第247話 魔女の息子


 はい、という訳でダンジョン四層。

 前回はホークがバグトラップに攫われた後、森の中に突っ込む結果となったが。

 今回は何と。


 「ぬ、沼地かよ」


 「蒸し暑いね……」


 「というか、湿った泥の匂いが凄い……」


 皆揃って、げんなりとしてしまった。

 実際にこういう所へ行った事はないが、“湿地帯”と言って間違いないのだろう。

 とにかくこの湿気が多い感じ。

 一歩踏み込めばグニッと泥に足が沈み、泥が纏わりついて来る。

 いやぁ、これはまた……やり辛いぞ。

 しかもこれだけ温度と湿度が高いとなると、食材もかなり心配になって来る。


 「ひ、ひぃぃ……進みづらい……」


 「お嬢様、転ばないでくださいね?」


 女性陣の方も苦戦している様で、ヨタヨタするレインさんにロザさんが手を貸している程。

 これ、戦闘になったら結構不味いよね?


 「こんな事なら、もう少し準備してくるべきだったな」


 そんな台詞を溢す墓守さんだけは、ぬかるんだ大地をドスドスと歩いて行く。

 ある程度進んだ所にあった背の高い草むらに突っ込み、ダンダンと音がする程に地面を踏んで確かめている。

 あれは、何をしているのだろう?


 「お前等、こっちに来い。この足場の違いが分かるか?」


 彼の言葉に従って、ヒーヒー言いながらゆっくりと指定の場所にたどり着いてみれば。

 なんか、さっきより地面がしっかりしている気がする……ような?

 既に鎧の足裏が泥だらけなので良く分からないけど。


 「湿地帯では足場の確保が何より重要になる。踏みつけて感触を覚えろ、草が生い茂っている所は意外と地面がしっかりしている事が多い。しかし油断するな、種類によっては水の中から生えている物もある。気付かず踏みこめば川の中にドボン、なんて事もあるだろう」


 物凄く怖い事を言われているのだが、彼は淡々と植物の種類を説明し始めた。

 ホークは完全にポカンとしているし、イースは難しい顔をしながらも首を傾げている。

 レインさんに至っては必死にメモを取ろうとしているが、ロザさんは男性陣に近い表情で固まっていた。

 これ、あれだ。

 俺が全部覚えておかないと不味いヤツだ。

 幸いお父さんから色々教えてもらっているし、図鑑なんかもよく見ているので植物の特徴を覚えるのは苦ではない。


 「これくらいの足場を探して移動すれば、基本的に大丈夫ですか?」


 「いいや、過信はするな。一部だけぬかるんでいたり、今立って居るこの地でも二メートル程掘れば水が出て来るはずだ。湿地帯に関しては、基本的に不利な状態で戦っていると思え。警戒を緩めた瞬間齧られるぞ」


 そう言いながら、墓守さんがマジックバッグからやけに長い棒を取り出した。

 ガサガサと草をかき分けて、ズボッと地面に突きを放ってみれば。


 「分かるか? 似たような草が生えていても、この先は水だ」


 「き、気を付けます……」


 マジか、ほんの数メートル先に水辺が広がっていた。

 視覚情報だけだとただの草むらだし、平然と踏みこんでしまいそうだ。


 「それから、こういう所では水に落ちても慌てず、すぐに陸地に上がれ。見る限り水中の敵の方が多いだろう」


 「水中の敵って言うと……」


 「見ていろ」


 彼が水に突っ込んだ棒をバシャバシャと動かしてみれば、何やら草の向こうの水音が更に激しくなり。


 「こういう事だ」


 棒を引っ張り出してみれば、牙が尖った魚が大量に噛みついているではないか。

 こんな量に襲われれば、即骨しか残らなそうな勢いだが……。


 「基本的にコイツ等は匂いや音で寄って来る。あまり騒がず、すぐに陸に出る事が大事だ。それから、こういう地ともなれば恐らく――」


 墓守さんの言葉が終わる前に、更に激しい水音が聞えて来たかと思うと。

 彼はすぐさま棒を手放し、地面に向かってシャベルを突き立てた。

 そして、彼の足元でピクピクしていたのは。


 「わにだ。此方ではあまり見ないかもしれないが、湿地帯には多く見られる。気を付けろ。そしてコイツ等は噛む力が強い、しかし開く力は弱いからこうして口を塞いでやれば良い。まぁ、小物でないとこうもいかんがな」


