第213話 クーア 3
それからというもの、皆彼らの作った料理をがっついていた。
本来なら素性も知らない、というかこんな見た目の相手からの施しなんて警戒以外の何者でも無かったが。
とにかく、美味しそうだったのだ。
ふわりと香る優しい匂いは口内に涎を溢れさせ、いつだって満腹になる事は無かったお腹はグゥグゥと情けない音を洩らした。
「熱いから気を付けろよ?」
「ハイみんな、フーフーして食べてねぇ~?」
「全員ちゃんと水分取ってるかぁ? ホラホラ、いくらでもあるから慌てて飲むなよ?」
三者三様に、緩い雰囲気で食料を配っているのだ。
善意の炊き出しなどを行う者は確かに存在する。
しかしながら、やはりそこにいるのは何かしら裏を持った“善人”達だったのだ。
誰しも何か企みがあり、者によっては後から何か請求してきたりする輩も居る程なので完全に安心など出来ない。
だとしても、だ。
彼らの雰囲気は何というか……父、という他ないのだろう。
今ではもはや懐かしい記憶になってしまったが、私の父も何かしら買い与えてくれる時などは、あんな風に柔らかく笑っていたものだ。
「食べないのかい、クーア」
いつの間にか隣に歩み寄って来たマリアが、微笑みながらそんな言葉を洩らすが。
「食べます。これを食べないと、明日が生きられそうにないので」
「相変わらず、警戒してるねぇ」
「そう教えたのは貴女です、シスターマリア」
それだけ言えば、彼女はカッカッカと昔の様に笑みを浮かべてから。
「そうだったね。でも、同時に信じる事も教えるべきだった。相手を見る目って意味では、アンタもまだまだだね」
何てことをいいながら雑炊を啜り、ホッと温かそうな息を吐き出すのであった。
彼女の姿を見たから、という訳ではないが。
そろそろお腹の虫が限界に達してしまい、私も私で木製のスプーンを手に取ってから小さく掬ったソレを口に運んだ。
匂いからは不快な感じはしないし、刺激臭もしない。
毒やとんでもない物を入れられている訳ではない筈……なんて思っていたのだが。
「柔らかい……」
思わず、そう口に出してしまった。
雑炊なのだから当たり前だと言われてしまいそうだが、そう言う事じゃないんだ。
しっかりと汁の味を吸った米、そして多くの種類が入っている野菜の数々。
随分と急いだのか、大雑把に切られているソレだったが……何かを食べてこんなにも“味”を感じたのはいつ以来だっただろうか?
普段食べている硬いパンと、少しだけ塩味が付いたスープとは全然違う。
それこそ、まだお金があった頃の実家で教わったお菓子作り。
初めて成功した時の、美味しいお菓子を口に運んだ時の感動に似ている。
あぁ、本来はこんなにも美味しいものだったのかと。
食事とはこんなにも満たしてくれる物だったのかと、改めて思い出させてくれた気分だ。
噛めばホロホロと解れていく米や野菜。
じんわりと広がる優しい味と、調味料の確かな味わいは舌先を満足させ、野菜の甘みが口の中に広がって行く。
一気に食べてしまえば火傷しそうな程なのに、必死で息を吹きかけながらハフハフと口に運んでいる子供達の気持ちも分かる。
食べ物から“美味しい”を探すのではなく、食べていればずっと“美味しい”が続く。
食事とは、生きる為に必要な栄養摂取。
でも食べると言う行為は、動物の本能そのもの。
だからこそ、人は食に貪欲になれる。
その欲望を、もしかしたらこの子達は初めて知ったのかもしれない。
何てことを思いながら、私も必死で匙を動かしていれば。
「雑炊第二弾! 腹が落ち着いた奴から食いに来ーい! 今回は鶏肉も入ってるからなぁ、コクがあるぞぉー?」
ワハハハと言わんばかりに、黒鎧のリーダーらしき人が豪快に声を上げてみれば、子供達はすぐさま彼の元へ集まって行く。
その隣では一番大きな人が皆の器を受け取っては盛り付け、再び配って行く。
本当に遠慮などいらないとでも言うかのような雰囲気で、子供達に大盛りの食事を配膳しているのだ。
更には。
「お前ら何度でも言うけど、ちゃんと水分取れよ? あとホラ、こっちも出来てるぜ? はちみつ入りカボチャスープ! 雑炊食い終わった奴から並べ並べぇい。一緒に食うなよ? 多分口の中バグるぞ」
