第212話 クーア 2
それから時は流れ、私も歳を取った。
教会には子供も増え、頼られる立場になった事は確かだ。
今でこそシスターなんて呼ばれて子供達から好かれてはいるが、私の荒れていた頃の過去を知ったら子供達は何て言うんだろう。
治癒魔術の練習で治していたピアス跡。
目立たないくらいに治ってくれたから良かったモノの、古傷まで消すとなると結構な手間と時間が掛かる。
こればかりは私に治癒の才能があった事に、自分自身を褒めてやりたいくらいだ。
そんな事を思いながら毎日を送っていた訳だが。
「シスタークーア。ケビンが……また起きられないみたいで」
「あら、それは大変ですね。私が見に行ってきますから、皆は食堂へ。せっかくのスープが冷めてしまいますよ」
保護した子供達に微笑みを向けてから、問題の子の部屋へと走った。
珍しい事じゃない、こんな貧乏教会では。
治癒の為に教会を利用する人間は居ても、大元の権力を持った大きな教会から眼の仇にされている為、全然人が来なくて本当にお金がない。
何でもこうして子供を無償で、しかも獣人達も保護しているのが気に入らないそうだ。
だからこそ街中のお店や露店に頭を下げて、売れ残りだったり売れなくなってしまった品などを頂いて何とか生活している状態だ。
それでも子供達が全員満足に食べられる食料は確保できず、皆お腹を空かせながら日々を過ごしている。
シスターマリアなんて本当に酷い状態だ。
自分の分の食料まで子供達に分け与えてしまい、どんどんと痩せていく。
でもまだ、そこまでしてもまだ……足りないのだ。
寒くなって来たこの時期にはよくある。
凍死、餓死、病気。
私やマリアの治癒魔法で何とかなれば良いが、病気は簡単に治ってはくれない。
こういったモノは、外傷とは違う。
綺麗にして、傷を塞いで、後は自身の治癒能力に任せれば良いと言うものではない。
そもそも外傷だって、栄養が足りなくてなかなか治らない子供達だって居るのだ。
だからこそ、ちょっとした体調不良でも軽く見る事は絶対に出来ない。
「ケビン、大丈夫? クーアです、入りますね?」
静かにドアを開けてみれば、そこにはいくつもベッドが並んでいる寝室の光景が広がる。
そして、その一つで小さく丸くなっている子供が一人。
「ケビン? また寝てしまったのですか? 大丈夫ですか? 寒くないですか?」
彼に近付き、その小さな肩に触れると。
とても、冷たくなっていた。
「ケビン、起きて下さい。皆が食堂で待っていますよ? 貴方も温かいモノを食べましょう? なんて言っても、今日も大したものではありませんが。それでも、身体は温まりますよ?」
分かっている、分かっているんだ。
もう、何度も経験したからこそ。
でも認めたくなかった。
本当に、よくある事だ。
子供が体調不良を起こして、そのまま……なんて。
特にウチの様に裕福ではない場所では、余計に。
「ケビン……お願いです。起きて下さい、ケビン、おねがい……返事をして」
もう、何人目だろうか? こうして誰かを見送ったのは。
思わず両目から涙が溢れ出し、必死で冷たくなってしまった小さな肩を揺すった。
でも、起きてくれない。
青白くなってしまった彼の顔は、ピクリとも動いてくれないのだ。
花が好きな、優しい男の子だった。
母親が彼を奴隷に出そうとして、父親がそれに反対しココへと連れて来た。
満足な生活は送れないと分かっていただろうに、それでも奴隷として売られるよりかはと。
奴隷の一生は非常に短いと言う。
しかしソレはウチだって変わらないのだ。
どちらが幸せな人生なのか、それは私には分からない。
でも彼は、ウチの教会の花壇を見て柔らかい微笑みを浮かべる男の子だった。
毎日毎日忘れる事も無く花壇に水をやり、美しい花が咲けば誰よりも喜んだ子供。
そんな彼が、天に召されてしまった。
「ケビン……ケビンっ! お願いだから、逝かないで下さい。貴方が育てていた花々、今日も元気に咲いてますよ? 私と一緒に見に行きましょう? ね、だから……ケビン、お願い……」
思わず大声を上げながら彼を揺する私の腕を、ガシッと誰かが掴み上げた。
「止めな、クーア。これ以上騒がしくしてやる必要は無いよ、弔ってやる事しか出来ない。ならせめて最期くらいは静かに、ゆっくりさせてやるんだ。それが私達の仕事だよ」
「でもっ、でもこんな小さいのに! ケビンは!」
「クーア! 割り切りな、コレが現実だよ」
