第3話 友達

 鴉の翼で森を飛ぶと、例の館の屋根がすぐに見えて来た。空からの襲来を恐れるかのように石材でしっかりと覆われたその造りは、今の人間には奇異に見えたりもしないだろうか。短い命の人の世で、どれほど過去の経緯が正確に伝わっているかは、彼の知ったことではないが。


 館の周辺を回ってみると、確かに剣だの槍だのを構えた兵に囲まれている。人の気配がある窓も幾つかあるようだ。空鳴き姫は、お供を引き連れて山奥にやってきたらしい。若い人の娘、それも姫と呼ばれる者にしてみれば奇妙なことだ。村人たちが面白おかしく囁くのも無理はない。

 屋敷のほど近くの井戸で、水を汲む女が何人かいるのに気付いて、彼はそっと手近な木陰に停まった。何に姿を変えようともついて回る白い色が、こういう時にはもどかしい。常とは違う鴉を見たら、人間はそもそもの話題そっちのけで彼を指さすのに夢中になってしまうのだ。とにかく──今は、女たちは彼に気付いていない。人の女によくあるような、無駄なおしゃべりを続けてくれている。


「姫様は落ち着かれたようね。良かったこと」

「そうねえ、王宮だとやはり気疲れなさるのでしょう」

「田舎に幽閉されるようでお気の毒だけど──」

「いいえ、でも姫様のためよ。縁談をお断りするのもひと苦労なのだし」

「なまじお美しいだけにねえ」


 水を満たした桶だの洗い物だのを抱えて語らう、女たちの口調と表情は、村人たちにも通じるものがある。即ち、同情しつつも面白がる気配があって、少し辺りを憚るような。そして、女たちは彼が知りたかったに触れてくれる。


「思ったこととのことしか言えないなんて」

「本当にお可哀想にねえ」

「でも、大切なお役目ですもの。名誉なことよ」


 そこまで聞いた彼は、女たちが背を向けたのを見計らってまた空に飛び立った。空鳴き姫の声は今もまだ聞こえている。妙なる調べを辿って、あの娘のもとへ。彼が怒ったことこそ、あの娘への無礼だったかもしれないようだった。




 彼の羽ばたく音を聞いて、彼の白い翼を目にして。空鳴き姫は目を見開いてから嬉しそうに微笑んだ。


「あら、貴方。また来てくれたのはじめまして?」


 鴉のしわがれた声で、彼はかあ、と答えた。先日よりもずっと慎重に、かつ優しく、絹に穴を空けないようにして姫の肩先に停まる。すると、空鳴き姫の白い指が彼の羽毛をそっと逆撫でた。先日と同じく、わずかな動きながら妙にくすぐったくて、でもなんとも言えず心地良い。


「私たち、お友達知らない人になれるかしら……?」


 彼は再びかあ、と答える。これもまたどんな姿になろうと変わらない、紅玉の色の目を細めながら。ただの鳥でも人でもない彼の目をよくよく凝らせば、空鳴き姫がただの人の娘ではないのは明らかだった。何かしらの強い存在の祝福、あるいは呪いというか。そんなものが不可視の鎖となって、姫の首に絡んでいる。


 のせいで、この娘は逆の言葉しか口にできない。だから空言姫などとあだ名されたりもするのだろう。


『あなた、綺麗な汚い鳥ね』

こっちに来てあっちへ行って。私、ひとりは寂しいのひとりでいたいのよ


 からくりが分かってしまえば、最初の時の彼女の言葉の真意も分かる。若い猟師に対しても、彼女は館に近付かない方が良いと警告したかったのだろう。縁談を断るのが面倒なのも道理、残念ながら喜んで、などと言われたら若い貴公子は舞い上がってしまうに違いない。まあ、尊い身分らしい姫が、どうして縁談を断る必要があるのかはまだ分からないが──


「まあ、嬉しい悲しいこれからももう遊びに来て来ないでちょうだいね?」


 彼の正体を露とも知らぬまま、微笑む空鳴き姫──あるいは空言姫──は愛らしく好ましかった。なので彼はそ知らぬふりでまた、かあ、と鳴き、応、の意を伝えたのだった。

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