第210話 ずっと一緒じゃないけれど


 『相変わらず、若いねぇ』


 「そんな事言っても、私より歳を取っちゃったけどね……なんていうか、もう男の子って雰囲気は無いかなぁ」


 カナの言葉に、思わず苦笑いを溢してしまう。

 確かにカナの言う通り優君の行動は凄く若い、良い意味で。

 アレから随分落ち着いたし、大人っぽい考え方をする様になった。

 でも誰かが困っているとすぐ飛び出していく所とかは、昔のままだ。


 「いいなぁ……」


 『……後悔、してる?』


 「ううん、してないよ。心配しないで、カナ」


 本当は、皆と一緒に歳を取りたかった。

 友達と一緒に、恋人と一緒に老いて行って……最後はお互い皺だらけになりながらも共に居たかった。

 でも今では、それは叶わない未来。


 『……ごめん』


 「謝らないで、本当に大丈夫だから。カナが居たからこそ、今の私があるの。今の私が居るからこそ、この未来があるの。だから、せめて……カナだけは一緒に居て?」


 『ん』


 私は、“竜人”。

 世界に新しい種族として誕生した未知の存在。

 そして“聖女”の称号を持つ、国も無視できない程の強力な能力持ち。

 だからこそ将来安泰、なんて軽く考えられれば良かったのだが。

 歳を、取らないのだ。

 まだ数年しか経っていないから、コレも正確な情報かは分からないが。

 それでも、周りの皆に比べて“老化”と呼べる症状が一切ない。

 友達や恋人、そして恩人たちは歳を取って行く中。

 私だけは、あの頃のままなのだ。

 悪食によって救助された時のまま、私の時間は止まってしまった。

 コレが本当に“魔女”の様に永遠なのか、それともエルフやドワーフの様に長い年月を生きるだけなのかは未だ分からないが。

 それでも、現状分かっている事としては。

 私は多分、周りの皆に置いていかれてしまうという事。

 それはきっと辛い事だし、自分一人だけが残った時、思わず泣いてしまうかもしれない。

 でも。


 「大丈夫ですよ、何も残らないという事はありませんから。皆さんが残した物を、私達が守っていけば良いだけです」


 そういって、悪食の魔女は笑った。

 私と同じ運命にある筈の彼女は、諦めに近い感情を浮かべながらも楽しそうに笑ったのだ。

 その表情に、間違いなく絶望は無かった。


 「なぁに、長く生きる奴の宿命ってもんだ。他にもドワーフやエルフは居るからな、今から紹介してやろうか? どうせ長い命だ、一緒に楽しくやろうぜ」


 悪食のドワーフ達は、ガッハッハと盛大に笑いながら私に酒瓶を渡して来た。

 一人じゃないんだ。

 今の私には、仲間がいっぱい居る。

 だからこそ、悲しむ必要なんかない。

 自分にそう言い聞かせようとしたのだが。

 駄目なのだ、大好きな彼が頑張っている姿を見ると。

 必死に生きて、徐々に大人になって行く姿を見ると。


 「ごめ、ごめんっ……カナ、これは……そういうのじゃないからっ」


 『いいよ、仕方ないさ』


 どうしたって、涙が零れて来るんだ。

 大好きな人と一緒に居たかった。

 最後まで、一緒に居たかった。

 言葉だけなら、私には十分可能な事例だろう。

 しかし人間の“最期まで一緒に”とは。

 自分が死ぬ事を想定しているのだと、最近理解した。

 自らが死ぬときは、大好きな人に近くに居て欲しい。

 そんな我儘で独りよがりな欲望の塊。

 残される相手の事など考えていない様な、人生最大の我儘。

 そういった物を、平然と夢見て来たのだ。

 大好きな人たちと一緒に歳を取って、どんどん皺だらけになって。

 足腰とか弱くなって、それでも皆で集まって楽しそうにお喋りして。

 一人、一人と居なくなって。

 皆で仲間を弔いながら、次は自分の番かもしれないね、なんて年寄りの戯言みたいに言い合って。

 致し方ない、回避しようのない死をいつか迎えるモノだと思っていたのだ。

 でも、私は。

 皆がその環境に陥っても、一人だけ若いままの姿をしているのだろう。


 「ごめん、ごめんね……違うの、カナを受け入れた事を後悔なんてしてないし。“今”を否定したりもしない。でも、それでも……っ」


 『分かってる、私も人間の事は随分理解していた気になっていたけど……辛いね、置いて行かれるのは。今が、ずっと続かない現実が』


 溢れて来る涙を擦りながら、優君の仕事ぶりを遠目から見ていた。

 凄いな、もう兵士の人たちから頼られる存在になっている。

 トラブルを話し合いで解決し、相手にも仲間にも指示を出している。

 結果入国待ちの列は再び動き出し、後続で待っていた人達も安堵の笑みを浮かべていた。

 彼はもう、“大人”になったのだろう。

 しっかりと仕事をこなし、周りからも頼られ。

 そしてこの国にも必要とされるほど大きな存在になった。

 とても立派な事だ、誇らしい事だ。

 恋人の私が、誰よりも誇ってあげなければいけない筈の出来事だというのに。


 「私を……置いていかないで……」


 視線を下げ、ポツリと呟いた瞬間。


 「望?」


 「え?」


 いつの間にか、優君が目の前に戻って来ていた。

 魔法の類でも使ったのだろうか?