私を叱咤したシスターマリアは、ケビンを抱き上げフッと柔らかく微笑んだ。
「頑張ったね、ケビン。ごめんね、苦しくなかったかい? 何かあったら私達の所に来る様にって言っておいたのに、我慢しちまったのかい? ごめんね……本当に、ごめんねぇ……」
優しい声を上げる彼女は、謝りながら涙を溢していた。
あぁ、やはり彼女は本物のシスターなんだと改めて感じる。
普段は言動が荒っぽかったり、適当な行動が目立つ彼女ではあったが。
誰かを受け入れ、愛を与え、誰よりも人の死を嘆く。
その根幹は昔から変らず、誰にでも優しく温かい心で寄り添っている。
この人は本当に根っからの聖職者なのだと、その背中を見ているだけで思ってしまった。
「シスタークーア、午後にはこの子の火葬をするよ。準備しておくれ」
「はい、シスターマリア。ご指示のままに」
それだけ言って、私だけ部屋の外へと歩き出した。
子供達に食事を始めて良いと伝え、それからはケビンを“送る為”の準備をしないと。
あぁ、なんというか……忙しいな。
子供達の死を見届ける度に、段々と心が擦り切れていくのを感じる。
何故私の様な元悪ガキが生き残り、彼等彼女等の様な無垢な魂ばかりが天に帰る必要があるのか。
おかしいだろ、こんなの。
この世界は、どこかおかしい。
そして何より、私たちはこんなにも苦労しているのに。
街中に出れば豪遊している連中が腐る程いる。
平気で人を売り払う人達が沢山いるのだ。
それを見る度に、どこまでも乾いていく。
どこまでも感情が削られていく。
金策の為に以前の様な行動を取ろうとした事もあったが、マリアから激怒されてしまい実行には移せずにいた。
しかも「やるならしっかりと信用出来る相手にしな、アンタを泣かせる男の元になんか行ったら絶対に許さないよ」なんて言って来る始末。
全てを疑えと教えたのは貴女だった筈なのに、こんなのってない。
でもその教えがあったからこそ、街中で声を掛けられても付いていく事は無かった。
絶対に約束した金銭が貰えるという保証も無かったし、そこら辺で声を掛けて来る連中なんて身分さえ分からない。
貴族の様な身なりをしていても、用が済んだら路地裏に捨てられる事だってあるかもしれないのだから。
その為に、“その手の話”はこれまで断り続けていた訳だが。
「もう、無理ですよ……誰かに縋るしか、ありませんよ……」
弱り切った心は、そんな言葉を溢してしまうのであった。
――――
数か月後。
もう、何人目だろうか?
庭で大きな火を焚きながら、燃えていく子供達を見つめていた。
街中で今年は流行病が猛威を振るっていると聞いた。
多分、その影響だろう。
栄養の足りない子供達は次々に倒れ、もはや残っているのは片手で数えられる程になってしまった。
そして何より、今では教会に居る皆がゲホゲホとむせ込んでいる様な状態なのだ。
私の使える治癒術は外傷には非常に効果があるが、病気などにはめっぽう弱い。
そもそも治る前に皆居なくなってしまう。
これはもう、駄目じゃないかな。
もはや灰しか残らない目の前の子供の様に、今年中には多分皆……。
なんて、乾いた笑いを溢しそうになってしまった時だった。
「お、居た居た。あまりにも人気が無いから、ガセネタかとも思ったが」
聞き覚えの無い男の人の声が、教会の庭に響き渡った。
振り返ってみれば、そこには。
「「ひっ!」」
子供達が思わず悲鳴を洩らすくらいには、恐ろしい姿の人たちが立っていた。
真っ黒い鎧の四人組。
何処からどう見ても戦闘集団であり、街中で見かければすぐさま衛兵を呼びに走ってしまいそうな見てくれ。
そんな彼等を見て子供達は私の後ろに隠れるが、私だけは非常に乾いた瞳で彼らを見つめ、静かに子供達を守る位置に立った。
「何か御用ですか? ここには奪うモノなんて、パンの欠片すらありませんが」
多分、酷い顔をしていたと思う。
先頭に立ったリーダーらしき人物が押し黙り、ため息を溢す程には。
その後彼は腕を組み、静かな声で呟くのであった。
「随分と顔色が悪いな、飯食ってんのか?」
「……」
「率直に聞く、助けはいるか?」
「……はい?」
はっきり言って、すぐに理解出来るモノでは無かった。
人間に完全な善意というものは存在しない。
だとすれば、彼等は私たちに何を求めている?
お金……の線は薄そうだが、建物や土地とか、何かの権利関係?
もしくは誰かに依頼された、とか?