先程マリアに水筒を渡していた人が、大鍋で何かをずっと煮込んでいると思ったが。
周囲には随分と甘い匂いが漂っており、昔好きだったお菓子の香りを思い出す様だ。
そちらも完成したと聞いて、子供達は焦った様におかわりの雑炊を口に運び始めた。
そこら中から「あちっあちっ!」なんて声が聞えて来て、彼等は笑いながら冷たい水筒を差し出している。
本当にいくらでも食べて良いんだ、そんな風に思ってしまう光景が広がっていた。
でもやはり、警戒する人間は必要なのだろう。
善意だけで、全ての人を救う人間など居る訳がない。
しかも私たちの様な、何の金銭的価値も無い者達など余計に。
綺麗な水一つだって買えばお金が掛かるし、魔術や薬草の類で浄化しているとなれば、そこには少なからず金銭が掛かっているのだ。
彼等の姿からして、後者な気がするが……自らが森の奥深くまで踏み込みそういう薬草を集めて来た、というのならそこには労力が伴う。
無償ではないのだ、だからこそ何かを求められる可能性の方が高い。
「あの、先程の話ですが」
「ん、あぁーえっと、助けはいるか? って話かな?」
黒鎧のリーダーらしき人に声を掛けてみれば、相変わらず緩い調子で声を上げてから私の器を受け取っておかわりを盛ってくれた。
なんだか、ちゃっかり私まで二杯目を頂いてしまった。
「助けて、くれるのですか?」
「絶対に、とは言わんさ。だが“そう言う活動”を始めた仲間が居るんでね、一緒に生きる事は出来る。持ちつ持たれつってヤツだな、俺達はそういう集団だ」
やはり、何かを求めてはいる様だ。
しかし今の所それが何なのか全く分からない。
「対価を求められても、何も差し出すモノがありません。私たちに何を求めているんですか?」
もはや確信を突いてしまった方が、もしかしたら相手も答えてくれるのかもしれない。
そんな事を考えて、率直な言葉を洩らしてしまった訳だが。
彼はまたしても笑いながら言葉を紡いだ。
「さてね、俺等にも分からん。ただただ新しい事を始めて、今は我武者羅な感じだよ、“アイツ”は。手を伸ばせる範囲は、手を伸ばそうってだけさ。もちろん誰だって助ける訳でも無ければ、手の届く範囲には限界がある。だから俺等も手を貸してる、最終的な所は頭の良いヤツに任せてんだ。よって、俺等はこれくらいしか出来ねぇ」
なんというか、非常にはぐらかされた気分だった。
頭の回る者程、手札を見せてくれない。
これはその代表例という事なのだろうか。
自らを落すような発言をしているが、結局は目的の片鱗さえ見せてくれない。
「……そうですか」
これでは、判断材料にもなりはしない。
本日は御馳走さまでしたと挨拶して、やはりここはお帰り頂くのが正常な判断であるのが間違いないだろう。
このまま彼らの好意に飛びつく行為。
それは不確定要素を残したまま、欲まみれの相手に全てを差し出す事例と何の違いがあるのか分からない。
結局いつもの様な“報酬”を求められれば、私はシスターマリアからの教えに反する事になる。
私が体を差し出すような事があるとすれば、それは今後マリアや子供達が一生困らず生活できる報酬があると確信してから。
私が欲しいのは確かな信頼が出来る保障と、今後の生活に困らない資金……もとい環境なのだ。
だからこそ、断ろう。
喉から手が伸びそうな話だったとしても、その手の話には裏があるのだから。
そんな気持ちで、次の言葉を紡ごうとしたその瞬間。
「お待たせしました、リーダー。南さんから状況を聞いて、医師の方々も連れて来ましたよ」
「おう、待ってたぜ中島。いろいろと説明してやってくれい~、俺にゃ無理無理。あ、飯食う?」
「諸々終わった後、頂きます」
良く分からないが、黒い人が増えた。
とても高価そうな装いの、キリッとした男性。
その新しいメンバーも、柔らかい微笑みを浮かべながら私たちに歩み寄り。
「初めまして、シスター。私はクラン“悪食”の中島と申します。今では食べる物、住む環境に困っている子供達を集め、保護と教育を目的とした“孤児院”の院長を務めております。以後、お見知りおきを」
「は、はぁ……えっと?」
「急にこんな事を言われても信じられないのは存じております。食事が終わってからで構いませんので、こちらの資料に目を通して頂けますか? 目的、概念、利益関係のやりくり、皆が過ごす環境などが書かれておりますので。勿論見学に来て頂いても問題ありませんから、答えを急がなくて大丈夫ですよ? なにせ、人生が掛かっている事ですから」
渡された書類は随分と分厚く、そして丁寧に図解なども描かれていた。
一目見ただけでも分かる、これはとてもお金の掛かった資料だ。
食事しながら片手間に読んで良い物では無い。
汚してしまったら、それこそいくら払わされるか分かった物じゃない。
「おい中島、細かいのは後だ後。皆飯食ってんだから、今渡されても困るだろ」
「あぁ、確かに。これは失礼いたしました。では食後にもう一度改めてご説明させて頂きますね?」
一見緩い雰囲気のリーダーに、かなり“出来る”という雰囲気の参謀。
これは……非常に不味い事態に発展してしまった気がするのだが。
思わず唾を呑み込み、冷や汗を流し始めた私だったが。
今になって思い返してみれば、本当に的外れな警戒心を抱いていたと思い知らされるのであった。
それこそ、キタヤマさんに色仕掛けしようとしていた経緯とかは、全力で忘れて欲しい程度に。
――――
「最初はあんなにも警戒しっぱなしだった小娘シスターが、今じゃ緩い顔浮かべて皆のお菓子作ってるんだもの。しかもこんな良い服まで作ってくれて、デカイ建物に住んで、柔らかいベッドで眠れる。人生ってのは分からないねぇ」
「ほんっとうに……余計な事思い出させないで下さい。今でも思い出すだけで顔から火が出そうです」
「私が“悪食”のリーダーの真相を確かめて来ます! もしくはどうにかして繋ぎ止める既成事実を作ってきますので! だったかい? アンタ、必死で下着選んでたもんねぇ」
「本当に煩いですよ! 止めて下さい! 苦い思い出どころじゃないんですから!」
未だ隣で料理しているマリアに対して、思わず吠えてしまった。
そりゃもう、最初は警戒しましたとも。
しかし悪食の、というか孤児院の生活環境を味わってしまったら企みがどうとかよりも、どうこの環境に長く居られるかを考えてしまい、暴走した。
今でこそキタヤマさんも普通に接してくれるが、未だ私の行動を忘れたという事はないだろう。
リーダーさえ堕としてしまえば、なんて思っていた当時の私。
本当に馬鹿、過去に戻って今すぐ止めろと叫びたい。
そもそもシスターの癖に、相手を誘って既成事実を作ろうとするってなんだ。
彼らもウォーカーなんだから、大人しく回復術師でアピールすれば良かったじゃないか。
だというのに当時の私と来たら、やれ挑発的な言葉を掛けてみたり、スカートを巻くってみたり。
ただの痴女じゃないか、今考えれば逆に私だけ孤児院から放り出されてしまう行動だったのだ。
馬鹿なのか? きっと馬鹿なのだろう。
もはや自身ですら忘れたい過去だ。
「ま、色々奮闘した結果今に至るんだから、万々歳じゃないか」
「私だけかなり痛みを伴っている気がしないでもないですけど……あぁもう」
「今夜辺り、もう一回試してみるかい?」
「馬鹿言っていないで、手を動かしてください。二度とあんな事やりませんよ」
はぁ、とため息を吐いてからお菓子作りを再開した。
彼女は何か別の物を作っているが。
そもそも悪食は、皆を家族として見ているのだ。
そして基本戦闘に参加しない私、つまり普段から近くに居ない私は“そういう対象”にはまずなり得ないだろう。
何というか彼等を見ていると……兄というか、やはり父を見ている様な気分になって来る。
本人達もそんな感じなのか、やけに心配性だし。
自分達は戦闘で傷だらけになったりする癖に、子供達の時同様私が少しの怪我や病気でもすると大騒ぎする程。
アレはもはや女として扱われる、ではなく。子供の様に見られていると思った方が正しいのだろう。
現状色っぽい何かを期待している訳ではないが、父と娘程歳が離れているかと言われるとそうでもない相手から、ずっと子供扱いされるのは些か不満だが。
とはいえ、他の皆の様子を見ていると誰にでもそうなのだろうと思ってしまう。
なんというか、ここまでお人好しの人達って居るんだなぁって。
思わずため息と笑みが零れてしまうくらいに。
「それで、マリアは何を作ってるんですか?」
「ん? あー、ミートパイでもと思って」
「何で急に」
もはやそれはオヤツではなくご飯なのでは。
どうしたどうしたと、困惑の眼差しを向けてみれば。
「前に食ったアップルパイ、旨かっただろう? またパイが食いたいと思わせてやれば、トレントから果物を貰って来てくれるんじゃないかと思ってね」
「目的は金成リンゴですか……」
ケッケッケと笑う、今では随分元気になってしまったお婆ちゃんシスターに大きなため息を漏らす。
普段彼等と接する時は、こんなにも欲望丸出しではない。
口調ももっと整えて、ギリギリ聖職者かな? という雰囲気は保っているのだが……彼らがあまり言葉遣いなどを気にしない為、どちらかというと私の方が問題児に見られている節がある。
非常に納得いかないが。
「ほんっと、貴女は……昔から変わりませんね、欲望に忠実です」
「それが長生きのコツだよ。相手を疑い、相手を信じる。対照的な言葉でも実は近いもんさ。まずは疑って、相手を信用したいからもっと疑う。何も考えずに引っ付くのと、ちゃんと疑って答えを貰ってから共にいる行為。これは天と地程の差があるんだよ? するとあら不思議、いつの間にか仲良くなって、仲良くなった相手とは旨い酒が飲みたくなる。なら、上物の酒と旨いツマミがいるってもんだろうが」
「あの人達、甘い物よりしょっぱいオツマミの方が好きですよ」
「だから今ミートパイ作ってんだろうが。あとはホラ、ちょろっと金成リンゴの話を仄めかしてだね」
「もう好きにして下さい……」
この人は、いくつになっても変わらない気がする。
私が小さい頃から、ずっとこんな調子だし。
魔獣肉を食べる様になってからは更に元気だ。
やれやれと首を振り、本日も私は孤児院の皆の為にお菓子を作る。
悪食の男性陣はしょっぱい物の方が好きそうだが、甘い物が嫌いという訳では無さそうだし。
後で差し入れに持って行こう。
何てことを考えながら今日も今日とて、平和な時間が流れて行く。
昔では考えられなかった程の、平穏な空気がこの地には在るのだ。
だからこそ、周囲を警戒する事も無く私は御菓子が作れる。
こんな人生が送れるとは、あの頃では想像も出来なかっただろう。
高価な物だって口に運べるモノだったら平気で買って来るのだ、あの人達は。
ガキんちょには菓子だろ、なんて言って。
教会に居た時では信じられないくらいの量を、平然と運んで来る。
「良い匂いだね」
「えぇ、そろそろ焼き上がる頃でしょうか」
二人でそんな事を呟きながら、オーブンへ視線を向けるのであった。
この甘い香りを、喜んでくれる子供達が居る。
この甘い空間を、堪能している私達が居る。
しかもコレが、ずっと続くのだ。
私達”悪食”がしっかり働けば。
「“信じる”事はできそうかい?」
「今更、ですね」
クスッと笑いながら、私はオーブンからクッキーを取り出した。
多分、やっぱり人には完全なる善意は存在しない。
でも、それに限りなく近い感情は有るんだと思う。
限りなく近い行動を取る人たちは、すぐ近くに居たのだから。
「悪食は、“自分達の為に”どこまでも貪欲になりますから。内側に入ってしまえば、意外と簡単なルールしかないものです。美味しい物が食べたい、作りたい。だったら……それに従えば良いだけです。そして私も、ソレを望んでいる」
「大人になったね、クーア。そりゃ酒もガブガブ飲む訳だ」
「一言余計です。それに、私だって正式な“悪食”の一員なんですからね?」
なんて事を言い合いながら、私達は間食の準備を進める。
色々と難しく人生を考える事はあったが……私は今、幸せだ。
だったら、それで良いじゃないか。
昔と比べて、随分と奔放な気持ちを抱いている気はするが。
それでも、ソレが悪食なのだ。
私は……私達は、このクランに来られて良かった。
これだけは、間違いなくしっかり言葉に出来る事実なのであった。
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