 こんなに早く戻って来るとは思っていなかった。


 「ど、どうしたの? お仕事があるんでしょ? 私はもう帰るから、午後も頑張ってね」


 慌てて足元のバスケットを片づけ、顔を伏せたまま立ち去ろうとしたその時。

 私の腕を、彼の義手が掴み取った。


 「あっ、ごめんっ! もしかして痛かった!? 義手の方は普段人には触れない様にしてたから……ごめん」


 「う、ううん。平気。全然痛くないよ」


 なにやら別の事で焦り始めた彼に対して、此方も慌てて声を掛けてみれば。

 彼は何だか落ち着かない様子で視線を右往左往させた後、一度深呼吸してから。


 「えっとさ、もう付き合い始めてから結構経ったっていうか。それに、さっきも門番の奴等に早く行けって追い返されたって言うか……」


 「う、うん?」


 何だか要領を得ない言葉を紡ぐ彼が、気まずそうに頭を掻きながら視線を逸らしている。

 さっきまで私は涙を浮かべていたのだ、もしかしたら眼とか赤くなっているかもしれない。

 そういうのを見られないという意味では、良かったのかもしれないが。


 「望は、これからどうしたいとか……ある?」


 急に、そんな事を言い始めた。

 どうしたいか、なんて言われても……。


 「正直、分かんないかな……ホラ、優君も知っての通り寿命が凄く伸びちゃったみたいだし。何をするにしても、どうしたら良いのかなって……今もちょっと考えちゃって」


 結局、根っこの部分は変らないのだ。

 カナに助けてもらって、普通に生きられる様にはなった。

 悪食に助けてもらって、周りに受け入れてもらえる様になった。

 でも、それでも。

 私は結局私で、弱虫な部分は未だに残っているのだ。

 だからこそ今でも未来の事なんて考えると、恐ろしくて仕方ないのだ。

 そんな事を思いながら、俯く私に対して。


 「だったら、丁度良いのかな?」


 「え?」


 彼はおもむろに私の左手を取り、薬指に指輪を嵌めた。

 何だか凄く高そうな、妙に凝ったデザインの宝石まで付いている指輪。


 「望、俺と結婚してくれ」


 真剣な顔で、真面目な言葉で。

 彼は一言一句聞き違える事の無い程ハッキリと、そう言い放った。


 「で、でも私……」


 「婚約指輪って、ホラ。給料三か月分とか言うだろ? だから三か月分の給料丸々持ち込んで、作って貰ったんだ。結構凄いだろ? 悪食ドワーフと、魔女まで協力してくれたんだぜ? しかも宝石店と高級アクセサリー店のオーナーまで呼んでくれて、長時間かかった」


 クックックと笑う彼は、私に指輪を渡す事をまるで後悔した様子など無い。

 だって、私は皆より長く生きてしまうのだ。

 私と結ばれたって、共に歳を取る事が出来ないのだ。

 ソレが分かっていない筈なんて無いのに、彼は。


 「私、竜人だよ? 一緒に歳を取れないんだよ?」


 「いつまでも若い奥さんとか、男からしたら超理想じゃん。むしろ俺が捨てられない様に頑張らないと」


 「周りの皆も同じようにお爺ちゃんとかお婆ちゃんになっても、私だけ今のままかもしれないんだよ?」


 「だったら自慢してやるよ。俺の嫁さんは綺麗だろって、羨ましいかって髭ジジィになっても笑ってやらぁ」


 「私だけ……残されるんだよ?」


 「だったら残りの俺の人生全部使って、その後って奴を一緒に考えようぜ。どうせ今考えたって答えは出ねぇよ、だから一緒に考えよう? 幸いな事に、長寿な奴等は知り合いに結構居るし。夫婦揃って皆と仲良くやってさ、その後も楽しくやれれば万々歳じゃん」


 にししっと子供みたいに笑う彼は、指輪を嵌めた私の掌を両手で包んだ。

 そして。


 「未来の事は分かんないけどさ、これも望を傷付ける結果になるのかもしれないけどさ。でも言うよ、俺と結婚してくれ。ずぅっと先の心配より、来年の事でも考えようぜ? むしろ明日の事を考えようぜ? 俺が生きてる間は、人生で一番幸せだったって言わせてやるよ。その先も、自慢の旦那が居たんだって語れるくらいに良い男になるからさ。だから……望、俺と結婚して下さい」


 そう言って、子供の頃から大好きだった幼馴染は私に向かって頭を下げた。

 まるで絵本で読んだ騎士とお姫様が登場する物語の一ページみたいに、彼は鎧姿で剣を携え、膝を折る。

 少女の心を捨てきれなかった私の夢を叶えてくれたみたいな、そんな光景が広がっていた事だろう。


 「私で……本当に良いの?」


 「望が良いんだよ」


 「今の私、半分ドラゴンだよ? カナも居るよ?」


 「おっと、これはカナも口説かないといけないかな? カナ、俺と望の結婚を許してくれるか? 勿論カナも幸せにしよう、俺と結婚してくれ」


 『許可する』


 「許可するの!?」


 「ははっ、思いがけぬハーレム誕生かな?」


 何て事を言いながら、彼は立ちあがり正面から私の事を見つめて来た。


 「望、俺のお嫁さんになってくれないか?」


 その瞳に、嘘はなかった。

 その手は、少しだけ震えていた。

 その声は、ちょっとだけ不安が混じっていた気がする。


 「私も、優君と一緒に居たい。ずっと一緒に居たい……けどっ!」


 「ずっとじゃなくても、良いんじゃないかな」


 「え?」


 見上げた彼の表情は何処か苦しそうに笑いながらも、私の事を心配している様な瞳を向けていた。

 いつもの彼の瞳。

 いつだって私を見てくれて、ずっと心配してくれていた瞳。


 「人間いつか死ぬ、そりゃ仕方ない事だ。人族と竜人じゃ寿命が違うって事も分ってる。だからせめて、俺が生きている間の時間は……望の時間を、俺にくれないか? ずっと引きずって欲しく無いから、全部くれとは言わない」


 それだけ言って、彼は緩い笑みを浮かべながら私の頭に手を置いた。


 「望はこの先長い時間を生きていくかもしれない。その半分……は欲張りすぎか、三割、いや一割? くらいでも良いからさ、俺に独占させてくれよ。お前は俺の嫁さんなんだぜって、自慢させてくれ。その間だけは、絶対幸せにしてやっから」


 ニカッと笑う彼の瞳は、今までとは違う決意が感じられた。

 誰かを守る為の決意。

 相手を殺す決意。

 生き残る為の決意。

 そういった物を、色々と見て来たが。

 今の彼の瞳は、どこまでも優しかったのだ。


 「私なんかで良ければ……貰ってください」


 「次に“私なんか”とか言ったら、貰ってやらない」


 「ちょっとぉ!?」


 「あははっ、嘘だって。でも、“私なんか”は絶対禁止で」


 呟いてから、優君はゆっくりと私の体を抱きしめた。

 暖かい。

 こんなにも誰かの体温を身近で感じたのは、いつ以来だっただろうか?

 人は両親から離れれば、普段人の体温を感じる事は少なくなる。

 だからこそ、誰かの温もりを求めて恋をするのかもしれない。

 人は一人では生きてはいけないから、誰かと共に生きたいと願ってしまうから。

 なんて、柄にも無い事を考えていれば。


 「望だから、俺は言うよ。一緒になろう、望。結婚しよう」


 彼の言葉に、思わず今まで以上にしがみ付いた。

 離してなんかやるものか、この人はずっと私と一緒だ。

 そんな想いと共に両腕に力を入れ、グリグリと顔面を押し付けた。

 嬉しいって、純粋に思えた。

 こんな気持ちばかりが浮かんでくる事が他にあるだろうか?

 先の不安とか、今後の事とか色々あるけど。

 それでも、まずは。

 この人と共に生きたい、一緒に居たい。

 その気持ちだけが、胸に溢れていた。


 「私を、貰ってくれますか?」


 「さっきから言ってるじゃん、君を下さいって」


 笑う彼に対して、此方も緩い微笑みを返す。

 これはもう、そういう事なのだろう。

 ずっと好きだった人に助けられ続け、私も彼を支えられる立場になって。

 共に支え合いながら、一緒に時間を過ごす事が許された。

 だったら、もう。


 「これからも、よろしくね……優君」


 「不束者ですが、どうぞよろしく」


 「それ普通、私のセリフ」


 二人して、抱き合いながら笑った。

 遠く離れた門番達から歓声が上がり、誰しも拳を振り上げて喜んでくれている御様子。

 一人分にもなれなかった私が、怖い異世界に来て。

 やっと一人前になったかと思えば、想い人と結ばれたのだ。

 多分私は、“向こう側とこっち側”を含めても。

 世界で一番、幸せな女の子だ。

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