色々と考えながら、訝し気に彼等を見つめていれば。
「南、スマン。孤児院まで走ってくれるか? 忙しいだろうが、中島を連れて来た方が早そうだ」
「了解致しました」
短い言葉だけを残し、獣人の少女が風の様に去っていった。
一番格下の様に見える彼女でさえあの速度だ。
他の連中はもっと強いという事なのだろう。
だとすれば強硬手段に出られたら、手も足も出ずに身を差し出す他なさそうだが……。
思わず警戒心を強めながら、ジッと彼等を睨んでいれば。
「葬式の途中だったか? 悪いな、無粋な真似しちまって。終わるまで待ってるからよ。あぁ、そうだ。結局腹は減ってるよな?」
「何なんですか、貴方達は」
どうしても、聞かずにはいられなかった。
あり得ない恰好、あり得ない行動。
口にするのは訳の分からない言葉ばかり。
こんなの、警戒しない方がおかしいだろう。
だと言うのに残った三人組は笑うんだ。
静かに、何でもない風で。
「ただのウォーカーだよ。んじゃ、終わったら声掛けてくれ。庭先借りるぜ?」
それだけ言って、黒い鎧の三人組は私たちの視界の外へと出て行った。
本当に隠れるみたいに、教会の庭の隅で何かを始めてしまった。
「クーア、何かあったのかい?」
「シスターマリア! 横になっていて下さいと言ったはずです!」
ゲホゲホとむせ込みながら、杖を突いて此方に歩いて来るマリア。
その様子はとてもではないが外に出て良い姿には見えない。
「それでも、だよ。ココは私が受け継いだ教会だからね。それに、アンタに託す教会だ」
「縁起でもない事言わないで下さい、ホラ……もう部屋に戻って」
戻る様に促してみるが、彼女は更にむせ込んでしまった。
あぁ、神よ。
今すぐ目の前に御身の姿を晒してくださいませ。
全力でぶん殴ってあげますから。
何故ですか、何故私たちにばかり、こんな……。
「ちょいと失礼。お婆ちゃん、もしかして最近流行ってる病気かい?」
先程の黒鎧の一人。
一番細い人が、いつの間にか近くに寄って来ていた。
全然気配とか足音とか分からなかったのに……いつ近寄って来たんだこの人。
思わず身を震わせながら、その人から守る様に前に出てみれば。
「あぁ~すまんすまん、怪しいよな。とは言ってもちょっと話させて? 今流行ってんのは、言い方を悪くしちまえば“汚い水”なんかを飲んで、そっから悪い菌が発熱させて~ってくだりらしくてさ」
「……汚い水でも飲まないと生きていけない私達を嘲笑っているのですか?」
「いや、そうじゃないって。なんつったら良いのかな、腹壊して発熱するぜって症状だけど、コレラみたいに強い流行病じゃないっぽくて……まぁ何が言いたいかって言うと、体力付けて水分補給しっかりしてれば、結構良くなるって医者も言ってたぜ? とりあえずそっちのお婆ちゃんにコレ呑ませてくれない? あと他にも症状出てる人っている?」
「貴方は、お医者様か薬師様なのですか?」
「いいや、ただのウォーカーだけど……」
「お話になりませんね」
ばっさりと切ったつもりだったのだが、彼の差し出した水筒をマリアが受け取りしげしげと眺めはじめた。
匂いを嗅いだり、少しだけ掌に垂らして舐めてみたりと。
「何をしてるんですか!?」
「いやなに、くれるって言うから貰っただけさ」
こんな怪しげな集団から差し出された水筒に入った水を、何故平然と飲むんだ。
それこそ毒なんて入ったらどうするつもりなのか。
色々と考えたが、もしかしたら最初の毒見役に自身を使ったのかもしれない。
彼女ならそれくらい、平然とやってのけそうだ。
なんて思っていたのに。
「へぇ……なんだいこりゃ、随分と旨い。こんな薬があるのかい?」
ヘッと鼻で笑う様な調子で、マリアは黒い鎧の人に問いかけた。
すると、相手も相手で同じような調子を返してくる。
「だぁれが薬なんて言ったよ。そりゃただの水分とその他諸々補給する為のモンだ、要はスポーツドリンクだな。意外と簡単に作れるんだぜ?」
「すぽーつ……なんだって?」
「人の体は汗かいたりすると、水以外にも色々と消耗すんの。だから綺麗な水ってだけじゃなくて、他のモンも補給できる飲み物って訳だ。それこそ風邪ひいた時になんか最適なんだぜ?」
なんだか良く分からない会話をしている内に、含まれている内用物を説明し始め、二人して水筒を掲げ一気飲みする始末。
相手も飲んだ所を見ると、危ないモノではなさそうだが……なんだこれは。
「はぁぁ……コイツは良いね。染みわたる様だよ、何より旨い」
「だろ? あとは毒消しの薬草なんかも効果があるのか無いのか、良く分かんねぇけどウチではそういうの飲んでたら、感染者0だぜ? あぁいや、発症者って言った方が良いのかもしれねぇが」
二人がそんな会話をしている内に、庭の隅から大声が上がる。
「おーい! 飯出来たぞ! 雑炊だ雑炊~! あと西田、いつまでも遊んでねぇでスープの面倒見ろよお前は!」
「西くーん! これなんか焦げそうだったから火弱めちゃったけど平気ー!? ちょっと見てー!?」
本当に、なんだろうこの人達。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます