第217話 『ただいま』3


 「もう、いいか?」


 目の前で泣き崩れる魔女に、視線を外しながら声を掛ける。

 “逝った”のだろう。

 先程、この場に呼び戻された猫も。

 それ以外の皆は、満足だったとは言えなくとも“成し遂げた”と感じているらしい。

 さっきの猫の墓以外からは、残滓の様な物は一切感じられない。

 綺麗さっぱり、逝った後なのだろう。

 でもこれだけ残された者から愛されているのだ。

 コレを、“美しい”以外の言葉で表現する術を俺は知らない。

 魔女は彼等の事を覚えていないと言っていた。

 だが相手は、きっと彼女の全てを覚えていた。最期まで。

 辛かっただろう、苦しかっただろう。

 しかし、それ以上に愛していた。

 この魔女を。

 アナベル・クロムウェルという人物を。

 皆、愛していたのだ。

 本人に“おかえり”と言うまで、この地に残り続けた者が居る程に。

 奴隷だ何だ、捨てる継がせると言うのが当たり前のこの世界で。

 ここに居る“家族”は、ただただ皆が想い合っていた。


 「私は、報いる事が出来たのでしょうか? 私だけが幸せになって、まだ生きている……私は、このまま生きていて良いのでしょうか?」


 涙が枯れる程泣き叫んでいた魔女は、乾いた瞳を空に向けていた。

 知らぬままでいれば、傷付かずに済んだのかもしれない。

 曖昧のままの方が、幸せな事もある。

 故人の言葉なんて、本来聞くべきではないのだ。

 そんな事、一番俺が分かっていた筈なのだが。

 でも、少しだけ腹が立った。

 さっきまで全力で“愛している”を伝えてくれた家族が、目の前に“逝った”ばかりだというのに。

 未だそんな事を言うのか、貴様は。


 「お前は、何も感じなかったのか?」


 「え?」


 視線を下ろした彼女は、酷い顔をしている。

 泣き腫らした様な、どうしたら良いのか分からないと言っている様な顔。

 今のお前に、そんな顔をする事は許されない。

 少なくとも、今この場では。


 「笑え、魔女。あの猫は、それを望んでいた」


 それだけ言って、彼女に白い紫陽花を投げつけた。

 魔女は慌てて受け取り、その花に視線を向けていた。


 「お前は、“アナベル”だろうが。故人はお前なら大丈夫だと言って“逝った”んだ。なら、答えてやれ。いつまでも情けない姿を見せるな」


 「えっと……」


 釈然としない様子で、魔女は白い花を見つめていた。

 涙は止まった様だが、それでも不思議そうに白い紫陽花を見つめている。

 なら、教えてやろう。

 俺には、知識“だけ”ならあるからな。


 「その紫陽花、何色に見える?」


 「白い、紫陽花です」


 「そうだ、だが“アナベル”は緑の花と言われているんだ。咲き始めは薄い緑、時間を掛け白く変わって行く花。先程の猫の瞳、綺麗なアサギ色だったな。お前の名前は、あの猫と同じ色を持っている」


 そう言いながら、シャベルを担いだ。

 花言葉というのは、本当に不思議だ。

 知識でしか知らないし、どこから言い伝えられたのかも分からないが。

 それでも、言い得て妙だと考えされられるモノが多い。


 「”アナベル“の花言葉は、“ひたむきな愛”と“辛抱強い愛情”だ。アンタは長い間想い続けた。そして今この時まで、何も覚えておらずとも彼等を弔い続けた。それは、十分に相手に伝わったんじゃないか? アンタは、アナベルの名に相応しい女性だ」


 呟いてみれば、彼女は唇を噛みしめながら涙を溜めた。


 「私は、ちゃんと愛せていたのでしょうか? ちゃんと彼等を見送る為に、我慢出来ていたのでしょうか?」


 「逆だ、馬鹿者め。彼等はお前に我慢など求めていない。辛抱強いとは、全ての感情を抑える事ではない。言っていたじゃないか、“傍にいる”と。それは、一人で抱え込むなと言う事では無いのか?」


 人は、弱いモノだ。

 誰かが死ねば、悲しむ人が居る。

 責任を感じる人も居る。

 でも、死んだモノは戻って来ないのだ。

 だから、悲しんでやれば良い。

 その痛みを、苦しみを。

 自身だけで背負う必要など、責任など。

 誰にも無いのだ。


 「お前は、ひたむきに愛せば良い。辛抱強い愛情、それは我慢しろと言う事じゃない。誰かの苦しみを背負えと言っている訳じゃないんだ。大事な相手を、いつまでも大切に想ってやれば良い。償いも後悔も必要無い。記憶が無かったとしても、ただ大切だったと覚えておいてやる。それがお前に出来ることで、故人もそれを望んでいる。ならそれで良いと、俺は思う」


 柄にもなくベラベラと喋ってしまった訳だが、果たして伝わっただろうか。

 とは言っても、これだって俺の感想に過ぎない。

 もしかしたらもっと良い形があるのかもしれない。

 魔女が求めているのは、また違う答えなのかもしれない。

 でも、彼女は。


 「ありがとうございます、墓守さん。少しだけ、楽になりました。それに……ちゃんと“ただいま”って言ってあげられました」


 再び、微笑むのであった。

 シーラで会った時や、ここに来るまでは随分と落ち着いた雰囲気だったというのに。

 今では少し、子供の様な顔で笑っていた。


 「“墓守”を名乗っている以上、これも俺の仕事だからな」


 フードを被り直し、改めて墓石の前に花を手向けていく。

 故人と現世を繋ぎ、時に解放してやる。

 もう、随分と続けている仕事。


 「では、報酬を支払わなければいけませんね」


 落ち着きを取り戻した魔女は、目元を擦りながら俺と共に花を供え始める。

 今まで静かにしていたルーもそれに続き、終わる頃にはいくつも並ぶ墓石の周りは様々な色に溢れていた。

 随分と賑やかな墓場になってしまったが、まぁ良いだろう。

 それだけ慕われた者達が眠っている場所なのだから。


 「ならば、悪食の飯を頼む。以前食べた唐揚げ、アレは旨かった」


 「フフッ、了解しました。ミナミさんに頼んでみますね」


 「墓守、最近の興味は食べ物ばっかり」


 緩い会話を繰り広げながら、俺達はその場を後にした。

 静かに揺れる花々と、随分と立派なリンゴの木。

 そして、咲き誇るアナベルの花に見送られながら。

 いつか俺も墓に眠る時には、こういう穏やかな場所で眠りたいものだ。

 そんな事を考えながら、“悪食”のホームへと足を向けるのであった。


 ――――


 「ふぅ……賑やかだな、ここは」


 こちらの国に立ち寄ったからという理由で挨拶に来た、それだけだというのに。

 まるでパーティーの様な雰囲気に包まれ、出てくる料理はどれも豪華。

 というより、とにかく量が多いと言った方が良いのだろうか?

 誰も彼も食って飲んで、思い切り笑いながら宴の様な時間を過ごした。

 今ではユーゴが王族の相手をしながら、他のパーティメンバーも悪食と交流している事だろう。

 しかしながら“墓守”なんて呼ばれる俺には、少々明るすぎた。

 きっと彼らは皆、日の当たる場所を歩く人々なのだろう。

 俺だって最近は、ユーゴと一緒に様々な場所を移動しているから慣れている気がした。

 だというのに、ここに居る人間は妙に距離が近いのだ。

 やれ旨い物を進めて来たり、やれ試合を申し込んで来たりと。

 もはや宴の間に、何度模擬戦を繰り返したか分からない。

 とくにあの……ノインとエルと呼ばれている二人は強かった。

 ユーゴと一緒に二対二で戦ったというのに、危うく負ける所だった……。

 というか、ここの連中が使う武器は癖と特徴が強すぎる。

 考えたのはきっと天才か、変態のどちらかだろう。

 なんて事を思いながら、貰って来た酒瓶を傾けていれば。


 『なぁなぁ、まだ見える? 初めまして?』


 「……まだ居たのか? お前とは先程も会ったからな、初めましてではない。俺は墓守と呼ばれている、よろしくな」


 『はかもりって、何?』


 「お墓を守る人の事だ」


 『大変だなー』


 えらく気の抜けた言葉を紡ぎながら、一匹の猫が足元に寄って来た。

 しかしその体は半透明。

 間違いなく、昼間俺が呼び戻した霊体だろう。


 「アサギ、だったか?」


 『そうだぞ! アサギはアサギって言うんだ!』


 前脚を頭の上に掲げ、身体を大きく見せようとする短足の猫が居た。

 これはもしかして、威嚇しているのだろうか?

 レベッカかルーに見られたら、即刻お持ち帰りされてしまいそうだが。


 「それで、どうしたアサギ。“逝った”のでは無かったのか?」


 そう問いかけてみれば猫は静かに前脚を降ろし、しょんぼりと項垂れてしまった。

 何かあったのだろうか?


 『アサギも、ちゃんと皆の所行けると思った。でも、駄目だった。アオイが泣いてたから、傍に居なきゃって……』


 「お前を憂いて泣いただけだ。悲しいのかもしれないが、辛い涙じゃない」


 『良く分かんないけど……アサギは、アオイが泣いてたら、嫌だな……』


 「そうか」


 随分と、好かれていたのだな……あの魔女は。

 死は別れではあるが、想いがあれば繋がるものだ。

 プッツリと切れてしまう糸とは違う。

 見えない物で絡まり、紡ぎ合い、そして今に繋がっている。

 この猫はきっと難しい事など考えず、とにかくあの魔女に悲しい顔をさせたくないのであろう。

 それが心残りで、“こちら側”に残ってしまっている。

 思わず酒瓶に残った酒を一気に呷り、プハッと息を溢してから。


 「アサギ、率直に聞こう。お前も素直に答えろ」


 『あい』


 何故か後ろの二本脚で立ち上がった短足猫が姿勢を正し、俺の事をジッと見つめて来る。

 非常に妙な体勢で気になる上、落ち着かないんだが……まぁ良いか。


 「またアナベル……いや、お前にとっては“アオイ”か。彼女に触れたいか?」


 『うい! アサギはな、いっつもアオイと一緒に寝てたんだぞ? あったかいって、そう言ってくれた』


 「次の質問だ。例えそれが普通では喜ばれない方法だったとしても、お前は“アオイ”の元に戻りたいか? 周りから気味が悪いと罵られたり、国にバレると魔女に罰が与えられるかもしれない」


 『それは駄目! でもっ……アサギは隠れるの得意だからな。他の人に見つからなければ、アオイの所に戻っても良い?』


 恐らく俺の質問の意図をほとんど理解していない猫が、前脚をワチャワチャと動かしながら言葉を紡いでくる。

 なんだろうな、本当にぬいぐるみでも見ている様な気分だ。


 「では最後に、俺の国には“錬金術師”という者が居る」


 『れんきんじゅーしって、何だ?』


 「珍しい物も作れる人だ」


 『凄いな! アオイみたいだ!』


 全く理解していないであろう猫は、二本脚のままピョンピョンと飛び跳ねている。

 器用だな……本当に猫かコイツは?


 「彼らならもしかしたら……人造的な肉体が作れるかもしれない。そこまで行かなくても、魔導人形ドールを改造してお前の形に近づけたり、とかな?」


 『えーと、良く分かんないけど分かった!』


 「絶対分かってないな?」


 足元に居る猫を覗き込んでみれば、アサギはポカンとした顔で俺の事を見上げて来た。

 なるほどな。

 動物を可愛いだなんだと思った事はあまり無いが、確かにこれ程まで人に警戒心を持たない相手ならそういう感情も生まれるのかもしれない。

 という訳で。


 「例え偽物の体でも、しっかりと“こちら側”にお前の体があれば……俺が降ろしてやれるかもしれない」


 『良くわかんないな?』


 「俺は死霊術師ネクロマンサーであり、俺の国はお前の体を作れる錬金術師が居るかもしれない。つまり、ちゃんとした生き物ではないが……もう一度この地に戻って来られるかもしれないという事だ」


