第216話 『ただいま』2


 目的地は、小物屋の裏庭だった。

 営業はしていないらしいが、何でも国が管理している地になっているとの事で、今の王様に変わるまで自由に立ち入れなかったんだとか。

 踏み入れてみれば、良く手入れされていると印象が残る。

 建物は古いが快適に住めそうな見た目をしているし、庭にも雑草の類は少ない。

 大切にされている土地の様だ。

 裏庭に回る際など、美しく咲き誇る白い紫陽花が咲き乱れていた程。

 魔力か何かの影響か? この時期に紫陽花など、早々育たないだろうに。

 そんな事を考えなら、“その場所”にたどり着いてみれば。


 「見事だな……」


 「大きい、リンゴの木」


 そこには、巨大とも言えるリンゴの木が生えていた。

 この植物は、ここまで大きくなるものなのか?

 なんて疑問を抱いてしまう程に、数多くの実を生やした大樹が。

 そして、根元にはいくつもの墓標。


 「ココが、私の昔の“家族”のお墓……だと思う場所です」


 「だと思う、とは?」


 どういうことだろう?

 先程から随分と情報が曖昧な気がするのだが。


 「私、“魔女”になる前の記憶がないんです。コレを話すのは、貴方達で二度目ですけど。全然覚えていないんです、思い出そうとしても……靄が掛かったみたいに。でも、私はココで目覚めました。その時はもう魔女で、自分が何かさえ分からなくて」


 ポツリポツリと呟く彼女は、墓石の前に花を手向けていく。

 慈しむかのように、優しい笑顔を浮かべながら。


 「でも私が目覚めた後、とある方から皆の手紙を頂きました。それをこの場で読んだ時、間違いなく過去の私はこの人達と家族だったんだと実感できました。変ですよね、何にも覚えていないのに。それでも、涙が溢れたんです。皆との記憶が駆け巡ったんです。顔は思い出せないのに、皆が私に笑いかけてくれた懐かしさだけは胸に刻まれていたんです」


 謳う様に呟く彼女の言葉は、もはや俺達に向けられているとは思えなかった。

 まるで自らが確かめる為に言葉を紡いでいる、言葉にする事でソレが事実であったと自らに言い聞かせる。

 そんな印象を受ける。

 とても、弱々しい……とは違うな。

 まるで縋る様に、忘れてしまったという記憶を手繰り寄せるかの様に。

 絶望感に満ちている訳ではない。

 今は、悪食と共に生きる姿は幸せそうだった。

 だからこそ今の幸せに塗れて、過去の家族を忘れてしまわない為に。

 どこか、必死になっていると感じられた。

 何となく、分かる気がした。

 俺は忘れた訳では無いが、過去を消し去りたいと思った事はない。

 辛い事もあったし、良い事もあった。

 そういった欠片さえ、忘れてしまった彼女は取り戻したいのだ。

 過去を振り返りたいとまでは言わなくとも、完全に忘れてしまわない様に。

 記憶を共有できる人物が、この世にいないからこそ。


 「俺の魔術も、ここ数年でだいぶ伸びた。使役などせず霊を呼び出す事も出来る。だがその前に確認する事と、一つやる事がある」


 「なんでしょう?」


 「“逝って”しまった相手とは、言葉を交わす事は出来ない。満足して、この世から去ったという事に他ならない。その事態になっても、アンタは喜んでやれるか? コレは悪い事じゃない。未練を残さず、しっかりと“逝けた”って事なんだからな」


 ネクロマンサーの俺が言って良いのか分からないが、本来なら喜ばしい事態なのだ。

 一般的な言い方をすれば、しっかりとその魂は“天に帰った”。

 これを喜んでやれないのなら、俺はココに眠る人々と干渉するつもりはない。

 ただの自己満足で、死者を呼び戻すべきではない。

 長年“死”というモノの近くに滞在したからこそ、俺はその結論を出した。

 生物は生き、そして死ぬ。

 そして稀に、どうしても死にきれない奴が居る。

 そういった奴にだけ俺は力を貸して、力を借りる。

 俺が使う術式は、故人を侮辱しない。


 「確認する事は分かりました。もう一つの条件とは、なんですか?」


 魔女は静かに声を上げるが、答えを貰っていない。


 「答えろ、魔女。お前は、その上でも死んだ仲間を呼び戻したいと思うか?」


 こればかりは、答えて貰わないと困る。

 こちらも真剣な眼差しを返してみれば……彼女は今まで以上に表情を緩めたのであった。


 「皆がしっかりと“逝ってくれた”のであれば、心残りはありませんよ。私がいくら悲しもうと、ここにはお墓があるだけ。それならちゃんと諦められます。でもまだ誰かが残っているのなら……大丈夫って、言ってあげたいんです」


 寂しそうに微笑み、墓標を眺める魔女様。

 なるほど、問題は無さそうだ。


 「では、もう一つだ。ここに来る途中で咲いていた花、白い紫陽花。アレも手向けろ、そしてお前も持て。必ず、意味がある筈だ」


 それだけ言ってマジックバッグから銀色のシャベルを取り出し、地面に突き刺した。


 「さぁ、もしも残っているのなら御対面と行こうか。言いたい事は、俺が立ち会っている間にぶちまけろ」


 ニッと口元を吊り上げ、全力で魔術を発動させるのであった。


 ――――


 『アオイ?』


 墓守と呼ばれる彼が魔術を使った瞬間、随分と幼い声が聞えて来た。

 視線を向けてみれば、墓石の前に座っている猫が私の事を見つめている。

 はて、どこからか迷い込んだのだろうか?

 さっきまでは居なかった気がするのだが。

 白黒のハチワレで、随分と手が短い癖に毛が長い。

 街中で見かけたら思わず連れ帰ってしまいたくなる程、可愛らしい見た目の猫が私の事を見上げていた。


 『アオイ!』


 その猫は、はっきりと言葉を紡いだ。

 猫が喋ったのだ。

 いやいやいやあり得ないだろう、そんな風に思ってしまうのだが。

 何故か、両目からは涙が零れた。

 懐かしい気持ちと、キュッと胸を締め付ける罪悪感が、この身を支配した。

 更には。


 「ア、アサ……ギ?」


 『ん! アサギ、待ってた! 一番に“おかえり”って言うって、決めてたからな!』


 全然覚えていない。

 この子の事も、皆の事も。

 でも、何故かこの子の姿を見た瞬間思い浮かんだのだ。

 “浅葱”

