『ヤンデレ論』について考える。

永久保セツナ

ヤンデレとはなにか考えてみた

 突然だが、『ヤンデレ』という萌え属性が、この世には存在する。

 しかし、このヤンデレというやつ、色んな意味でなかなか厄介なやつなのである。

 今回は、ヤンデレの定義を考えてみようと思う。


 ヤンデレというのは、読んで字のごとく『病んでいるデレ』という意味である。しかし、このヤンデレを構成している『病み』と『デレ』、このふたつの要素を考えるだけでもヤンデレファンの間では意見が割れてしまうことがあるのだ。

 ひとつずつ見ていこう。


 まずはヤンデレに欠かせない要素その1、『病み』。これは通常、心の病を表すものであり、身体の病気は含まれないが、数少ない例外として、例えば『足が不自由で恋愛対象に生活の介助をしてもらっているが、ある日恋愛対象に近づく恋敵が現れて、それが原因でヤンデレに変貌してしまう』というものがあるが、この例でも結局心を病んでしまっている。やはり基本的には恋愛対象のために心を病んだ状態が『ヤンデレ』なのだ。

 しかし、心を病んでいれば何でもヤンデレ、という単純な論理ではない。まず基本としては『デレ』という言葉を含むとおり、恋愛対象に対しての愛がなければいけない。『恋愛対象』と言っている時点で愛があるのでは? とも思えるのだが、例えば精神的に異常な人間でも恋愛対象に対する深い愛なく四肢をバラバラにするような人間はただのサイコパスである。


 また、恋愛対象に出会う前から病んでいるような人間は『メンヘラ』として区別されることがある。恋愛対象が原因で心を病んだわけではないからだ。よく「ヤンデレとメンヘラの違いって何?」という疑問が議論の種として上がることがあるが、よくある回答は「ヤンデレは『愛したい』、メンヘラは『愛されたい』」というものである。しかし、個人的にはこの答えは少し分かりにくいと思う。たしかにヤンデレは恋愛対象を愛し尽くしたいものではあるのだが、同時に『恋愛対象に愛をお返ししてほしい』と思うヤンデレだっているはずだ。いや『愛されるよりも愛することを望む』ヤンデレもたしかに多いのだが。同じく、恋愛対象に愛されたいだけで愛することを放棄しているメンヘラばかりでもないと思うのだ。この些細な違いさえヤンデレファンの間では大問題として頻繁に議論が交わされるのである。ね、めんどくさいでしょ。

 個人的な回答としては先に挙げたとおり、『恋愛対象が原因で心を病んだのがヤンデレ、恋愛対象が直接の原因ではない場合がメンヘラ』くらいのゆるい感じでいいと思うのだが……。


 ちなみに現実世界にはヤンデレは存在せず、自称ヤンデレは全員メンヘラかただのストーカー、ということに『なっている』。ヤンデレが現実に存在していたらヤンデレという萌え属性そのものが危険な思想ということになり、ヤンデレファンが困ってしまう。あくまでヤンデレは創作の中だけの存在である(三次元を含む場合はたいていドラマや舞台などの創作物の中の人物である)。言い忘れていたがストーカーもヤンデレと微妙に違う。最大の違いとして挙げられるのは『心を病んでいるかどうか』なのだが、まあヤンデレの中にストーキング行為をする者も含まれている、と理解してもらえるとわかりやすいだろう。というかストーキングする時点でどこかしら頭おかしいと思う。


 さて、次にヤンデレを構成している要素その2、『デレ』について見ていこう。デレとは『病み』の部分でも取り上げたが、要するに恋愛対象に対する愛情表現だ。ツンデレがツンツンデレデレならヤンデレは病み病みデレデレ。ただしヤンデレのデレはたいてい狂愛や偏愛、歪んだ愛などの形で表される。最悪の場合、恋愛対象やその周りが被害を受け、殺傷事件に発展することもある。愛を拒否すれば死。愛を受け入れれば共依存。うーん、めんどくさくて可愛い。

 しかし、この『デレ』ですらも、ファン個々人によって基準が曖昧で、明確に『ここからここまでがデレ』と断言出来る人は少ないのではないかと思う。

 例えば、某動画サイトで多数の派生ネタ動画を作る元になった『ヤンデレ妹CD』というものがある。しかしこのドラマCD、視聴者によっては『この妹、ヤンデレではないのでは?』と物議を醸したのである。その原因のひとつが『デレの程度』だ。このCDに出てくる妹は、兄のために料理を作ったり血のついたハンカチを切り取って捨てればよかったと発言したり監禁してみたり最終的には殺傷しようとするのだが、その行動のすべては兄のためと言いつつ自分の快のためとも受け取れるのだ。つまり、『病み』の部分で言及した『愛していると言うより愛されたい人種』すなわち『ヤンデレではなくメンヘラ』なのではないかという議論である。


 ヤンデレをよく知らない(あるいは関わりたくない、興味が無い)方々にとってはぶっちゃけ「どっちでもええわそんなん」といった感じだろう。そう、この界隈めちゃくちゃめんどくさいのである。好きだけど。


 ヤンデレかどうかを判断する材料は他にも『作者自身がヤンデレだと思えばヤンデレ』VS『読者(視聴者)がヤンデレだと思えないとヤンデレとは判定されない』といった対立構造もある。この場合、ヤンデレ妹CDを作った側はヤンデレだと思っているが、視聴者はヤンデレとは思えない、といった感じだ。どちらが正しいとかではないと思う。しかし、結局最終的に個々人のフィーリング(あるいはその界隈において発言力のある人物)に任せるからこのヤンデレ界隈はいつまでも基準が曖昧なのである。


 ……さて。

「で、筆者自身は結局どういった立ち位置なのか」を結論としてここに書き記さなければいけない。

 筆者の結論として今までの記述をまとめておくと、『ヤンデレとは恋愛対象のために心を病んだ者、恋愛対象のために尽くし愛情表現をするがそのことごとくが歪んでいる、すっげぇめんどくさいけど愛おしい奴ら』といったところか。

 ヤンデレ妹CDに関してはヤンデレの一種かもしれないが少なくとも筆者の好みのヤンデレではない、と言っておこうか。ここでは触れていないが、実はヤンデレと一言で言っても様々な種類がいるのである。興味のある方は検索すればまとめてくださっているサイトや投稿文章などがある。あーめんどくさいコイツら。好き。

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