 いや、あの……十分デカい鰐が足元に居るんですけど。

 鼻っ面をシャベルで突き刺され、手足を必死にバタバタしているんですけど。

 彼の言う“小物じゃない鰐”は、どれくらいのデカさを想定しているのだろうか。

 その後マチェットを取り出し、相手の脳天に突き刺してトドメを刺しているけど。

 いや、湿地帯怖いな!?

 水からあんなデカいのが這い出して来るとか恐怖でしかない。


 「ちなみにシーラだと、こういうの結構居るんですか?」


 「あぁ、腐る程な。あの辺りは海も近い事から、森の中でもぬかるんだ所が多い。場所にもよるが、似たような湿地帯もある」


 「ひえぇ……」


 なんて会話をしてみるが、何だかやけに皆が静かだ。

 ホーク辺りは新しい地に興奮してもおかしくないだろうに。

 そんな事思いながら後ろを振り返ってみれば。


 「何か、棒ってあったか? その辺の木の枝とか……うわぁ、一歩踏み出すのも怖ぇ」


 「僕結構体重あるんだけど、平気? 地面抜けない? もう既に足元沈み始めてるんだけど」


 「ワニ……あんなのが急に水から飛び出して来るんですか……?」


 「お嬢様、落ち着いて下さい。とは言っても、私もこういうのには慣れていないので……」


 もう皆プルプルしている。

 だ、大丈夫かなコレ……。

 もはやこの時点で、このダンジョンは諦めて他に行って方が良い気がするけど。


 「なに、慣れれば問題は無い。練習だと思って進んでみろ」


 そんな言葉と共に、普通に進み始める墓守さん。

 退路、消滅。

 しかしながら他の皆に先頭を任せる訳にもいかなそうなので。


 「ホーク、槍一本貸して……皆が慣れるまでは先頭行くよ」


 「お、おう……けど、平気か?」


 「が、ガンバリマス」


 という事でいつもの陣形は崩壊。

 一応斥候なので、俺が先頭で調べながら進むというのは間違ってはいない。

 だが、墓守さんの後を追う形でほぼ一列に進んで行く状態。

 普段だったら絶対やらない、というかこれじゃまともに戦闘なんて出来ないぞ……。

 いくら目印が前を歩いているからとは言え、安心出来る要素の方が少ないのだ。

 もっと言うなら、彼も三層辺りからあまり戦闘に参加してくれなくなって来ているし。


 「は、墓守さーん……待ってくださーい……」


 「どうした、早く来い。さっき教えた事を忘れなければ、この程度の足場は何でもない」


 この人、結構スパルタかもしれない。

 その後もヨタヨタしながら、俺達は湿地帯を進んでいくのであった。

 ちなみに、皆何度もコケて全身泥だらけになったのは言うまでもない。

 あとミナミさんだけはそこらの木の上を移動していた、何あれズルい。


 ――――


 「ちょぉぉ!? 無理だって!」


 慌てた様子でホークが槍を振るうが、周りの草木に視界を遮られろくに当たらない。

 どうにか鰐にだけは攻撃を当てられているが、水辺から急に襲われたら反撃出来ないかも。

 他の小物に関しては……何だアレ、イタチか何かだろうか?

 あと狸っぽい小動物も急に飛び出してきたりする。

 そういう奴らの攻撃は、もはや喰らってから反撃する状態になっている。

 悪食ドワーフ製黒鎧がなかったら、今頃とんでもない事になっていただろう。


 「ホーク! いったん下がって! それ以上進むと水辺だよ!」


 「うわっ、マジかよ!? 全っ然わかんねぇ!」


 「イースも、追撃しようとしても無理だよ! 逃がしちゃった奴は諦めるしかない! とにかく後衛組を守る事に集中しないと!」


 「わ、分かった! ごめん!」


 駄目だ、パーティがいつも通りに機能していない。

 司令塔の筈のホークは、これじゃヘイトを集められそうにないし。

 むしろこの状況でヘイトを一身に浴びたら、間違いなく重傷を負う。

 いつも冷静な判断をしてくれる筈のイースだって、緊急事態の連続で冷静さを欠いている様に見えるし……どうしたら良いのコレ。

 初めての環境、初めての敵。

 それらの状況に対して、完全に振り回されている。

 後衛組なんてもっと酷い。

 何処から敵が飛び出してくるかも分からない背の高い草むらで、レインさんは怯えっぱなしだし。

 ロザさんも視界を確保出来ないから、無暗やたらにクロスボウを使う訳にもいかない。

 あんな大型の武器を使っているのに、近づいて来てからじゃないと反撃できないのだ。

 あれではもう、ナイフの方が早い。

 ヤバイヤバイヤバイ、これじゃ普通に全滅の危機だ。

 この場には墓守さんとミナミさんが居るから、最悪の事態は回避できるかもしれないけど。

 でも、“もしも”という事だってあるのだ。

 物事に絶対はない、そして当然お目付け役を“アテ”にする事は許されない。

 思わずグッと奥歯を噛みしめた、その時。


 「だぁぁぁクソッ! 訳わかんねぇ! スマン、セイ! 戦闘指揮、完全に頼めるか!?」


 ホークが急にそんな事を叫び始めた。

 いや、え? 俺が指揮とか無理。

 先程までは注意を飛ばす程度で収まっていたのに、完全に任されるってなると……流石にそれは。


 「セイ君お願い! 多分僕等じゃ足場の把握すら出来ないよ! 指示をくれれば、その通り動くから!」


 イースの方も、飛び出して来た狸を殴りつけながら似たような言葉を叫ぶ。

 いや待って、本当に待って?

 俺に戦闘指揮とか無理だって。

 だって皆の命を預かるって事でしょ? 俺の声一つで、誰かが危険に晒されるかもしれないんでしょ?

 そんなの、絶対俺には無理だって。

 二人共知ってるじゃん、俺がビビリなの。

 どこに行っても、俺だけが泣き言洩らしてたじゃん。

 だというのに、何でそんな重要なポジション任せられる訳?

 俺なんかが指揮したら、今よりずっと悪い状況に――


 「セイ! 何処を撃てば良い!? さっきから一番的確に指示を出しているのはお前だ! 頼む!」


 ロザさんまで、険しい顔をしながら叫んで来る。

 だから、駄目だって俺じゃ。

 ホークみたいに自信もって指示なんて出来ないよ。

 そもそも俺の判断が正しいのかなんて、俺自身一番自信がないのだ。

 怖い事も、逃げたくなる事も。

 仲間が居て、ガキ大将みたいなホークの指示があったからこそ無理やりにでも動けたんだ。

 指示通りに動けば何とかなるって、俺のせいで失敗しない様に何とか頑張らなきゃって。

 だというのに、その中心に俺を置くって……絶対無理だよ。

 考えるだけでも胸が苦しくなり、ハッハッと呼吸まで浅くなって来た頃。


 「セイさん! ……どうか、落ち着いて下さい。この状況を一番理解しているのは、きっと貴方です。全ての責任を負う必要なんてありません、貴方だけが責められる訳じゃないんです」


 そんな言葉を投げ掛けながら、レインさんが回復魔術を掛けてくれた。

 何にもしていないのに、治療が必要だと思う程顔色が悪かったのだろうか?

 いや、今は兜を被っているから単純に息遣いかも。

 でもそれくらいに、傍から見て分かるくらいに……俺は“弱い”のだ。


 「駄目だよ……俺じゃ、皆の命を預かるなんてとても。ホークみたいには、出来ない……」


 ヤバイ、意識した瞬間に吐きそうになって来た。

 普段ホークは、こんな緊張感を常に肌で感じながら指示を出しているのか?

 だとしたら、相当ヤバイ。

 本当に同じ人間なのかって程に、神経が図太い。

 というか、俺が弱すぎるのか。

 思わず蹲りそうになるのを必死で耐えながら、グッと膝に力を入れていれば。


 「同じですよ、誰しも。ホークも、私を守ってくれている時震えていました」


 「いや、それは無いでしょ。ホークだし」


 思わずいつも通りに突っ込みを入れてしまったが、レインさんは柔らかい微笑みを溢してから。


 「本当です、近くに居て分かりました。あの人もまた、一つ一つの判断に戸惑いを覚えています。それでも仲間を、あの時は私を。周りを不安にさせない様に、笑って誤魔化すんです」


 そう言ってレインさんは、俺の掌を握ってくれた。

 落ち着けと、そう言っているみたいに。


 「お願いします、セイさん。皆目の前の対処で精一杯です。この状況を理解している貴方が、皆に指示を出すべきです。状況に応じて、代えても良いじゃないですか。この地では、貴方が皆に指示を出しても。なんて、一番役に立っていない私が言うのも変ですが」


 あははっと力無く笑う彼女の掌もまた、震えていた。

 誰しも怖いんだ、未知へ突き進む事は。

 その時の選択を、俺は全てホークに丸投げして来た。

 だって怖いし、俺じゃ絶対失敗するし。

 だからこそ、皆に頼って生きて来た。

 それでも、今だけは。

 皆が皆俺を頼ってくれる、こんな女の子ですら「頑張れ」と言ってくれているんだ。

 だったら、少しくらいは……頑張らないと、男じゃないでしょ。


 「すぅぅぅ……ホーク! イース! 一度固まって! 防御に集中!」


 「あいよっ!」


 「分かった!」


 叫んでみれば、周囲に展開していた二人がすぐさま戻ってくる。

 本当に、俺の言葉を疑いもせず従ってくれる様だ。

 怖い、正直に言えば滅茶苦茶怖い。

 でもこのままウジウジしていて誰かを失う方が、もっと怖い。


 「ちょっと派手な魔法を使うから、二人共接近してくる魔獣に集中! 絶対通さないで!」


 「了解! どれくらいだ!?」


 「後衛二人は無理に動かないで僕の後ろに! セイ君、なるべく早めでお願い!」


 二人の声を聴いて、覚悟を決めた。

 ビビるな、やるんだ。

 ここが未知の領域で、皆が戦い辛いなら。

 “俺達のフィールド”に変えてやれば良い。

 ちょっと反則技だし、色々教えてくれる墓守さんには悪いけど。

 今の最善策は、これしか思いつかなかった。


 「一分……いや、四十秒守って! そしたら思いっきり戦える様になる!」


 「「了解!」」


 その返事と共に詠唱を始め、更には指先で魔法陣を描いた。

 いつもだったらもっと掛かる、でも今日だけは最短で完成させろ。

 そんな事を思いながら詠唱を続ければ、そこら中から魔獣が飛び出してくる。

 恐らく一か所に集まった事で、余計に襲いやすくなったのだろう。

 思わず悲鳴を洩らし、詠唱が止まってしまいそうになるが。


 「やらせるかボケがぁ!」


 ホークの剣槍が、飛び出して来た全てを切り裂いた。


 「こっちだって、させないよ!」


 イースの拳が襲い掛かって来た鰐をぶん殴り、閉じた口を掴んで明後日の方向へと放り投げる。

 あぁもう、滅茶苦茶だ。

 二人共、いつもこんな調子で。

 付いていくのがやっとだった、俺がどれだけヒーヒー言っていたのか理解してほしい。

 そんな事を思いながらも、口元は吊り上がった。

 だって俺は、この二人とパーティを組んでいるのだ。

 凄いって思える友人達と、肩を並べているのだ。

 だったら、少しくらい格好良い所を見せないと。


 「お待たせ……行くよ! 二人とも下がって!」


 「セイっ! ド派手にぶちかませ!」


 「頼んだよ! セイ君!」


 バッと二人が戻ってくると同時に、周囲全てに向かって魔術を行使する。

 俺が使える、最大級の氷魔法。

 それを、辺り一面に遠慮なくぶちかました。


 「水だろうとなんだろうと、地面にしちゃえば関係無いよね? いくよ! “氷界”!」


 宣言と共に、周囲は真っ白い冷気に包まれるのであった。

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