 可愛らしい見た目、美しいその瞳を見た瞬間。

 思わず口から零れた。

 アサギという名前が。


 『皆はなー、もう逝っちゃった。ここに居ても、アオイを困らせるだけだって言って』


 ちょっとだけしょんぼりとしながら、猫は皆の墓石の周りをウロウロと歩いていく。


 『でも、アサギは絶対最初に“おかえり”って言うって決めてたからな! 約束守った! あれ、アサギちゃんと言ったっけ? “おかえり”! アオイ! これで言った!』


 何やら嬉しそうに、その猫はピョンピョンと跳ねまわっていた。

 “アオイ”という聞いた事の無い名前を連呼しながら、この子は私に向かって嬉しそうな様子を見せる。

 何処までも安心した様な、柔らかい雰囲気で。


 「“ただいま”、アサギ。でも私は……アナベルだよ? アサギ」


 もしかしたら人違いなんじゃ。

 ちょっとだけ気になって一応声に出してみれば、アサギはハッとした様子で短い脚で顔を隠し始めた。


 『気のせい! アサギ、さっきから“アナベル”って言ってた! 皆からアオイをアオイって呼んじゃいけないって言われたから、ちゃんと“アナベル”って言ってたもん!』


 まるで子供の言い訳の様な事を叫びながら、アサギはその場で丸くなってしまった。

 その姿に、思わず手を伸ばした。

 柔らかくて、モフモフで。

 そしていつでも温かくて。

 懐かしいとも思える記憶が蘇ってくる中、私の指は浅葱の体を通り抜けた。

 この子は霊体だ。

 墓守さんが呼び出してくれているからこそ、この場に出現しているだけ。


 「ぅ、うぐっ。あ、あさぎぃ……」


 『どうした、アオイ! 平気、アサギここに居る! だから平気!』


 何故か、嗚咽が漏れた。

 全然覚えていない筈なのに、昔の記憶なんて存在しない筈なのに。

 それでも、身体が覚えているのだ。

 この子の柔らかさや、温かさを。

 今では触れられないが、心には残っているのだ。

 フサフサとした毛並みも、ご飯の度にすり寄って来た感触も。

 とても近くに居た。

 私が一緒に居て、守ってあげると約束した。

 そんな気がするのに。

 全部守れなくて、この子を一人にしてしまった気がして。

 アサギの声を聴く度、アサギの姿を見る度。

 両目からは涙が溢れ出した。


 「ごめん、ごめんねぇ……アサギ。私、一緒にいられなかった……約束守れなかった」


 触る事は出来なくとも、蹲る様にしてアサギの事を抱きしめた。

 一緒に居るって、約束した気がするのだ。

 この子を守るのだと、決意した気がするのだ。

 だというのに成し遂げた記憶も無ければ、実感も湧いてこない。

 つまり私は、途中で投げ出してしまったのだろう。

 どんな事態だったのかは思い出せないが。

 こんな子を置いて、自分勝手に生きてしまったのだろう。

 それがたまらなく申し訳なくて、悲しかった。


 『大丈夫だよ、アオイの傍に居るから。アサギはアオイの家族だからな、ずっと側に居た。アサギが側に居ると暖かいって、いつも言ってた。だから、側に居た。皆居なくなっちゃったけど、アサギは待ってた』


 感触はなくとも、アサギが私にすり寄ってくれているのが分かった。

 嬉しくて、暖かくて。

 感じられない筈の感触を肌に感じた気がして、今まで以上に涙が零れた。


 『でも、アオイはもう幸せ見つけた』


 「え?」


 思わず顔を上げ、抱きしめていたその子に視線を向けてみれば。

 そこには、笑顔の猫が居た。

 猫ってこんな風に笑うんだ、なんて思ってしまう程に。

 柔らかい笑みを浮かべたアサギが座っていた。


 『いつも、ここにくる度に言ってた。私は幸せだって、だからもう平気』


 「ち、違うんだよ。君達がもう必要ないとか、そうい意味で言っていたんじゃなくて、その……とにかく違うの!」


 必死で言葉を紡いだ。

 なんだが、新しい幸せを見つけたから昔の幸せを捨ててしまう様で。

 それは、とても申し訳ない事に思えて。

 とにかく言葉を紡ごうと、慌てふためいていたのだが。


 『良かった』


 「え?」


 その猫は、アサギは。

 幸せそうに笑うのだ。


 『アオイがアナベルになっても、絶対へーきだって皆言ってた。でも、心配だった。アオイは、あんまり友達作るの上手くないって自分で言ってたから』


 「そ、それは否定しませんけど……」


 もにょもにょと呟いてみてから、視線を逸らしていれば。


 『だから、安心した』


 それだけ言って、柔らかい笑みを浮かべていたアサギは。

 座りこんだ私の膝の上に飛び乗って来た。

 あぁ、随分大きくなったな。

 覚えていない筈なのに、そんな感想を抱いてしまった。


 『もう、平気。アオイは、アナベルはもう平気。ちゃんと幸せだって分かった。アサギも“おかえり”って言えた。だから、満足』


 そう言って、アサギの体が徐々に透け始めた。

 待って、お願いだから待って。

 私は何も思い出して無い。

 あなたとの記憶すら、全然思い出せていないのに。


 「アサギ、待って。お願いだから……もう少しだけ、もう少しだけで良いから……過去に触れさせて」


 情けなくも両目から涙を溢し、膝の上に乗ったアサギを抱きかかえた。


 『アオイが言ってた。コーカイする暇があるなら、未来を見ろって。皆が言ってた、アオイは大丈夫だって。アナベルの未来は、きっと幸せだって。アサギは、幸せそうなアオイをちゃんと見た。だから皆にも伝えて来るね。ヘーキだったって、ちゃんと言うからな』


 「アサギ、お願いだから……お願いだからもう少しだけ待って……」


 『もう、いっぱい待った。それから、ちゃんと“おかえり”が言えて、“ただいま”って言って貰えた。アサギは、満足。へへへ、一番に“おかえり”が言えた。偉い?』


 その言葉を最後に、アサギは膝の上から消えて行った。

 霊体には無い筈の、重さと温もりを残して。

 思い出した感触に、その残滓に。

 今まで以上に涙が零れた。

 ボロボロと涙を溢しながら、思わず叫んだ。


 「ただいま、ただいま皆! まだ思い出せないけど、それでもちゃんと帰って来た。ちゃんと今も生きてる! 私はちゃんと幸せだよ!? だから、だから……」


 皆の墓石に向けて手を伸ばし、涙を溢しながら掌を向けた。

 あぁ、まるで。

 最初にこの場所に訪れた時の様だ。


 「ごめんね、ありがとう……私は、幸せだよ。ちゃんと生きてるよ……」


 かつての家族に向かって、私は言葉を紡ぐのであった。

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