第4話 父王

 空鳴き姫のもとに鴉の姿で通ううちに、彼は侍女や召使や兵士の噂から、姫の事情の詳細を知ることになった。


 この国の王家は、天なる神によみされている。王ともなれば、供物や儀式を通して神にその意を問うたり強請りごとをしたりすることもできる。強請りごと──例えば、王妃の腹に宿った子に、未来のできごとをあらかじめ知る「力」を授ける、とか。

 彼にしてみれば法外にも思える願いを、神とやらは供物にほだされてか叶えてやった。ただし簡単に、という訳ではなかった。生まれ落ちた姫には確かに予言の力が与えられていたが、同時に呪いも施されていた。思ったことを口にしようとすると必ず逆の言葉が漏れてしまう、という。人の身が自由に未来を知ることは許されない傲慢ということらしい。ならば書いて伝えれば良さそうなものだが、姫はどうしても文字を覚えることもできないのだとか。神によって課せられた制約は、やすやすと抜け道を探すことも許さないのだ。


 姫は美しく優しく成長したが、繁栄する国の秘密を窺おうとする他国の間者も多く、求婚者たちだとて本心は知れないから油断ならない。お会いできて光栄です屈辱の極み、だの、ご機嫌麗しく不機嫌そうですわね、だの。にこやかに淑やかに、罵倒めいた挨拶を述べる姫を人前に出すわけにもいかないし、そもそも予言の力を知られるのも拙い。年頃になった姫の評判が知れ渡るにつれて対応に思い悩むようになった父王は、苦肉の策として、彼が住まうような山奥の辺境に娘を匿うことにしたということだった。




 彼は、今日も空鳴き姫の膝に身体を丸めて彼女の詞のない歌に聞き入っている。彼の本来の身体に比べればはるかに小さな、白い鴉の姿のままで。栗鼠とか兎とか狐とか、もっと可愛らしげな姿の方が良かったか、と思わないでもないが、今となっては仕方あるまい。何なら彼は人の姿にだってなれるし、それなら姫と語らうこともできたかもしれないが──


「今日も良い嫌な天気ね……私、ここに来てこんなところに良かったわ来たくなかったわ。空はくて広くて狭くて、空気も清々しくて淀んでいて……」


 多分、空鳴き姫のほうでそれを望むまい。村の者が聞いたら、空言姫のうわ言だ、と囁かれるような支離滅裂な言葉を、微笑んだままでてらいなく口にできるのは、相手が鳥だからこそ。言葉を理解しないと思うからこそ。最初に小鳥の囀りと思い違いをしたことで、彼はかえってこの娘と親しくなることができた。誰より間近で歌を聞き、膝に休んで撫でられる心地良さを満喫することもできている。使用人相手にも口を開く機会を極力抑えようとしている節があるこの娘のこと、人の姿で対面していたら「お友達」にはなれなかっただろう。


 鳥の声真似のような空鳴きの歌も、きっとこの姫には思ったような詞を紡ぐことができないからだ。宮廷ならば心無い噂を招いたかもしれない歌も、この森でなら小鳥の声に紛れさせることができる。彼も至福の時を味わうことができる。だから、今の日々が互いにとって一番の幸せなはずだ。


 ここ最近の常となっていた和やかな時は、しかし無粋な人馬の声と足音によって妨げられた。森の奥へ踏み入ってくる一団があるのだ。空鳴き姫は歌を止めて立ち上がり、居場所を奪われた彼は不満の鳴き声を漏らしながら空に羽ばたく。

 姫がかれへの気遣いを忘れたのも、無理のないことではあった。木々の間から姿を見せた者たちは、いずれも絹に金銀の刺繍の豪奢な衣装を纏っている。馬の毛並みも体格も良く、麓の村人ならば眩さのあまりに地にひれ伏していたことだろう。この国の王が、娘を訪ねて都からやって来たのだ。決して短くはない道のりを、国の行く末を占う予言を聞くために。月に一度ていどの倣いのことだった。


「お父様──よくいらしてさっさとくださいましたお帰りください

「うむ、そなたの麗しい顔を見ることができて嬉しいぞ」


 駆け寄った娘に、王は重々しく頷き──手近な木の枝に退避した彼の、鴉に似合わぬ白い羽根を見て目を瞠った。


「あの子は、私のお友達知らない鳥なのです。どうか、捕まえたりしないで捕まえてください」

「……あれはそなたの友達か。だから、捕らえてはならぬというのだな?」


 父であり王であっても、空鳴き姫の言葉を正しく理解するには一瞬の間が必要らしかった。娘が肯定の意を示して無言で頷くのを見て、王はやっと安堵した風を見せた。


「この森にはかつて白い竜が住み着いて先祖を悩ませたというな。白い生き物に縁がある地なのか……」


 王の言葉は半ば独り言のようなもので、供の者たちも空鳴き姫も答えなかった。実の親に対してさえも、空鳴き姫は言葉を惜しんでいるようだ。多分、混乱させるから、ということだろうが。


 人間の一行は白い鴉を置いて館の中へと吸い込まれていった。だが、石の壁や木の扉など、彼にとっては何ら妨げにはならないのだ。

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