 『ほんとにっ!?』


 俺の一言に興奮した様子で、猫が膝の上に飛び乗って来た。

 いつもだったら、こんな事を提案したりはしないだろう。

 俺にとっての死者は、“天に帰る”までの間力を借りるだけの存在だ。

 ソレを必要以上に留まらせておくなんて、正直冒涜に他ならないと思っている。

 だがしかし、この子の場合は。


 「そこまでして、あの魔女の近くに居たいか?」


 『アオイの近くには、アサギが必要だからな! ちょっとでも寒いと、すぐ抱っこするんだぞ!』


 自信満々に、そんな事を言い放つのだ。

 恐らく、思考が幼い。

 それもあるが、どこまでも想いが強いのだろう。

 この手の類は、悪い感情なら怨霊化する事が多いのだが……。


 「お前なら、大丈夫そうだな」


 そう言いながら、アサギの前に指を立てて見せた。


 「いくつか約束しろ、アサギ。これが守れるなら、お前の体を作るという実験をしてやる。だが確実に成功する保証はない、それでも良いか?」


 『あい!』


 無駄に元気な返事を返す猫に、思わず頬を緩めてから。


 「まず一つ。お前はもう死んでいる存在だ、いつまでも魔女に囚われ続けても良い結果にはならない。だから、いつか満足した時は。もしくは相手や周りの迷惑になると判断した時には必ず“天に旅立つ”事、これは絶対条件だ。後の契約にもつけるが、これが約束出来ないのなら、身体が出来てもお前の魂を俺が降ろさない」


 『んーと……迷惑かけない、皆から嫌だなって思われたらちゃんと居なくなる! で、良い?』


 「そうだ、お前と言う存在はそれくらいに危険な扱いになる。よく覚えておけ? 哀しくても、辛くても。周りがお前の事を怖いと思い始めたら、苦しむのは魔女だ。それでも、蘇りたいか? 例え、ちゃんとした命ではなくとも」


 『良く分かんないけど……アオイが寂しそうなんだもん。だから、一緒に居たいなって……でもアオイが困るなら、ちゃんと帰る。でもその前に、もう一回撫でて欲しいなって……』


 やはり、難しい言葉は理解出来ないらしく。

 怒られた子供の様にしょんぼりと視線を下げる猫の亡霊。

 しかしながら、一度は“逝こう”としたのだ。

 それに今の話でも、あの魔女に迷惑が掛かるのなら“天に帰る”覚悟はある様に思える。

 ならば。


 「これは俺の魔術の研究の一環でもあり、実験だ。もし失敗したり、都合が悪ければお前を無理やり天に帰す事になるかもしれない。しかし、上手く行けば……お前はもう一度飼い主と触れ合えるかもしれない。だから……俺と共に来るか? 時間は掛かるかもしれないが、もう一度身体を手に入れる為に」


 『行くっ! しばらくアオイとはお別れになるかもしれないけど、もっかいギュッてしてくれるなら行く! アオイは長生きだからな!』


 「ハハッ、確かに。それは間違いない」


 そんな訳で、俺は一匹の猫を自国に連れて帰る事になった。

 とは言っても、既に死んでいるが。

 しかしながら、ここまで温かい感情で残っている幽霊を俺は見た事がない。

 誰かを想い、慈しみ。

 心配という感情の温かい部分だけを持ち合わせたような、この小動物に。

 俺はある種の興味を覚えてしまった。

 コイツとあの魔女なら、大丈夫だと。

 例え理を捻じ曲げても、再会させてやる価値があるのではないかと思ってしまったのだ


 「それではよろしく頼む、アサギ。一度俺達の国へ行こう」


 『うい! えっと……墓りも!』


 「墓守だ、器用な間違え方するな」


 『はかもり! 覚えた!』


 「本当か?」


 『は、はか……り』


 「うん?」


 『墓守!』


 「それで良い」


 そんな訳で、本日。

 妙な仲間が、俺の下へと加わった。

 亡霊であり、喋る猫。

 本当に何なんだこいつは言いたい所ではあるが。


 「魔女様の飼い猫を、試しに復活させてみるとするか」


 『すげー』


 「お前の事だぞ」


 足もとをウロチョロする猫の幽霊に対して軽口を叩きながら、俺は悪食のホーム内へと戻って行くのであった。



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