。私がそれを避けて飛べば、あなたの弾には当たらない」
「からかってらっしゃるんですか?」
「かも知れませんね」
岡崎は立ち上がった。コインレスの自販機に近寄り、ブレンドのボタンを押した。自販機がウウンと唸って、商品扉のデジタル表示がカウントダウンを始める。
「それとエイト二佐。あなたは優秀なパイロットだが、あなた自身について、一つ大きな勘違いをしてる」
「勘違い?」
エイトの脳裏で複数の演算が急速に走った。
「不可能です。私はアンドロイド。あなたがた人間とは違う。私自身のことで私が理解していないことなどないし、勘違いなんて有り得ません」
「あなたの計算上は、私があなたに勝つことも有り得ないのでは?」
「…………」
「とにかく、あなたがあなた自身を理解してその勘違いを正さなければ、あなたは私には勝てませんよ。少なくとも、あと十日間の内には」
「私に、どうしろと言うのです!」
エイトは手首のジャックに刺さっていたケーブルを引き抜いて勢い良く立ち上がると、つかつかと早足で待機室を出ていった。
どこか間抜けたメロディが流れて、自販機の扉が開く。微かなコーヒーの香りが岡崎の鼻腔を
「こっちが聴きたいよ」
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